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ゼノブレイド3 ラッキーセブン抜刀がそこまでアツくない問題について考察

この記事は最終話までのネタバレを所々含みます。
未クリアの方は閲覧をお控えください。
計3500文字になります。


1.初めに

「Xenoblade」直訳をすれば「異質な剣」。タイトルに挙げられる通り、ゼノブレイドシリーズでは主人公が持つ「武器」が大きな意味を持ってきた。
無印ではモナド、2では天の聖杯。
特に武器が変化するいわゆる「覚醒シーン」は、シリーズファンにとっては胸アツものであり、今回の「ラッキーセブン」が物語でどんな意味を持ち、どのように変化をしていくのか私はひじょーーーーーに期待を持ってゲームを進めていた。

しかし、待てど暮らせど明確な「覚醒シーン」はやってこない。
モナドと言えばどのシーン?
天の聖杯と言えばどのシーン?
この問いを挙げればシリーズファンならちょっとした論争を起こせそうなものだが、ゼノブレイド3におけるラッキーセブンの代表的シーンについては、……?となってしまう。

なぜか? そう、アツさが足りないのだ!
そして、そのアツさのためのカタルシスに欠けるのだ!

ということでだいぶ雑な導入になるが、このnoteでは「抜刀とアツさ」というテーマを元に、これまでのシリーズにおけるカタルシスの作り方と比較しながら考察をしていきます。

あ、ちなみに今回考えていくのは「第6話 成人の儀」のシーンです。


2.抜粋した場面

今回比較をするうえで、無印と2から持ってきた「抜刀」シーンがこちら。ここは雑に感想を書いているだけなので読み飛ばしていただいて構いません。

無印(第9章 監獄島でのモナド2解放)
モナド3と迷いましたが私はここが好きですね!今でもムービーだけ見返しちゃう。
主人公の覚醒シーンという王道の展開が繰り広げられる中、モナドに表示される「人」という漢字。圧倒的にアツい展開であるはずなのに、その漢字の意味するものに異様な不気味さを覚えてしまう。
王道展開に身体は無条件で盛り上がる一方で、「あれこれ本当に盛り上がっていいやつ?!」と脳が混乱する。簡単には言葉で表現できない興奮を与えてくれるシーンであり、文句なしの名シーンだと思います。

2(第7話 第3の剣の抜刀)
文句の言ようのない王道中の王道の覚醒シーンだと思います。
ベクトルが敵に向かうタイプの覚醒ではなく、内面に向かうタイプの覚醒シーンであり、無印とはまた違った感動を生み出してくれました。特にレックスの演技がずば抜けていることもあり、正直「この俺にくれーっ!」で泣いた。2の作風に賛否両論はあると思いますが、この少年漫画っぽい素直な「抜刀」は惹かれるものがありました。

3.カタルシスの作り方

では、抜粋した二つのシーンがなぜアツいかを考えていきます。
まずはそれぞれのシーンの概略に目を通して見てください。

無印(第9章 監獄島でのモナド2解放)
メインヒロインを殺され、その上モナドが無効という圧倒的な絶望感を演出してきた黒い顔つきに対し、シュルクの「斬る」という意志で抜刀したモナド2で一気に逆転する。

2(第7話 第3の剣の抜刀)
心を折られたレックスと、力を恐れ自ら消滅を望んだホム&ヒカだったが、仲間の支えを受けて立ち上がったレックスの「信じて受け入れ前に進む」という結論に呼応し、ホム&ヒカが第3の剣とクソダサスーツを解放して一気に逆転する。

というかんじでした。
さて、よく見るとこの二つのシーンは同じ構造(作り方)になっています。
それがこれ。

【カタルシスの構造】
① 絶望や挫折など、何かしらの壁がある状況
② ①の状況を打破する主人公の意思
③ ②の意思による形勢の逆転・好転


無印では無敵かと思われていた敵を、斬りたいという意志で変化したモナドを用いて倒すという「能力」に焦点を充てたカタルシスが、
2では挫折を経験したレックスが、精神的に成長したことで真のドライバーとなり第3の剣を生み出すという「精神」に焦点を充てたカタルシスが、それぞれ上手く表現されていることがわかります。


4.ゼノブレイド3ではカタルシスの構造が破綻している

では、この構造を通してゼノブレイド3のラッキーセブン抜刀を見てみましょう。

ゼノブレイド3(第5~6話 ミオの成人の儀)
① Nに牢屋送りにされ、何もできず処刑の日を迎える。ミオの成人の儀を目の前にして何もできず、ミオの「ありがとう」に対しただ叫ぶことしかできない。

② 死に際に見せる笑顔が「未来を託せたことへの満足」によるものだと気づく。その上で、死に際にしか笑顔を選べない、生きている中で笑顔を選ばせない世界をぶち壊したいと意思を固める。

…おお、ここまでは良い!ここまでの流れはすごくいいぞ!
①の絶望から気づきを得て、②でしっかりと意思を持つことが出来ている!ならばあとは③で行動に移すだけだ!

