作家廃業を考えた僕を、ミステリが救ってくれた――『春待ち雑貨店 ぷらんたん』文庫化と『Butterfly World』連載完結

2016年2月に、僕はこんなツイートをしている(元のRTはわからなかったのであしからず)。

当時、日常の謎ミステリを主戦場としていた僕にとって、これはたびたび頭を悩ませていた問題だった。日常に寄り添う小説としてのリアリティと、ミステリが宿命的に帯びる非日常性に、いつも板挟みになっているように感じていたのだ。

同時期、僕は新潮社yomyomにて『春待ち雑貨店 ぷらんたん』の連載をスタートさせた。この作品は、上記の問題に対する、僕なりのひとつの解だった。

ミステリ色を極力抑えつつ、テーマ性を持たせることで、小説としてのリアリティの充実を図り、作品に厚みを出す。

この試みにはとても苦労したが、結果的には成功したように思えた。担当さんと連載のたびに原稿をはさんで打ち合わせをし、その指摘の的確さや鋭さにたびたび反省しながら、まるでピンセットで砂粒を積み上げるように丁寧に、一文一文大切に作品を紡いでいった。

(たとえば担当さんから、「この一文、力尽きたでしょ」と言われたことがある。本当に力尽きた箇所だったので、僕は驚いた。そのような細かい修正を幾度となく経て、あの作品は出来上がった)

最終話を書き上げたとき、僕はものすごい作品が書けたという手応えを感じ、打ち震えた。同時に、燃え尽きた感覚を味わった。この路線では、いまはこれ以上の作品は書けないだろう。僕はもう、作家としてやるべきことはやりきってしまった。実は連載終了直後には続編のお話をいただいていたのだが、忙しいことを口実にうやむやにしてしまった。超えられない、と思ったからだ。

2018年1月、満を持して『春待ち雑貨店 ぷらんたん』は刊行された。しかし、本作はかつてないほど賛否両論真っ二つに分かれ、残念ながら期待したほどの評価を得られなかった。

肯定意見も確かに多かったのだ。インタビュー記事を書いてくれた文藝春秋の編集者さんは、開口一番「傑作ですね!」と言ってくれ、〈巴瑠の心を蹴ったのだ〉の一文だけですごい作家だと伝わる、と絶賛してくれた。自身もターナー症候群だという女性の方から「取り上げてくださってありがとうございました」と言っていただけたときは、この作品を書いてよかったと心から思った。作品の舞台にさせてもらったお店の友人からは、「あの作品は自分が歩んできた人生の集大成」というかけがえのない言葉をもらった。ほかにも、「ぷらんたんから入ってファンになりました」という声は少なくない。

しかし一方で、某社の編集局長の女性からは面と向かって「あれは女性が読んだら気持ちが悪い」と一刀両断された。付き合いの長い友人からも「薄っぺらい」と酷評された。それらの意見が正しかったのかはわからないが、実際に『ぷらんたん』は書評が載ることもなく、文芸的に評価を得たという話も聞かなかった。

僕は、あの作品でだめならもう何をやってもだめだろう、と思った。それほどまでに、やりきったという感覚が強かったのだ。

廃業、の二文字が頭をよぎった。

事実、『ぷらんたん』の連載を終えた2017年の僕は燃え殻と化していた。当時はほかの連載の仕事も並行しており、特に『九十九書店の地下には秘密のバーがある』は『ぷらんたん』で得た手応えをもとに、明確に「ミステリーじゃないものを書きたいです」と話してスタートさせた作品だった(結果的に、読んだ方からは「あれはミステリーだ」と言われたが)。だが、何を書いてもしっくりこない。ちゃんとおもしろいものを書いているはずなのに、手応えがない。まだキャリアが浅いころ、『おばあちゃんの梅ヶ枝餅』(『道然寺さんの双子探偵』所収)や『家族未満旅行』(『新米ベルガールの事件録』所収)を書き上げたときに得られた感動を、そのころの僕はまったく得られなくなっていた。

