薬師寺銘石-3

世界遺産「薬師寺」の銘石

薬師寺は1300年の歴史を持つ奈良のお寺です。

そのような歴史のあるお寺の銘石に刻まれた文字の筆致に魅せられます。

薬師寺は長い歴史の中で数々の天災・人災により東塔を除く全ての建物が火災により消失し、「竜宮造り」と呼ばれた壮麗な伽藍の面影はありませんでした。

ただ、全国から多くの修学旅行生が薬師寺を訪れていました。しかし、東塔などを残してほとんどの建物の礎石しかない跡を見ても、想像して味わうことができる知識に不足する修学旅行生にとっては、ここに来ていることの意味はあまり理解できなかったはずです。

しかし、その不足する想像力に命を吹き込み力を貸すように修学旅行生に向けて薬師寺でガイドを行っていたのがまだ若かった高田好胤(こういん)さんでした。

やがて、その話術が聞く人達の心を引き込み、薬師寺は訪れた多くの修学旅行生たちの記憶に残る寺となっていきます。

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高田好胤さんの動画がみつかりました。

「失われていた薬師寺金堂の復興を発願し、百万巻の写経勧進という前代未聞の方法で再建を果たした。千五百年の日本の仏教史上、百万巻もの写経勧進の導師を務めた僧は他にはいない」と説明にあります。

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百万巻の写経勧進のために全国行脚を行いますが、そこには修学旅行当時に薬師寺で高田好胤さんの説明を直接聞いたことのある人たちが多く会いに来られたと聞いたことがあります。

薬師寺の再興は高田好胤さんが日々接してきた全国の修学旅行生の方々の支援よって成し遂げられたといっても良いかもしれません。

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これをただ、いい話として聞き流すにはあまりにも勿体なく思います。

丸腰の僧の力で再興を成し遂げるに至ったその過程はビジネスの基本にも通じていますし、およそ経済とか経営などから縁遠いところにいる人々にとっても学びの拠り所になります。

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高田好胤さんは1998年にお亡くなりになりましたが、680年に天武天皇が発願された薬師寺の歴史と共に高田好胤和上の偉大な功績は1000年後にも語り継がれているのだと思います。

薬師寺は本尊の国宝の薬師三尊像や五重塔など沢山の歴史が詰まったお寺ですが、薬師寺を思うと、どうしても高田好胤さんを思いだしてしまいます。

終わり


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