こんなことしてる場合ではないだろうに

たくさんやりたいことと、やらなければいけないことがある。
そんな状態で、僕はこんな駄文を書き出そうとしている。

何をしているのだろうか。
そんな時間があるなら、やるべきことをやれ。

そう思いつつも、遠慮をせずに僕は書き出す。
それでないと、自分の中で何かが整理できない気がするからである。

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会社がしんどくなった。
しんどいと言っても忙しいとか、難しいとかでなくて「興味が無くなった」というのが最も適切かもしれない。なんのために毎日出社しているのか分からない。

この数ヶ月、自分の考えとか意見にほとんど聞く耳を持たれていない。
上司は毎度言う「私はこう思う、だからこうして」と。

誰も見てない売上資料。他部署ができないからと回ってきた研修資料。
製作段階で初めこそ自分の考えを入れていたが、言ったところで聞く耳を持たれない状態が続いた。「私はこう思う、だからこうして」。上司のオーダー通りに作らないと先に進まないため、最近は何も考えなくなっていった。

この役回りは自分である必要があるのか。
少しずつ自分の存在価値が見えなくなっていった。

日々、自分の感性とか才能みたいなものが削れて無くなっていく感覚を覚えるようになった。人生の中でとても無駄な時間を過ごしていると思うようになった。ゴミを生産するような毎日繰り返す。

そんな状態が続き、気付けばオフィスに入ると、上手に呼吸ができなくなっていた。意識して、息を吸って吐かないと、生きていけないような、そんな状態。その空間が息苦しくて、一日のうちに何度か外に出ないと耐えられなくなっていた。
そして、席に座りパソコンの画面を見ても何をすれば良いのか頭が動かなくなってしまった。自分が考えたところで、思考の無駄遣いが待っている。受け入れられずに、払い除けられる悲しみや虚しさを後にを覚えるのであれば、初めからそんな思考は生まなければいい。そう思うようになっていた。

なんだか上手く言えないけれど、
僕に向いていることを封印され、
僕の思考は排除され、
誰にでもできることをただやらされている。
これの何が面白いんだろう。

色々な人と話した。
ある人は、君の実力不足と言った。
ある人は、それが仕事だと言った。
ある人は、人には向き・不向きがあると言った。
ある人は、やりたくないことをやっても仕方ないと言った。

結局、それぞれの正義があって、僕は僕なりの正義を叫ぶしか無いのだと思う。


今週の月曜日。
息苦しさが高まり、急いでオフィスを出た。エレベーターを使わず、非常階段を降りていると、自然と座り込んでいた。顔をうつむき、手で顔を覆い、膝の間でゆっくりと呼吸をする。小さく声を出しながら、涙が溢れた時、やっと自我が戻った。

ああ、自分もこんな状態になるんだなあ。
冷静になって、そんな状態に自分に驚いた。

こりゃもうだめだ。
そんな呑気な気分で、自室でまとまりの無い文章を書いているが、明日もオフィスに入れば、また息苦しさを覚えるのだろう。

最近の僕のだらしなさと情けなさは、なかなかのものだと思う。
コイツしょうもないな、と思われているのも重々承知している。
色々な人に謝りたい。
ごめんなさい。ただ、自分でも自分がどうなってるのかいまいち分からない。

少しずつ、向上心であったりモチベーションを取り戻せるようにしていきます。

本当に何を書いているのか分からない。でも、あんな陽気な野郎でも、こんなことになるというのは知っておくといいと思う。
皆さんも、無理はなさらず。

いただいたサポートは取材や今後の作品のために使いたいと思います。あと、フラペチーノが飲みたいです。