『ぷらんたん』の出版以前の段階で、僕はもう作家としてはやっていけないかもしれないな、と本気で思っていた。出がらしになってしまったような気がして、会社員の経験もない僕がほかの仕事をするとしたら何だろう、お酒が好きだからバーなんかいいかもな、などと検討したりしていた。作家デビューしてからじょじょに落ち着きつつあった鬱症状がまたひどくなり、新しい薬を飲み始めた。

当時、僕は東京創元社ミステリ・フロンティア百冊記念刊行作品の執筆という大役を任されていた。長編でいくことは早くから決まっており、最初の設定やアイデアはわりとスムーズに固まったものの、その先でつまずいた。

何せ、プロの作家になって5年も経つのに、長編を書いた経験が『珈琲店タレーランの事件簿3 心を乱すブレンドは』の1作しかなかったのである。日常の謎を主戦場とし、しかもライト文芸の火付け役の一端を担った僕は、長編を書かせてもらえないという、振り返るとあまりに大きな犠牲を払ってしまっていた。

そんな折である。東京創元社の担当さんに、冒頭のツイート(当時、僕は同様の投稿を繰り返していた)を受けて次のように言われたのは。

「ミステリの作為が小説の邪魔になるのは、厳しい言い方ですが、あなたに実力が足りてないからですよ」

それは、言われるまでもなく自覚していたのだ。上記のツイートにも、ちゃんと書いてあるではないか。

だが、それでもその言葉は僕の胸に深く突き刺さった。僕は、「逃げるな」と言われたのだ。「正面からちゃんと向き合え」と、釘を刺されたのだ。

決して逃げているつもりではなかった。むしろ、『ぷらんたん』はミステリ色を抑えるという前提のもと、この上なく真剣に向き合った。けれど、その結果が当時の燃え尽きと、長編におけるつまずきに表れていたことは火を見るより明らかだった。

担当さんに、僕は正直に白状した。ミステリ長編の書き方がわかりません、と。

担当さんは言った。うちではもう一度、しっかりミステリに取り組みましょう。あなたはミステリを書ける人なのだから、と。

当時の僕は完全に自信を失って、ひどく情緒不安定だった。担当さんとの打ち合わせ中、ダメ出しよりは優しい言葉で、何度も涙ぐんだ。いつも会いにくるとき死にそうな顔をしている、と担当さんに苦笑されたこともある。

それでも僕は、作家として立ち直るには、いまここでがんばるしかないんだと自分に言い聞かせ、必死で食らいついていった。これでだめなら廃業したっていい、でもまずはここでがんばってみよう、と腹をくくったのだ。ミステリの書き方なんていう、プロになるよりもはるかに前の段階で学んでいなければいけないことを、担当さんからたくさん教わった。とても長い時間と大変な労力(2018年の7月などは毎日担当さんとゲラをはさんで打ち合わせをしていたほどだ)をかけ、少しずつ、百冊記念刊行予定の長編は完成に近づいていった。

そして出来上がったのが、『夏を取り戻す』だ。

東京創元社からこの上なく華々しい席を用意していただき、まさに全身全霊を注いで送り出した作品は、ミステリランキングの結果こそ思ったほど振るわなかった(それでも僕にとって初のランクイン作品にはなった)が、本格ミステリベスト10の2019年版で18位という劣勢ながら、1~3位の作品と肩を並べて本格ミステリ大賞にノミネートされた。

僕は理解した。『夏を取り戻す』は、ミステリ長編を書くのがほぼ初めての僕が、スケジュールに追われる中でがむしゃらに書き上げた、その気になればいくらでも粗探しができる作品だった。だが、それでも2つのランキングで年間1位に投票してくださった辻真先先生をはじめとして、一部の方には強烈に支持していただける作品になったのだ、と。

