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エブリデイ大原美術館 4日目〜フォンタナに騙されるな!〜

「やっぱり美術館へ行って、本物を見るのが良いよね〜」
なんで??なんで??
きっと、いくつも答えはある。
今日、私はこれが言いたい!「騙されているぞ。我々は」

今日の作品は、ルチオ・フォンタナの「空間概念 期待」

キャンバスを真っ赤に塗って、3本の裂け目が入っている作品。
はい。情報量はこれだけ。
見たら一瞬でわかる。
この絵の通り過ぎる人のスピードは速い。ふーん。

キャンバスには質感がある

図録やポストカードでこの絵を見ると、
真っ赤なキャンバスはツルッとしていて、光沢がある。

実際のキャンバスはざらざらしている。
ある程度均一にざらざらとしたキャンバスに、なるべく均一に塗られた赤。
この赤も、本当に均一ではない。

裂け目の周辺は、黒ずんだ部分がある。影なのか何のかはわからない。
これが、痛々しさを増幅する。
傷口の周りに内出血をした部分があると、急に暴力感が増す。

真っ赤だと思っていた赤は、次第に変化する。
10分以上見ていると目が錯覚するのか、少し朱からピンクのように
見えてくる。
赤のキツイ印象が落ちていく。

裂け目は描かれている?

3本の裂け目は、描かれていない。
本当に裂けている。
黒く見えるのは、裂けた向こう側が黒いのだ。
私はてっきり、裂け目を描いているのだと思っていた。

左の裂け目は、細くて短い。少し曲がっているが素直な裂け目。
上部の裂け始めと、下部の裂け終わりは細く、ツ〜ンととがり痛い。

真ん中の裂け目は、少し大人になった感じ。
左より大きく、黒の部分が強い。
同様に両端は鋭角だが、
膨らんだ裂け目は多少の強弱はあるものの、一定で表情は少ない。

右の裂け目は、イレギュラーだ。
他の2本よりスタート地点は少し高いところからやってくる。
遠回りに裂いてくる。1番裂け口が広いのも右側の裂け目だ。

3本は川の字になっているが、川とは違うリズムがある。
裂け目は縦でないとダメなことがわかる。
横に裂けていた場合を想像すると、怖さも痛さもない。

そして、何より美しい。

本当に裂けている

本当にキャンバスが裂けている場合と、
裂けている絵を描いている場合では、何が違うのか。

裂けているから、楽しめること。
見る人の立つ場所によって、裂け目が違う。
私は、右へ右へよって見るのが好き。
右の裂け目は強調され、より向こうの世界が気になる。

描いていたら、楽しめたこと。
何かで引っ掻いて、裂け目を作ったのではなく、
仮説1
少しずつ中から開いてきた途中の姿という説。
仮説2
裂けた部分が、閉じている途中の姿という説。

逆説的にはなるが、
本当に裂けていることで、裂けた状態からの動きを感じない。

裂けた向こうの世界

裂け目を3本入れただけ。
この裂け目がなければ、キャンバスをただ真っ赤に塗っただけ。
裂け目があることで、あちらとこちらが生まれた。
関係性と言ってもいいかもしれない。

裂け目の向こうは真っ暗な闇。
満月を見たとき、空に丸い穴が空いて、空の外から光が差し込んでいるように見えたことはないだろうか。

この現実とは違う、異空間の入り口(もしくは出口)が存在する。
この裂け目は異空間につながっている。
向こうの世界から、す〜っと冷たい風が流れくる。
ボ〜〜〜〜っと低い音が響いてもいる。
ん?人なのかさえわからないが、何か気配を感じる。
チラチラとこちらを見ているかもしれない。

本当は、何もない世界。
無の世界が広がっているのかもしれない。

天神山文化プラザ

前川國男が設計した天神山文化プラザ(当時は岡山県総合文化センター)には、フォンタナのようなものがある。
と思っていた。

天神山文化プラザ

空調の吹き出し口の切れ込みをフォンタナ風だと思っていた。
これはこれで楽しい。
しかし、全く別物だったことに気付く。

裂け目のシャープな美しさもない。
建物の壁でなので、向こう側が存在する。
キャンバスは一枚の板のようなもので、向こう側がない。
向こう側がないのに、裂け目がか見える向こうの世界にドキドキするのだ。

フォンタナに、たくさん騙されていた

私と同様に騙されていた人は多いと思う。
実物を見た方がいいというのは、フォンタナによって証明された。

エブリデイ大原美術館 3日目はこちらから

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