新刊が出ない

ツイッターでも何度か触れたが、2020年は単著の新刊が出ない。2012年にデビューして以来、コンスタントに新刊を世に送り出してきたので、こんな年は初めてである。

と言うと、今年は充電期間なのだな、などと思われるかもしれないが決してそんなことはない。余裕があることは否定しないが、基本的にはスケジュールの都合である。その辺をもう少し詳しく説明したいと思う。

僕は作家としてとても恵まれた環境にある。

デビュー作がヒットした結果、それまでフリーターの底辺に過ぎなかった僕が、たくさんのお仕事をいただけるようになった。KADOKAWAの文芸誌に短編が掲載されたのを皮切りに、連載の依頼が続々舞い込み、これまでに10社ほどで連載をしてきた。

連載があれば、専業作家は食っていけると言われる。簡単に計算してみよう。文庫書き下ろし、定価700円、初版1万5千部、印税率10%の場合、一冊書いて作家に入る印税は105万円だ。重版すれば増えるが、されなければ収入はこれだけで終わる。年に3冊書いても、生活が苦しいことがおわかりいただけるだろう。

一方で、これが連載だった場合、全体で原稿用紙350枚、原稿料が1枚4000円だとすると、トータル140万円が上乗せされることになる。一冊の収入は印税と合わせて245万円、年3冊すべて連載ならば充分生活していけるし、1冊連載があるだけでも全然違う。

いま、文芸誌はどこも売り上げが非常に厳しく、連載は文芸誌の売り上げのためというより、ギャラと引き換えに作家の原稿を集めるため、場合によっては作家の生活を支えるためという側面が大きい(というか、結果的にそうなっている現状がある)。連載の依頼をもらえるというのは、原稿料を支払ってでも原稿が欲しいということであり、作家にとっては大変ありがたく名誉なことなのだ。

デビューから間もない僕がこの辺の事情をそこまで深く理解していたわけではないが、駆け出しのフリーランスにとっては当然の心理として、依頼はなるべく断りたくなかった。1社引き受けると他社を断るわけにもいかなくなり、あれよあれよという間に連載が増えた。まだ素人からようやく這い出たばかりで、実力も何もなかったというのに、である。

慣れない仕事に必死になって、3年目には体を壊して休載を経験した。一番多いときで、5本の連載が重なった時期もあった。振り返ると、まずはデビュー版元の仕事に専念して力をつけるべきだったと思う。しかし当時は、いろんな版元との仕事を経験することでステップアップにつながると信じていた。

けれども連載からの刊行を繰り返していく中で、だんだんと、これでは僕の作家人生は何も変わらないと実感するようになる。

当たり前だが、連載には締め切りがある。限られた時間の中で、精一杯いい作品を書く努力をしてきたつもりだが、それでもどこかにあきらめや妥協が忍び込んだり、手癖で書いてしまったりした部分があったことは否めない。当時はすべて読み切り掲載だったので、全部で30本以上の短編を書いたが、目に見える形で評価されたものはただの1本もなかった(唯一、『ベスト本格ミステリTOP5』に収録された短編「夜半のちぎり」はアンソロジー向けに書いた独立短編である。また県立高校の入試などに複数回使われた「進水の日」もアンソロジーに書き下ろした独立短編だった。連載ではないところでは多少なりとも評価されたことは皮肉だ)。不当だとはまったく思わない。とどのつまり、そこまでクオリティを高めきれなかったということなのだ。

それでも本になれば成功するものも出てくるんじゃないかと期待していたが、甘かった。売り上げでも評価面でも苦戦を強いられた作品が多く、中には決して悪くない部数が出たものもあるが、タレーランシリーズの読者がいてくださっていることを踏まえると、満足のいく結果とは言えなかった。

そして僕はついに、「連載をやめよう」と決意するに至ったのである。

連載をいただけることは本当にありがたい。僕は実力と実績に比して、とても恵まれた作家だと理解している。だけど、もう依頼を全部受けてしゃにむにがんばるだけの時期は過ぎたのだ。これからは、自分の力をしっかり出し切れる環境で執筆して、確信をもって作品を世に送り出していくべきだ。

実はもう何年も前からこのようなことを考えていた。ツイッターに「もう連載はやりたくない」と記したこともある。ほかの作家さんからは、嫌なやつだと思われただろう。いたく反省している。でも、このままではだめだという思いがあったから、収入を減らしてでも環境を整えることにしたのである。

2018年にデビュー版元以外では初の書き下ろしとなる『夏を取り戻す』が刊行され、とても苦労した作品だったがその甲斐あって最低限の評価がついてきたとき、この思いはますます強くなった。そして昨年の7月に刊行された『下北沢インディーズ』の連載が終わると、連載が一時的に0本になった。2013年に初の連載を始めて以降、連載がなかった時期はこのときだけである。『下北沢インディーズ』が刊行されたとき、僕は「ああ、これでようやく一本ずつ専念できる」と思い、肩の荷が下りたように感じたものだ。

実はその後すぐ、トーハンの新刊ニュースでショートショート連載を始めるのだが、これはそれまでの短編連載とはちょっと違っていて、他の作品に専念するにあたってさほど負担にはならないと感じている。新刊ニュースの連載枠はたった一人なので、これもまた名誉なお話だ。一度は延期してもらったものの、それでも待つと言っていただけたので、お受けした。

こうして一本ずつ専念できる環境が整うと、おもしろいことに、仕事がどんどん楽しくなってきた。やっぱり僕は、小説を書くのが好きなのだ。じっくり時間をかけて、しっかり長編を練り上げていくのはとてもやりがいを感じるし、実際にいい作品になっていく手応えもある。早くみんなに読んでほしい、でも絶対に手を抜くことなく作り上げたいというジレンマに襲われながらも、真摯に向き合うことができている。

そして、8月から新連載が始まる。

これまでの連載とはわけが違う。初の長編連載だ。先に初稿を書き上げ、改稿もあらかた済むまで待ってもらった。すでにほとんど書き上がった作品なのに、連載が終わるまで1年近く待たなければ本にならないことについてはもどかしさもあるが、連載前提で依頼をくださりながら、初稿が上がるまで急かすことなく待ち続けてくださった版元さんには本当に感謝である。それに見合う一球入魂の作品をお届けしたいと考えている。気合いは充分だ。

というわけで、1冊分の原稿はほとんど上がっているのだけれど、連載の都合で刊行はおよそ1年先になる。それまでに、ショートショート連載は本にまとまるだろうし、もしかするともう1冊先に出るかもしれない。要するに、今年は今年でしっかり働いているので、来年は新刊がまとめて出ますよ、ということだ。

1年間、新刊をお届けできないことは残念である。だが、連載を終わらせて環境を整えた僕は今後、ますます力の入った作品を書いていけるだろうと確信している。それまで皆様、どうか岡崎琢磨をお忘れにならず、新作を待っていてください。機会があれば連載やアンソロジー、もちろん既刊も読んでみてください。どうぞよろしくお願いいたします。


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