失速した生活

クリスマスを迎え、2023年も残すところ1週間ほどとなった。世の中は少し浮き足立ったような雰囲気だが、つつがなく進行している。クリスマスから年末年始へと話題は移りつつも、つつがなく。そういえばテレビで手帳のCMを見た。新たな年に新たな手帳——心機一転、すばらしいことだと思う。

過去の私は手帳や日記帳というものにこだわっていた。過ぎ行く日々を過ぎ去るままにするのではなく、書き留めることで確かなものにする。実体を持った過去は現在、そして未来に活かされるのだ……というような考え方をしていた。惰性から、過ぎ去る日々に見向きもしなくなったのはいつからだろうか。今でもその考え方には共感するが、だからといって毎日のように手帳や日記帳に向かって自身を省みることができるほど、私は元気でも文化的な潤いに満ちてもなかった。

しかし……。2023年を振り返ろうと思う。毎日のように省みることはできなくとも、1年に1回くらいはできるだろうし、その程度はすべきだろうから。

ゲーム実況動画の制作

2023年は動画編集をよくしていた印象がある。実際、SNSの私自身の投稿を振り返ってみても動画編集のことばかりつぶやいている。「もっと気軽に作業できるように環境を整備したい」とか、「頑張ったので今日はここまで!」とか。

そのときの私が作っていた動画は、音声合成ソフトを使ったゲーム実況動画だった。10分程度の動画が時系列順に複数ある、シリーズ形式となっていて、そのシリーズを始めたのは2022年の7月だ。現在そのシリーズは完結目前の状態であり、制作中のパート40の完成を以て完結させようと考えている。2023年1月1日にはパート22の動画を投稿していた。

……このことからわかる通り、私の動画制作の効率、動画の投稿頻度は著しく低下している。去年は半年で20本以上の動画を投稿できていたというのに、今年1年は20本に満たない。単純計算でも半減。たくさん投稿すればいいというわけではないが、こうも進捗が悪化するといろいろと思うところがある。

進捗悪化の原因として考えられる要因はいくつかある。例えば、自身の能力を過大評価していたために当初立てていた計画がうまく遂行できなくなり、手戻りが発生したこと。当初の私が考えた無謀な計画を前に、試行錯誤したり泣く泣く修正したりする作業が必要になっていた。本筋から離れた作業量の増加はモチベーションの低下にも繋がった。事前調査の軽視と不足。きちんと物事を考えて進めていれば防げていたはずだ。今の私がなんとかしなければならない。

また、持病の悪化という不測の事態が発生したというのもある。去年よりも目に見えて悪化した持病は、私の体に発作を、私の心にストレスを与えた。当然作業はしづらくなり、モチベーション低下に拍車をかけることにもなった。

去年より今年の方が自由に使える時間は圧倒的に増えている。昨年度の私は学生だったが、今は無職だ。重い持病があってできる仕事がないという意味で、「無職」というより「療養中」という言葉の方が適しているかもしれないが……手につけた職がないという意味では変わりない。学生時代も(通信制高校の学生だったというのもあって)余暇時間はたくさんあったが、今はさらに多くあるはずだ。だというのに成果は少ない。悲しいことだが、事実として受け入れなければ反省もできない。受け入れ、なんとかしよう……。

持病の悪化と入院

悪化する持病に何も対策を講じなかったわけではない。定期的に通院していたし、7月の初めには入院もした。

入院生活は苦しいものだった。1日1万円以上する差額ベッド代を払えるわけもなく、私が押し込められたのは他の患者もいる合部屋。私の病気は原因不明の難病ではあったが一応脳神経内科の管轄で、病棟も脳神経内科のもので、他の患者も脳神経に何らかの問題を抱えている人だった。……そう、脳卒中だ。当然患者の年齢層は高く、親よりも高齢の他人と生活を共にするのは苦痛だった。大きな咀嚼音を立てて食事を摂る人がいた。大きないびきで私の睡眠を妨害する人もいた。明け方になると寝言として怒鳴り声を上げる人だっていた。私の治りかけていた睡眠障害は著しく悪化した。

とても寝られたものではない深夜の病棟で、私はプログラミングをして気を紛らわせていた。とあるOSSの開発に少しでも貢献できたらと頑張っていた。貢献の余地はたくさんあって、暇潰しにはもってこいだった。

治療の効果は見られなかった。退院後、それまでの西洋医学的アプローチは取り止められ、漢方薬や鍼治療といった東洋医学的なアプローチが取られた。しかし持病は鍼治療の最中に発作を起こすほどにまで悪化し、鍼治療は中断された。漢方薬は効いていない。打つ手はなくなった。病気を抱えつつなんとかしなければならない。

根拠なく否定された私の貢献

退院後もそのOSSへの貢献活動は続けていた。とある機能にあった問題の解決のため私は開発チームのメンバーと議論しようとした。しかしそこで私は、根拠なく意見を否定されるという憂き目に遭った。「もっと抜本的な改善をしたい」という何にでも使えそうな魔法の言葉によって私の考えは稚拙なものだとの烙印を押された。

私を拒絶した開発チームは抜本的な改善のために作業を進めたようだったが、結局その作業は「変更点が膨大になる」という自身の誤りを正当化しつつなかったものにできる魔法の言葉によって破棄された。半年後、否定され拒絶された私の考えと同じ実装が、私ではない人によって為され、開発チームはそれを拍手とともに迎え入れた。

馬鹿馬鹿しい。

失速した生活

ついに打つ手のなくなった持病はありとあらゆる活動に制限を課し、自身の浅慮によってハードルが高くなっていた動画投稿という趣味は、もはや継続が困難な状況にある。もう一つの趣味だったプログラミングは、今やトラウマを呼び起こすだけのものに成り下がった。

どう見積っても不健康な生活は、文化的な潤いすらも失っている。現在審議中の障害基礎年金の受給申請が通るかどうかで来年の生活は変わってくるだろうが、期待はできない。私はすでに一度、不可解な理由によって落とされている。自力でなんとかしなければならない。仕事を見つけて……働いて……。

クリスマスは終わり、2023年もあと1週間で終わる。世の中は少し浮き足立ったような雰囲気だが、私の心は深く沈んでいる。心機一転、新たな年に新たな心持ちで——。もしそんなことができたらすばらしいことだ。結局、実体を持った2023年は活かすも何もないような様相だった。

……私には何もできないから、どうか何もさせようとしないでくれ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?