これからのこのミス大賞の話をしよう

最初にお断りしておくが、今回のこの記事に書かれたことはすべて何のエビデンスもない、僕のごく個人的な印象に過ぎない。誤った知識を持たれぬよう、お気をつけてお読みください。

第10回『このミステリーがすごい!』大賞からデビューして、はや7年以上が経過した。

ミステリーをうたいながらもそれにとらわれない、あらゆるエンターテイメント作品を広く募る懐の深い賞である。大賞賞金は1200万円。もともと業界最高額を意識して設立されたそうで、一時はポプラ社小説大賞にその座を奪われながらも、現在も文学新人賞の最高賞金額を維持し続けている(たぶん)。

賞金額の高さのほかにも、最終選考委員が書評家である、選評が一次選考からすべてネットに掲載されるなど、ほかの賞と一線を画す特徴をこのミス大賞は備えていた。宝島社という、それまで文芸のイメージがほぼなく、新人育成に特化した(現在、この点はかなり変化したが)版元が主催していた点もそのひとつだろう。このミス大賞は、あまたある文学新人賞の中でも、きわめて特異な立ち位置にあったと言える。

ところでこのミス大賞、意外にもほんの数年前まで、「出身作家の生き残り率が高い」という噂をしばしば耳にした。

はっきり言って、僕は当時から眉唾だと思っていた。「生き残る」という言葉を明確に定義したうえで、他賞の受賞者とこのミス大賞出身者それぞれその定義に該当する作家の割合を出して比較したデータを参照しない限り、「生き残り率が高い」という言説の正当性を評価することは不可能だからだ。一部の出身作家がいろんな意味で目立っていたため、そう見えるに過ぎないのではないか、と僕は解釈していた。

しかし今回はあえて、この言説を正しいものと仮定してみようと思う。このミス大賞の出身作家の生き残り率が高いとしたら、その理由はいったいどこにあったのか。

思い当たる理由はいくつかある。たとえば、書評家が受賞者を選び、また版元が「隠し玉」として受賞ならずとも作家をデビューさせるシステムがあることはのそのひとつだ。

ほかのほとんどの文学新人賞は、書き手のプロである作家が選ぶ。すると、文学的(あるいは、ミステリ系新人賞ならミステリ的)に価値のある作品が受賞する傾向が生まれる。一方、書評家は読み手のプロであり、作家よりも一般の読者に近いと言える。したがってこのミス大賞の最終選考委員は、あくまで読み手の立場から優れた作品、面白い作品を選ぶ。版元が選ぶ場合もこれに似て、というよりさらに一般読者の感覚に近いはずで、究極的には会社として利益が得られるであろう作品、すなわち売り上げが期待できる作品を選ぶに違いない。

どちらがいいとか悪いとか、そういう話ではない。ただ、出版されたときに、より一般の読者に受け入れられやすい(はっきり言えば、売れやすい)のはどちらかというと、後者であるように思われるのは、そう無理のない感覚だろう。

お笑いのコンテストを思い浮かべてもらうとわかりやすいかもしれない。多くの文学新人賞は、芸人が審査員を務めるM-1やキングオブコントと同じだ。これに対してこのミス大賞は、視聴者や観客が投票して一等賞を選ぶ形により近い(近いというだけで、違うんだけど。書評家も版元もプロだし)。爆笑オンエアバトルやにちようチャップリンなどの番組がこれにあたる。芸人として売れることがテレビの視聴者層の支持を集めることなら、後者のほうが売れやすいように思われるのは必然だ。芸人の世界には「楽屋の帝王」といった言葉もときおり聞かれるように、玄人のあいだではウケるのになかなか売れない芸人というのがいると聞く。

これと同じことが、文学新人賞でも起こりうるのではないか。評価は高いのに、なかなか本が売れない。反対に、業界内の評価が高いわけではないが、本が売れる。「生き残る」という言葉の定義は一概には言えないが、少なくとも本が売れている作家が「生き残れない」ことはない。だから、このミス大賞作家の生き残り率が高くなる、という論法である。

ただし、M-1の受賞者が順当に売れることも多いように、文学的に評価された作家もまたシンプルに本が売れ、生き残ることも多い。そこでもうひとつ、このミス大賞作家が生き残ってきた理由を挙げたい。

それは、このミス大賞は「権威」ではなかったという点だ。

僕がデビューした第10回時点で、このミス大賞は海堂尊さんの『チーム・バチスタの栄光』というメガトン級のヒット作を筆頭に、いくつものベストセラーを輩出していたけれど、はっきりとした形で文壇からの評価を得た先輩作家はまだ少なかった(もちろんこのミス大賞の黎明期を支えた先輩作家さん方には尊敬の念を抱いているし、賞の歴史の浅さや体制の未成熟が評価を得るうえでハンディキャップとして作用した面は少なからずあったと僕は考えている)。柚月裕子さんが宝島社作品として初の文学賞となる大藪春彦賞を受賞されたのも、東山彰良さんがこのミス大賞出身者として初の直木賞に輝いたのも、僕がデビューした2012年よりもあとのことだ。そのほかにも乾緑郎さんの作品が大藪賞の候補に選ばれたり(奇しくも柚月さんに受賞を譲った)、山本巧次さんの作品が『このミステリーがすごい!』でトップ10入りを果たしたりと、一定の評価を得る作家は現れ始めたが、その多くはこのミス大賞が第10回という節目の年を迎えて以降の出来事であり、賞の成熟の表れと言える。(補足しておくと、海堂さんの作品は2012年以前にすでに何度も文学賞の候補に選ばれていた。ほかにも僕の知識が浅すぎるだけで、すでに評価されていた作家さんもいらしたかもしれない)