本格ミステリベスト10の『夏を取り戻す』評に、「一球入魂」という表現が使われていた。その一球を、確かに受け取ってくださった方々がいらしたのだ。

振り返れば20代のころ、プロのミュージシャンになるのをあきらめた僕を救ってくれたのは、ミステリだった。書いてみたい、という純粋な興味から始まって、デビューが叶い、収入が得られ、お先真っ暗だった僕の人生は一変した。

そのミステリを、気づけば僕はないがしろにしていた。小説を書くのに邪魔なものだとすら考えていた。そんな僕に、ミステリや小説を愛する人たちが味方してくれるわけはなかった。

そんな僕を、作家の廃業すら考えていた僕を救ってくれたのは、やっぱりミステリだった。あらためてミステリに真剣に向き合った作品で、僕はランクインや賞のノミネート、そして何よりもたくさんの方の激賞によって、自信を取り戻したのだ。

僕は決意した。ごめん、ミステリ。もう決して、きみのことをないがしろにしたりはしないよ。僕はこれからも、ミステリ作家として生きていくよ。

続けて書いた『道然寺さんの双子探偵 揺れる少年』では、かつての手応えが完全に戻ってきた。『夏を取り戻す』で学んだノウハウは『珈琲店タレーランの事件簿6 コーヒーカップいっぱいの愛』に生かされ、正直これは器用に書き上げた、苦労の少ない作品だったのだが、タレーランシリーズでも一番と言えるほどの好評をいただいた。

そして僕は苦しんでいた2017年ごろから続いていた連載をすべて完結させ、新しい作品の執筆にとりかかった。

僕を救ってくれたミステリと、業界へのお礼のつもりで。

「一球入魂」と感じてもらえる作品をお届けするために、すべて書き上げてから連載、という形式を版元にご了承いただいて。

それが小説推理に連載中の長編、『Butterfly World』なのである。

このnoteを書いている今日、連載最終回の原稿を担当さんに送った。掲載されている原稿は、第三稿である。

とてもいい作品が書けたと思った。僕が胸張って大好きだと言える作品を書いたのだから、全然評価を得られなくてもかまわないとさえ思った。

この作品を書き上げたいま、僕は本当に幸せなのだ。

あのとき廃業しなくてよかったと思った。歯を食いしばって、ミステリに向き合ってよかった。あのときギブアップしていたら、この作品はこの世に生まれなかった。

刊行は夏を予定している。まだ、連載中に生じたいくつかの問題点を修正しなければならないが、ここまで長い時間をかけてきたことを思えば手間には感じない。スムーズに、入稿へと向かうだろう。

絶対に、みなさんに読んでもらいたい。半年くらい先になりますが、何卒よろしくお願いいたします。

その前に、今月は1年2か月ぶりの新刊が出る。

『春待ち雑貨店 ぷらんたん』の文庫化だ。

ゲラを読み返して、あらためて本当にいい作品だと思った。第二話『クローバー』を読んでいるときは、自分で書いたくせに初校でも再校でも泣いた。この作品に対してさまざまな批判が寄せられたことに、いまでは自分でも驚くほど落ち込まなくなっていた。

当時の自分に出せるベストは出した。結果的に、ミステリから逃げた作品ではあったのかもしれないが、当時の自分にはそうする必要があったと思える。でなければ、あの作品ほど丁寧で繊細な文章を書くという経験はできなかっただろう。その経験を、今後はミステリにも生かすことができると確信している。だから、数年ぶりに読み返してみて、あの作品が間違っていたとはまったく思わなくなった。解説を書いてくださった方も、力強い言葉で褒めてくださった。

『春待ち雑貨店 ぷらんたん』、ぜひ読んでください。いまより少し若く、青かった僕の熱意と、そこから再びミステリへと歩みだす僕の足取りを感じ、『Butterfly World』へ進んでいただければ幸いです。


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