テンプレ小説のオリジナリティについて。もしくはストーリーテリングのコストから見たテンプレの存在意義について

はじめに:書籍化とWeb小説の立場

メンタルヘルスを損ねてしまったため、特効薬としてラブコメ小説を読み漁っています。

とはいっても「売り物としての小説」はそれを購入するために出費が必要で、貧乏な私にとってはかなり痛いため、読み漁るのには適していません。私が読んでいるのはもっぱらWeb小説です。Web小説であれば無料で気軽に読むことができます。また、品質についても、一昔前であれば「初心者による痛々しい妄想ばかりだ」などと蔑まされてさえいたWeb小説でしたが、最近はそのような評価ばかりではないように思えます。

最近は、連載していたWeb小説がレーベルからの誘いを受けて「売り物としての小説」に生まれ変わる(書籍化される)ことも少なくありません。商業的に成功するための足掛かりとしてのWeb小説、という見方をしている人も少なくないでしょう。事実として、小説投稿サイトは、書籍化を賞品として据えたコンテストを開催していることがあります。

個人的にこの流れはうれしいものです。商業的な成功を動機とした一部のWeb小説の質の向上は、やがてWeb小説全体の質の向上へと繋がります。趣味としての執筆の場が商業化へ向けた踏み台とされることを望まない人もいそうではありますが、一介の読者としてはやはり質の高いものを読みたいのです。そのための動機は多ければ多いほどいい、と思うのは当然でしょう。

小説の質を左右する、主人公の行動原理

「質」なんて言葉を使うと、まるで私が批評家気取りの痛々しいオタクに成り下がるようで苦しいですが……事実として、質と呼べるような巧拙は存在します。

小説の書き方講座、というものを覗いてみたことがあります。より面白い小説を書きたいと熱意を燃やす人に対して、小説にはどのような要素があって、どう描写していくべきかについて解説するものでした。(ちなみにその講座は小説投稿サイトの運営者によって、そのサイトの中で開かれていました。こういったところからも、Web小説だからといって質が低いというわけではなさそうだ、という考えに繋がってきます。質を高めようとする力は働いているのです。)

私は別段小説家になりたいと思う人ではないので、その講座を最後まで読むことはしていません。読んだのは最初の部分だけでした。けれどその最初の部分でされた解説の中に、とても印象に残っている知識がありました。それが、「主人公には何かを求めさせよ」というものです。

よりよい言い方をすると、「主人公には一貫した明確で妥当な行動原理を持たせよ。そしてその行動原理を読者に明示せよ」というものです。主人公の目指すところがはっきりとしていなければ、読者の想像がかきたてられることもなければ、読後感も何もありません。言われてみれば当たり前ですが、当たり前すぎて意識しづらい知識だと感じます。

テンプレとオリジナリティ

Web小説を読み漁っている中で、いくつか気付いたことがあります。まず、テンプレ物が多いこと。次に、テンプレ物だからといって面白くないとはならないこと。そして、テンプレとは言ってしまえばただの抽象型でしかないこと。

テンプレとは、その小説の舞台設定や主人公の行動原理や物語の展開の型のことです。ファンタジーとかSFとかのジャンルより細かな区別で、「溺愛要素のある異世界貴族転生ファンタジー」とか、「乙女ゲーム世界へ悪役転生して破滅回避に奔走する」とか、「追放されるも悠々自適な生活で見返して復讐する」とか……。

そこまで詳細な型に則った物語なんてもうオリジナリティのあるものではないのではないか、と思ってしまう人もいるでしょう。過去の私がそうでした。どこかで見た舞台で、どこかで見たキャラクターが、どこかで見たやり取りをしている。過去の私にとって、そういった作品は序盤だけでもうギブアップでした。

しかし今、私は序盤でギブアップしたことを後悔しています。テンプレ物の中にも面白い物語があることを知ったのです。これは偶然だったと言えるでしょう。まだ見たことがなさそうな舞台・キャラクター・やり取りで、ギブアップしようかと考えあぐねていたときに、その物語の真の魅力を理解しました。それまで私はもったいないことをしていたと自覚しました。

しかしここで気になるのは、「面白いテンプレ物」はどこが面白かったのか、です。これについて考えたとき重要になったのが、「主人公の行動原理」と「それを読者に明示するコスト」、そして「テンプレの存在意義」でした。

ストーリーテンリングのコストと時間稼ぎ

前述の通り、物語において主人公には行動原理があるべきです。魅力的な過去で形成された芯のある性格があるから、これからに期待が膨らみます。そしてこれを伝える媒介としては「物語性」が使われることが一般的でした。作者が書きたいと思い、読者が読みたいと思うのは、設定集ではなく物語なのだから、ストーリーテリングとして主人公の行動原理の背景を説明するものなのです。

しかしこの物語性を介した説明には当然ストーリーを展開させる必要があって、これには時間がかかります。その間も何かしらで読者を魅了し続けなければいけません。極端に言うと、主人公に芯がない状態でも魅力的に描く必要があるのです。まだ素性の知れない人の過去語りなんて、どう魅力的に描けばいいでしょうか?

テンプレートは、「最初の魅了」のためにあるように感じました。物語の最序盤、どうしても主人公は芯のない——もしくは少なくとも読者にとってはまだ芯がどういったものかわからない——形で描かれることになります。しかしそのままではあまりにもつまらないから、テンプレを使って、「悪役に転生してしまった。このままでは正義の味方の主人公に殺されてしまう。生き延びることを目標に悪いことをしないでいよう!」とする。こうすれば、本当の魅力的でオリジナリティのある芯を示すまでの時間稼ぎができるのです。

過去の私は、オリジナリティを出しようがない段階でオリジナリティを評価してしまっていました。あまりにも性急な行為です。テンプレはあくまで抽象的な基底クラスであって、そこから継承される要素ものもあれば新たに追加されるもの、オーバーライドされるものもあります。オリジナリティをもたらすには時間がかかります。最序盤だけで判断するのはあまりにももったいないと言えるでしょう。

おわりに:楽しむには書き手側の知識も必要?

過去の私はテンプレ物を「オリジナリティのない作品だ」と不当に評価していました。今の私がこの評価が不当だと判断できるのは、書き手側の知識を持った状態である程度しっかりと読み込むことで、テンプレの存在意義を確認したからです。

Web小説は盛り上がっています。商業的にも注目されています。それでもなおテンプレ物が廃れないのは、明確な利点があるからでした。それに気づけずにいたのはよくありませんでした。書き手側の、テンプレを使おうとする心理を理解できていたら……。もしかすると読み手として存分に楽しむには、書き手側からの視点、書き手側の知識も必要なのかもしれません。他の芸術でもそのようなところはありますしね。

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