だから第10回時点では、このミス大賞からデビューが決まったところで、楽観的な観測を持ちにくかったのだ。実際、僕は書きかけの原稿を江戸川乱歩賞に応募するため、隠し玉のお話をいったん保留にしてもらおうとさえした。新人賞を受賞するチャンスは基本的に一度きりであり、このミス大賞の受賞ですらない隠し玉では売れる気がしなかったからだ。(むろん、宝島社サイドには驚かれた。とはいえ佐藤青南さんも似たようなことをおっしゃっていたので、ほかにも近いことを感じた作家さんはいたのではないか。僕自身は若気の至りというか、いまでは考え直してよかったと心から思っている)

当時のこのミス大賞はまだ権威とは言いがたかったため、出身作家はあぐらをかいている余裕がなかった。だから、なりふり構わず必死にならざるを得なかった。たとえば中山七里さんの超人的な執筆ペースは、その戦略のひとつであったのだろうと拝察する。佐藤青南さんはみずから営業努力を続け、ある種のモデルケースになった。書店訪問や合同サイン会や交流会など、青南さんが業界に与えた影響は計り知れない。

その必死さが、生き残り率に直結した可能性はある(そしてそれは、ほかの賞の出身者もまた必死であったこととは関係がない)。僕はデビュー作が異常な売れ方をしたという、やや例外的な立ち位置の作家だが、それでも一作目のヒットで慢心などしていられなかった。自分なりに精一杯やってきたことは、このミス大賞出身者としては二人目となる『ベスト本格ミステリ』選出(一人目は乾緑郎さん、三人目は友井羊さん)、そしてこのミス大賞出身者として初となる本格ミステリ大賞候補選出といった事実が、少しは証明してくれていると思う。

真実がどうあれ、「このミス大賞出身者は生き残り率が高い」と何度も耳にしたことは確かだ。そして、ここでようやく、この記事のタイトルを思い出していただきたい。これからのこのミス大賞の話をしよう、である。

ここ数年で「このミス大賞出身者は生き残り率が高い」という話を、まったく耳にしなくなったような気がするのだ。

初めに断っておくが、このミス大賞からヒット作が出なくなったわけではない。山本巧次さんの『八丁堀のおゆう』シリーズ、岩木一麻さんの『がん消滅の罠 完全寛解の謎』、志賀晃さんの『スマホを落としただけなのに』など、ヒット作はコンスタントに出ている。実はこの何年かでこのミス大賞の体制が変わり、その影響は甚大だと個人的には見ているが、それでもきちんと結果を出している作家さんはいる。

でも、どうなんだろう。生き残り率が高い理由のひとつが「権威」ではなかったことだとすると、もしかするとこのミス大賞はヒット作を多く輩出してきたことで、また出身作家が評価され始めたことで、「権威」になりつつあるのかもしれない。応募者が「このミス大賞からデビューしたら売れる」と信じられる、信じてしまうような賞になったのかもしれない。

それはこのミス大賞が辛抱強く続けてきたことの正しさと表裏一体なのだから、複雑だ。「権威」になったことは、喜ぶべきことなのだろうか。それとも嘆くべきことなのか。

僕は宝島社の担当編集者に会うとよく、「いま勢いのある新人はどなたですか」と訊ねる。恥ずかしながら多読ではないため、後輩の本はほとんど読めていない。それでも後輩作家の景気のいい話を聞くのは好きだし、同賞出身者としてうれしい。何より、このミス大賞が盛り上がってほしいと常々思っている。

だから僕は、特に新人・若手のこのミス大賞作家さんに呼びかけたいのだ。なりふり構わず、必死にやっていこうぜって。「生き残る」なんて最低限の目標じゃなく、業界のトップランナーになれるよう、全力でがんばろうぜって。

もちろん、僕もそうしてきたつもりだし、これからもそうするつもりだ。まだ、偉そうに何かを言える立場にはない。何をも成し遂げてはいないからだ。それでも7年以上やってきた身として、少しは後輩の刺激になる活動を示せたらと思う。いい作品を書く。定期的に作品を発表し、本を刊行し続ける。そして、ゆくゆくはシリーズ外でもヒット作を出し、また文壇やミステリ界から評価される作家にならなければと覚悟を決めている。

同業者はライバルでもあるが、それ以上に戦友だ。一冊の本が売れたとき、ほかの本が売れなくなるのではなく、近いジャンルの本も読まれるようになるのだ。ひとりの本好きが生まれたら、その人はきっと別の作家の本を手に取るのだ。特にその恩恵にあずかりやすい同賞出身作家を、応援しないわけがない。反対に、賞の価値をおとしめるような情けない活動しかできていない作家がいたら、叱咤したくもなると思う。

だから、ともにがんばりましょう。このミス大賞からスターがどんどん生まれてくれることを、僕はいつでも心より願っています。

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