ある編集者の話

今年の5月に発売された連城三紀彦『運命の八分休符』(創元推理文庫)の解説の中で、僕は次のようなエピソードを記した。

二〇一四年二月、当時福岡で作家活動をしていた私は、打ち合わせを兼ねて上京した際にお会いした東京創元社の同い年の編集者から、一冊の文庫本を渡された。
「これ、岡崎さんに読んでほしいんです」

この文庫とは、連城三紀彦『恋文』(新潮文庫)だった。連城作品との出会いを綴ったエピソードで、僕の小説観に多大な影響を与えた出来事だった、と認識している。

その、僕と同い年の女性編集者――Hさんとしておこう――が、10月末日で東京創元社を離れた。

僕はその事実を、仲良しの作家さんから伝え聞いて知った。というのも、Hさんは僕の直の担当ではなく、サブ担当のような形だったからだ。転職にともなう準備や連絡で追われており、僕への連絡は後回しになっていたのだろう。

はっきり言って、僕はとても驚いた。同業他社への転職が非常に多い業界である。編集者が他社に移るのは日常茶飯事だ。けれども僕がデビューして以来、東京創元社の編集者が他社に移るという例は聞いたことがなかった。

僕は会社員経験がなく、転職がどういうものかは想像するしかないが、きっと多くのことを考え、悩みに悩んで、決断したのだろうなと思った。その苦労が、決して短くはない付き合いからはっきりと察せられた。だから僕は、彼女の決断を支持し応援できる作家であろうと決めた。

Hさんとの出会いは、僕がデビューして間もない2012年の12月までさかのぼる。

僕はミステリーズ!新人賞に応募していた関係で、東京創元社のとある編集者さんにデビュー以前からお世話になっていた。デビューが叶い、僕が当時住んでいた福岡で初めてお会いすることになったとき、その編集者さんについてきたのがHさんだった。

実はこのとき、喫茶店で軽くお話をしたあとで、お仕事の都合で福岡にいらしていた米澤穂信さんと合流してお食事をご一緒した。デビュー前から愛読していた作家さんにお会いするのは初めてのことで、ガチガチに緊張したのを憶えている。僕が予約した水炊きのお店に行ったところ、たまたま米澤さんが水炊きがお好きとのことで、その点ではファインプレーだったのだが、二軒めに案内しようとするも心当たりの店を見つけることができず、全然違うお店に入ってしまって冷や汗をかいた。そこでHさんが「ごまさばが食べたかったのでうれしい」とフォローしてくれなければ、僕は平静ではいられなかったかもしれない。

というわけで、その日はHさんの印象もそこまで強くなかったのだが、後日仕事絡みでメールをするうちに「おもしろい人だな」と思うようになり、同い年の気楽さもあって親しくなった。当時、僕はまだ20代半ばでデビューして日が浅く、編集者という存在にもある種の憧れがあったので、同世代の編集者と仲良くなれることに浮かれていた面もあったと思う。直の担当ではないという点も、接しやすく感じられた一因だろう。

以来、Hさんには公私ともに大変お世話になった。彼女がプライベートで福岡に来たときに食事をご一緒したこともあった。僕が東京に引っ越した日、つまり東京生活初日の夜に、一緒に飲みにいったのもHさんだった。引っ越しでクタクタになった僕にねぎらいの言葉をかけてくれたのを憶えている。

あまり酒に強くない彼女が、酔うとまれにタメ口になるのがおもしろかった。僕が「作家になっても全然モテない」と愚痴ると、「モテるために作家になったんですか」と鋭い一言を返されたときはグサリと来た。そして、紹介してくれた連城三紀彦『恋文』は、いまでも生涯ベスト短編集のひとつに挙げ続けている。直の担当ではなかったけれど、『夏を取り戻す』の際は打ち合わせにもご同席いただき、たくさんのためになるご指摘をいただいた。

同い年で、キャリアもそれほど変わらないHさんのことを、僕は編集者として尊敬していた。年齢や性別を問わず、優秀な編集者さんとお話しするのは知的好奇心を刺激されて実に楽しいものだが、僕はその楽しさをHさんとの交流の中にも見出していたのである。

(Hさんが優秀であることは、あの『屍人荘の殺人』を編集したという実績を挙げるだけでも充分伝わるだろう。なおこの記事は、今村昌弘さんの10月31日のツイートを受けて書いている)

近年は以前ほど交流がなかったが、Hさんが僕の作家生活の初期を支えてくれたことは間違いなく、心から感謝している。そのHさんが東京創元社を離れるというので、過去を振り返ってしみじみしてしまう――僕ら、ずいぶん歳をとったよなあ。

Hさんからは転職のご挨拶のメールをいただいた。その中で、彼女は『運命の八分休符』の解説について感謝を述べられ、「岡崎さんにとってあれが何かのきっかけになったのならば、私が東京創元社で編集者になった意味があったんだと思います。」と記した。

解説を書いていたころ、Hさんが転職することは知る由もなかった。けれどもいま、あらためてあの解説を書いてよかったと思う。彼女の東京創元社での足跡は、彼女が担当したたくさんの素敵な本たちを読めば充分かもしれないけれど、僕が記したエピソードは彼女本人の記録として、本の中にいつまでも残り続けるのだから。

……と、ここまで書いてきたのを読むと何だか惜別のようになってしまっているが、Hさんは同業他社に移って編集者を続けるそうなので、今後もお世話になることがあると思う。むしろ、今度こそ僕の直の担当編集者になる可能性もなくはないわけで、よりいっそうお世話になるかもしれない。

というわけでHさん、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。同い年の戦友として、これからも文芸盛り上げるべくがんばってまいりましょう。






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