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6/7「神代秘史百話」(竹内文書)

七十五、 人間の定命(寿命)

第8代天皇 260億21080歳 2600歳?
第9代天皇 270億5万歳 2700歳?
第10代 天之御中主神 260億歳 2600歳?高皇産神 110億100万歳 1100歳?神皇産神 100億50万歳 1000歳?國常立尊 350億歳 3500歳?
伊邪那岐尊 150億歳 1500歳?
天照皇太神 180億歳 1800歳?
天仁仁杵尊 132万歳 1320歳?
彦火々出見尊 163万歳 1630歳?
初代 葺不合尊 383万歳 3830歳?

上記の如く天照皇太神までは ↑
1年を 千万年数えたのではないかと思われ。
その以前は1年を 千年と数えたようである。

葺不合になると
第10代 685歳
第30代 481歳
第50代 482歳
第70代 319歳

となっているから、
1年を1歳に数えられたと思われる。

神武天皇は187歳で崩御されている。

葺不合第2代の御代に自今(これから後〜禁ず)人生を2000年以下に
定めるという神勅があった。


七十六、 不老長寿法

人間は元来 肉食すべく造られていない、
穀食主義は理想である。

神代当時の“長寿法”第一は“ 石南茶 ”)石楠花シャクナゲ
を食後に必ず、常用としていたようである。

※高山植物で花には毒があるので、葉のみ使う

七十七、 石南茶(シャクナゲ)

石南茶は不老長寿の名薬で天皇以下重臣が
義務として常用せねばならなかった。

この石南茶は第26代 面足日子天皇の皇子
“惶根黄人高貴守尊”が創製されたもので、
唯 ” 竹内宿禰家 ”に伝わっている。

元来が高山植物であるから
高山に居住された方々の常用として
便利であった、が

人為栽培すると成分が変わり、
霊能を失うから 一々、
高山から原料を採取していた。
ヒマラヤ方面に繁茂するという事である。

欧羅巴では薔薇に似てるので
ローデンドロンと呼んでいる。
花には毒があるので葉を使用するが、
葉も四季によって“製法”が変わる。

この秘伝が竹内宿禰家のみに与えられたため
初代382歳(最高)
200歳以上は6人
150歳以上も6人
100歳以下は少数人 これは石南茶に関係すると思われる。

※モーゼが日本に来たときは81歳であったが
12年間滞在し、
120歳の時にビスガ山で昇天したことになっているが、
実は死んだのではなく、更に“ロミエラス“と
なってローマ國を建国した。
「モーゼは天国に行き天使と共に
シェキナを食べり」と猶太古文書にあるのを見ても”石南茶の効能は明らかである“。

注)その後モーゼは日本で583歳まで生きて多くの子孫を残したという説もある。

七十八、 大和魂

キリスト教とは分かり易く言うと
“献身犠牲義勇奉公”である。

大和魂は誰でも口にするが
果たして実行しているかどうか、
口で言うことは易く、身体で行うことは
難しいこと。

大和魂の正体は”ヒヒイロカネの神劍“だ
何百万年 経っても、如何なる所にあっても
”露微塵錆もせず“
”折れも曲りも曇りもせず“常に
青々として 生色あるもである。

この神劍の奉安所を”タマシイヒタマヤ “即ち、
”神社⛩”と申し上げるが、

これを体得している日本人 各自は
“神社”であらねばならぬ。



七十九、 天の逆矛(サカホコ)

※その形から“勃起した陰茎”のこと

逆鉾の由来について秘史によると
逆鉾を立てられたのは
”鵜草葦不合第四代天皇玉噛尊“
であらせられると明記されている。
それは、天皇政治を暗示したものである。


八十、 天杯由来

天皇より賜る酒杯を“天杯”と通称しているが、
神代当時に於いては”天杯“は”太陽神“に
捧げられる神酒を言うたのではある。

今日天杯を賜るということは、殿様から御杯を下さるということと全く意義が異なっていて、
神命に由り”神劍を洗い清める”という深遠なる意義が含まれておらねばならぬ。

八十一、 天の安河原

神都(高天原)は絶えずその所在地を変えていた。

“天の安河原”は天照太神に関係している時に出ている(古事記)
天照太神の神都 即ち”高天原“が
何処であったかというと
“越中 神通川の一支流山田川の西にある
”御皇城山“であった。即ち

