ルッキズムと身体醜形障害の話――『Butterfly World』連載開始に寄せて

8/27発売の双葉社「小説推理」誌上にて、長編連載『Butterfly World』がスタートした。長い時間をかけて準備し、第二稿までを書き上げて臨むもので、とても思い入れの強い作品だ。連載をしっかり走り切り、満を持して単行本の刊行を迎えたい。

ところで、告知のツイートの中に「ルッキズムがテーマのひとつ」と記した。この点について、少し補足しておきたい。

『Butterfly World』は蝶の翅を持つ人型のアバターを操作するVR空間《Butterfly World》で起きる事件に主人公が挑むという話だ。BWではアバターの見た目を自由にカスタマイズできるため、見た目が意味を持たず、ルッキズムが根絶されている。かような設定から、作品を作る過程でルッキズムというテーマが自然と浮かび上がってきた。

とはいえ、本作はあくまでも本格ミステリ長編であることに重きを置いている。そもそも僕は本格ミステリ作家を自負しているが、特に『夏を取り戻す』を本格ミステリ大賞の候補に選んでいただき、本格ミステリ作家クラブに入会して以降、本格愛に満ちた作品を書きたいという思いが強まった。双葉社さんとはそれ以前から本格ミステリ長編を作りましょうという話をしていたものの、本格ミステリ大賞ノミネートという経験が、『Butterfly World』においてより本格ミステリとしての純度を高めることにつながったのは間違いない。

したがって、本作ではルッキズムというテーマを扱いながらも、深く掘り下げすぎることを意図的に避けてある。どっちつかずになってしまうと感じたからだ。特殊設定の本格ミステリ長編であることを最優先し、その中でルッキズムもサブ的なテーマとして無理なく浮かび上がってくるようなバランスを心がけた。

ところで、本作を読み進めていく中で、「身体醜形障害」というキーワードを思い浮かべる読者が必ずいるはずだ。

結論から言うと、僕は本作において「身体醜形障害」という言葉を使わなかった。ルッキズムのテーマから外れてしまうことを懸念したがゆえである。

知見のある方はご存じだろうが、身体醜形障害は基本的に、容姿に問題がないかあっても微々たるものでしかない人が発症する病気だ。専門書には、身体醜形障害の患者は平均以上の容姿をしていることが大半、という記述もある。

他方、ルッキズムとは容姿により社会的弱者が生まれてしまうという問題を言い表している。優れない容姿を持つ人が、そのせいで不利益を被るのはおかしい、という考えが根底にある。これは、身体醜形障害とは相いれにくい。よって、本作では身体醜形障害という言葉を一切用いなかった(身体醜形障害ではない、と書くのも一人称視点では難しかったりする。身体醜形障害の患者は、実際に自分のことをひどく醜いと感じているからだ)。

しかしながら、僕自身は身体醜形障害に一定の関心を持っていた。というのも、自分がそうなりかけた時期があったからだ。

高校生のころ、中途半端に癖がある自分の前髪が嫌で嫌で仕方がなかった。受験勉強をしなければいけないのに、鏡を見ながら前髪をずっといじり続けて、何時間も無駄にしてしまうことが多々あった。結局どんなにいじっても気に入ることはなく、いつも憂鬱な気分になっていた。

大学に入り、パーマをかけるようになってその悩みは改善したのだが、はたちを過ぎたころから今度は髪が薄くなり始めたことを気にするようになった。20代の前半は特にひどく、それだけで死にたくなるほど暗い気持ちになることが何度もあった。いままで誰にも話したことはないが、振り返ると絶対にその必要はなかったのに、髪が薄いのをごまかすための道具を購入したりしていた。皮膚科にいって薬をもらったこともあったし、市販の育毛剤を購入したこともあった。外出時に常に帽子を被っていた時期もあった。

どちらも日常生活に支障が出るほどではなかったので、身体醜形障害とまでは言いがたく、精神科などにかかることもなかったが、明らかにその傾向はあった。身体醜形障害について書かれた本を読むと、家庭環境や性格特性などの点において、僕は身体醜形障害になりやすい要素をはっきり有していた。

幸い、その悩みは歳をとるにつれて軽くなっていった。日に日に髪は薄くなりつつあるが、僕ももう34歳である。この歳でここまで髪があるのだからまあいいか、と思えるようになった。事実、身体醜形障害のほとんどは思春期から青年期にかけて発症し、その後は歳をとるごとに軽くなることが多いそうである。僕も典型的に当てはまっていたわけだ。

(少し話は逸れるが、僕は中学生のころまで眼鏡で地味な見た目をしており、恋愛にも縁がなかったので、自分のことを不細工だと信じ切っていた。高校や大学でそんなことはないと人から言われる機会が増えても、しばらくはまったく信じられなかった。二重まぶたに憧れて毎晩風呂でまぶたをいじっていた時期もあったし、鏡に向かってもっとかっこよくなるようにと自己暗示をかけようとしていた時期もあった。いまでは自分の顔も嫌いではないが、心からそう思えるようになったのは作家デビューを果たし、自分に多少なりとも自信が持てるようになった20代半ばのことだ)

近年まで自分が身体醜形障害になりかけていたことなど考えも及ばなかったのだが、専門書を読んで初めて、あれがそうだったのか、と思い至った。自分ですら苦しかったのに、実際に身体醜形障害で苦しんでいる人はその比じゃないだろうから想像を絶する。

『Butterfly World』では意図的に掘り下げなかった人の見た目に関するテーマだが、どこかではしっかり掘り下げたい、と感じていた――そして、次に書く予定の長編で、身体醜形障害を扱おうと考えている。

実はこちらも2年近く前から動かし始めている企画で、身体醜形障害を取り上げることは早くから決まっていた。近い時期に、人の見た目に関する作品を続けて書くことになったのは、偶然ではないだろう。まさにいま、僕の中で、それは大きな関心事なのだ。

次回作に関しては、まだストーリーの骨子がぼんやり見えてきた程度で、完成には程遠い。刊行は早くても1年以上先になる。

『Butterfly World』でのルッキズムの扱いについて、物足りなさを感じる読者もいるかもしれない。それは以上のような経緯に基づくことをあらかじめ断っておく。次の作品ではしっかり向き合うつもりなので、ぜひそちらを楽しみにしていただきたい――まだあまり何も決まってはいないのだけれど、予告しておくことで自分の逃げ道をなくしておこうと思う。

というわけで、いよいよ連載が始まった『Butterfly World』、渾身の力作になっているはずなので、まずはこちらをお楽しみいただければ幸いです。


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