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古史古伝「竹内文書」とは ①

太古の歴史を今に伝える
「古事記」「日本書紀」よりも遥か昔の古文書がある。

「古史古伝」
古代の権力闘争に敗れ、歴史の闇に葬られた多くの事実がそこに記されている。
先人たちにより、

密かに継承されてきた数多くの古史古伝の中で
最も壮大なスケールで綴られているものが「竹内文書」

そこには、宇宙創造から始まる数々の史実が記されている。太平洋を眺める茨城県北部の町「磯原」竹内文書の眠る神宮がここにある。

皇祖皇大神宮 ここに竹内文書を受け継いだ人物がいる、第68代館長 竹内康浩。継承されてきた竹内文書の現在の所有者である。

「由来」
時の天皇(武烈天皇)が今までの真史をどうやって残そうかと、このままではいけないということで、それ(真史)を竹内家という所にまとめなさいと勅命を下したという。

竹内文書の原本は神代文字と呼ばれる文字で書かれとぃる。5世紀後半、神倭朝26代武烈天皇の命により

その神代文字は漢字カナ混じりに改められ、歴史の表舞台へ姿を現わすかと思われた。ところが継承のいなかった武烈天皇から

継体天皇が皇位を簒奪(さんだつ)した。自分を正当化するため歴史を歪曲した。
この説は古事記・日本書紀には記されていないが、

武烈天皇の在位期間の短さや、皇室の背景を考えると、信憑性の高いものと考える歴史学者も多い。

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こうして権力抗争に敗れた武烈天皇と共に、竹内文書は歴史の闇へと葬り去られた。

「太古」

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68代館長竹内康浩 曰く
「竹内文書は宇宙創造であり、
地球を造り。
世界を造り。
世界の国々を造り。
そこに五色人という人々を造られたという、
雄大な文献であります。」

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竹内文書には宇宙創生から神々の降臨、その神々の子孫であり、日本人の祖先とされる天皇スメラミコトと呼ばれる人々の世界統治などが記されている

宇宙の創造神「元無極躰主王大御神」モトフミクライヌシオオミカミから天神の時代を経て、
天神七代の皇太神

「天日豊元葦牙気皇主光大神」アメヒノモトアシカビキミヌシミヒカリオオカミが神々を率いて地球の日本に降臨。上古初代の天皇となった。

この上古の時代は25代にわたり世界が統治され、続いて不合朝73代とときが移される。
その後、

神武天皇を初代とし現代の天皇に至る神大和朝の時代を迎えることとなる。それではその歴史のすべてを見てみよう!

竹内文書その壮大な内容から世界最古の宇宙創世記とも言われる。

「天神七代」
天神一代から七代までは宇宙、地球、人類創造の歴史が記されている。

天神一代?
天神二代? ← 飛ばされている!
天神三代?

天神四代で地球に生命が誕生し

天神五代で初めて天皇(スメラミコト)が地上に降り立ったという。その場所が今の岐阜県大野郡船山あたりであると竹内文書に記されている

“富山県五箇所山天柱石”この巨石は天皇として地球に降臨した神々が、天と地を行き来していた場所と言われている。

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天神六代の時代には祖地球の公転を元に、1年の長さを360日と定めた。

天神七代の時代には自然気象・遺伝子工学・農業技術・医学・宇宙工学など、各分野における専門の神々が地球を人類が住める完璧な星に造り上げていった。

またこの時代に天皇(スメラミコト)は、(今の)岐阜県位山に大宮を建設し、天神人祖一神宮(アマツカミクニツカミハジメタマシイタマヤ)として、世界統治の拠点とした。

天神七代で完成した地球の統治権は、天から降りて来た天皇から地上の天皇へと移ることとなった。

※ 天から降りて来た天皇は、
“天御光太太陽貴王日大光日大神”

※ 地上の初代天皇は、
“天日豊本葦牙気皇主躰光天津嗣天皇”
(アメヒノモトアシカビキミヌシミヒカリオオカミ)

「上古二十五代」
天神の時代に終わりを告げると上古の時代が訪れる。この時代になると天皇(スメラミコト)は天空浮舟に乗って、万国巡幸を執り行い、その目的は視察や王の任命であったと言われている

天皇(スメラミコト)は15人の王子と1人の王女を世界の主要な地域に派遣し、それぞれの地域を守らせた。

世界に点在する十六菊花紋と思われる紋様が超古代文明の存在を思わせる。

天神時代 天皇(スメラミコト)は、地上で発達した現世人類に天皇の遺伝子を注入し、人類を五色に分けて世界に散りばめ、

これを五色人と呼んだ。オリンピックは超古代人の祭典を伝えるものだと言う。

「上古10代」
高皇産霊身光天津日嗣天皇(タカムスビ ミヒカルガ アマツヒツグ アマノスメラミコト)の時、

天神人祖一神宮(アマツカミ クニツカミ ハジメ タマシイタマヤ)を富山に移し「皇祖皇大神宮」と改めた。
現在もその歴史を伝えるために小さな祠として残っている。

上古時代に入ると神代文字が生まれた。
その形と音に神のエネルギーが宿っており、天皇(スメラミコト)は平和と幸福のために

神代文字で天地和合の御守りを作り、人々に与えていたと言う。平和を求めた天皇(スメラミコト)の思いとは別に、

人民にやましい心が芽生えると、神の怒りは天変地異という形で現れた。その度に五色人はほぼ全滅し、天皇(スメラミコト)とその一族が、

天空浮船で地球外の惑星に避難した。そして時を経て再び地上に新しい文明を築くことを繰り返していた。

不合朝第六代 石鉾歯並執楯身光天津日嗣天皇
この時代から宇宙の神霊と天皇(スメラミコト)との交通が終わり、

神霊から神勅を賜わることが出来なくなった。以後 天皇スメラミコトは信託を統治の指針するようになった。

※神勅〜神からの命令、文書のこと。
※信託〜信用して委託すること。

不合朝の後期には現在、聖人としてその名が伝わっている人物たちは、日本を訪れたと言う。この時期日本は大地震により、

壊滅的な状態になっており、その国力も弱まり、天皇スメラミコトの力も世界に行き渡らなくなっていた。

神大和朝になり、ようやく現在認知されている歴代の時代に入ったが、伝わっている内容は大きく違っている。

不合朝の末期 日本は復興に国力を注いだが、世界は次第に天皇スメラミコトの存在を忘れ始め聖人と呼ばれる人はそれを憂い、

天皇スメラミコトから学んだ“宇宙の真理”を伝えることを使命とした。しかしキリストに神技を伝授した「武雄心親王 」の孫である竹内宿禰

が、天皇スメラミコトの代行として万国巡幸したのを最後に一つだった世界は、バラバラになり。

それぞれ独立した国として自己主張するようになった。こうして超古代文明の記憶は歴史の闇へと、埋もれていった。

youtube 竹内文書 (john silver)

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