天の安河というのは今の”常願寺川“であろう。


常願寺川 と 尖山(酒井勝軍が発見したピラミッド山)


八十二、 萬機公論

“神代の政治”は萬機公論であった。
独り政治ばかりではない。
世界問題も国家問題も家庭問題も
社会問題も個人問題も、
大小問わず公論によりて決められた

日本の政治は 逆矛式であり、 ラジオ式である
民衆に政権を与えることは反逆である。

八十三、 筆紙墨

神の元祖はエジプトの”パピルス“の
ように云うが、”筆紙墨“の元祖は日本であり、
そのことが秘史の記録で明らかである。

第8代天日豊本葦牙氣天皇の皇子 が
油煙に油を交えて”墨“を造られたり、

”麻“ 又は”楮(クワ科)”の皮で紙を造られたり、
“竹” “鳥毛”にて筆を造られたのである。

そしてこの “筆紙墨”はこの天皇の御代に
創定された。

神代秘史の書かれた用紙は
一見 奉書のようであるが、
実は兎皮を巧みに製したものである。
奉書は後に これを模造したもので
あるというから、
文房具は著しく進歩していたようである。

※奉書(奉書紙)・・楮コウゾで作った上質の紙


八十四、 男女問題

天則上 男女平等ではない、又 同権でもない。
太陽は先に、太陰は後から現れたから、
順序としては 男は先に
女は後になるのが当然である。

天之御中主天皇 以前には女性の天皇は無かった
ところが天之御中主天皇の“皇孫” 即ち、
“第13代天皇”に初めて女性が天皇に即位した。

そして、
“第14代天皇”も亦 女性の天皇であったが
その後、
”第29代天皇” 即ち “天照太神” 迄は、全て男性の天皇であった。

葺不合朝に於いては“第18代天皇”が女性天皇であったが、見逃すべからずことは

女性天皇の夫は1人に限られていたが、
男性天皇は皇后以外に12人の侍妃を持っていた

当時 官使は男女を問わなかったのは、男子だけでは足らなかったのが理由である。

**八十五、 神代日本の気候 **

日本海の中央以北 日本に近いところに驚くべき広大な地滑りがあったために、
日本の西海岸は約二百間(364m) 陥落し、
九州方面は反対に隆起したのである。

その以前には暖流が
自由に日本海を通り抜けていたため、
日本海岸は東沿岸よりも著しく
温暖だったのである。

八十六、 神殿造営

地球萬國の中心は“日の本の國”で
“日の本の國”の中心は“高天原”で
“高天原”の中心は“神宮”である。
例えて言えば人体の“臍“に当たるのである。

神宮は太陽を通じて宇宙神 ”元無極神“である
”ナンムアーミン“との連絡を永久に証明する
ものである。

神殿はヒヒイロカネであったので、このため神宮は”金の家“と呼ばれていた。

八十七、 高天原の崩壊

もし仮に関東大震災のようなものが全日本的に起こったら、日本は10年後復興が出来たであろうか。出来ないばかりか、異国の旗が路頭に翻っていただろう。

葺不合71代天皇の御代にこんな事実がある。
「即位21年カナメ月ナム大地変地震人全部死す」
記録によるとこの大地震は
全日本に亘ったもので、
2回の大地震に全日本に大変動起こり、

西南部は隆起し、
東北部 特に日本海方面は400m大陥落し、
200mの大津波があったと書いてあるから、
高山を除くほとんどの人は惨死した。

その結果、今迄 高千穂にあった皇居を移す必要があり、“大和の生駒山“を新たに神都にされた

高天原は半永久的に”越中御皇城山“にあったが、この大震災と大海進?とで高天原が崩壊したので都を”生駒山“に移したのである。神武東征の歴史は侵略ではなく”神都復興“であった。

※御皇城山(おみじんやま)



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