③ 特になし。

そう。特にないのである。実際に起こった逆転劇はコチラ。

③実はミオはMと入れ替わっており、 消滅したのはMであった。Nがその事実に絶叫するなか、ミオが他の仲間を解放。なんかインタリンクもできるようになって、形勢が逆転する。

おいいい!重要な逆転シーンM&ミオに全部持ってかれてるよ!おいいい!

ていうか、ノアが挫折して再起して…っていう一連の流れ、全部Mと入れ替わった後の出来事なので、これノアがどういう精神状況であろうと成人の儀が始まった時点でミオ達の勝ち確だったんですよね。

できれば…!できればノア自身の力で状況を打開する描写がほしかった…!

※妄想&蛇足
例えば6話の白い霧の回想シーンが終わり、斬首の瞬間にシーンが戻った瞬間に、ラッキーセブンがNの剣を寸前で止めている…とか。そういう展開が来ても良かったんじゃないかなぁ……(ゼノ2の覚醒シーンでコアクリスタルが独りでに浮いてシンの刃を止めたやつのオマージュ)


5.で、結局なんでノアのラッキーセブン抜刀はアツくないの?

結論から言うと、物語の「逆転」の場面でラッキーセブンが使われていないからだと考えます。

実際、ノアがラッキーセブン(終の剣)を抜刀するのは動揺しているNをみんなで割とボコった後。いや若干間に合ってないのよ!あと1、2シーン早く抜刀してくれ!!!
そのシーンで、ノアは終の剣を抜きながら「世界が命を縛るなら 世界を断つ」と言い放ちます。やっとこさここでノアが意思を表明しました。
しかし、終の剣自体の効果・効能は特に説明されず、なんかNのコアを傷つけたっぽいことしかわかりません。ここも問題ですね。
武器が変化し、新しい能力を得たにもかかわらず、主人公陣営のやることには変化がなく物語が展開しない。多分覚醒シーンとして演出したいんだろうけど、覚醒して何が変わるのかいまいちわからないな~と思ってみてました。

この点で無印と2はとても上手くできていた気がします。
無印ではモナドに映し出された「人」の文字が能力を示唆し、2ではホム&ヒカの背後に立つアイオーン・デバイスがその力の強大さを示唆していました。どちらのシーンにおいても、やはりこのゲームは「Xenoblade」の話なんだなと腑に落ちていた印象です。

モノリスは無印、2を通して、「剣」=「意思」というイメージを意図的に作っていたように思えます。そして自分の「意思」が形になった時に剣が変化する。視覚的にも分かりやすい表現です。これが3においては少しふわっとしてしまった上に、肝心の剣も演出的に上手く使われていない。これがラッキーセブンにおけるアツさ不足の要因ではないかと考えている次第です。

6.終わりに いつの間にかシャナイアの母になっていた

ということでこの記事は終わろうと思いますが、この記事を書くにあたり色々見返しながら思ったことは「ゼノブレイド3に期待をかけすぎてしまったのかもしれない」ということです。

ゼノ(wii)、ゼノ2、ゼノDEをしゃぶりつくした私ですが、ゼノ3のメインストーリーについては、大方の評価と同じく「微妙」というのが正直な意見です。「微妙」というか、なんか「勿体ない」って感覚が近かったですね。これで終わってしまったゼノブレイド3というコンテンツが勿体ないという感覚。まぁその話は良いです。
一方で、こちらも大方の評価と同じく、サブクエやキャラクターなど、総合的に見るとかなり楽しめたなと。

そこで気づいたんですね、ああ、勝手に期待をし過ぎて勝手に失望してしまっていると。そうか、私はシャナイアの母になってしまったのだと。
ゼノブレイド3の得意なところはメインストーリーや演出ではなく、フィールドやキャラの造形、6人パーティーの人間味、BGMなどなどなのかもしれません。
「お前の得意はちげーだろ!」というゴンドウの言葉が良く沁みますね。

はい。

もし余力があり、また記事への評価が多ければ、ゼノブレイド3の感想やストーリー考察もまとめようと思っています。

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