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自転しながら公転する / 山本文緒

金色夜叉をベースとした物語の進行ではあるが、この本で作者の伝えたかった事のひとつは、「日本経済、日本社会の将来性のなさ」ではないかと思っている。

今現在日本よりもベトナムの方が経済的に豊かであり、もっと言えばインドネシア、フィリピンの方が日本よりも豊かな国になっている。

もはや日本は底辺国家になったのにもかかわらず 高齢者はまだ日本が先進国だと勘違いし続けている。

生まれ育った国の、ちょっとでもしくじったら揚げ足をとってくる、顔だけは笑っている狭量な人々に囲まれて生活する感じ。

お洒落な人は狭量だと言われたことを思い出した。お洒落とは人との差異だから、それはそうだと思った。そういえば前の恋人は物凄いグルメで、だから狭量だった。入った店で味のよくない料理を出されると別人のように口汚く罵った。何かに拘れば拘るほど、人は心が狭くなっていく。

そのセクハラ上司と貫一が、女のでっかい胸に興味があって触ってみたいと思った点は同じ、とまでは言わない。だけど、その違いを察して善悪を判断するのも女の私の役目なの?

死因は八〇年代からずっと癌がトップで増える一方。年間の自殺者は二万人強。先進国の中ではトップクラス。交通事故死の約六倍。少子高齢化率も世界の中でダントツ。社会保障費はばんばん増えて、年金受給年齢はどんどん上がって、支給額はがんがん下がるだろうな。不安じゃない日本人なんかいないんじゃねえの

この国に「未来はもはやない」のだ。それが裏メッセージだと思っている。

この物語は派遣社員、アルバイト、フリーターで働いている日本の若者が、いかに不安を抱えながら生きているかと言うのを物語を通して、読者に確実に伝えてきている。

もはや日本の方がベトナム以下の経済力になっている。そのことにも日本国民がまるで気づいていない。「老害」と言われてもしょうがない。実際に日本が落ちこぼれたのは昭和世代の責任だ。誰も追求しないけど。

この物語で、私はにゃー君と都が結婚したの結末になるのであれば、 星5をあげてもいい気持ちでいた。貫一と結婚ていうのは、あまりにも「昭和」すぎていて、興醒めだった。

貫一と結婚することでは、この作品のメッセージ性が薄れるだけで何のメリットもないと思ってた。実際そうだと思う 。

だけどももし都とにゃーくんが結婚した場合、あまりにもオブラートに包まない日本批判になってしまう。昭和批判になってしまう。

もうすでに「高齢化社会になった日本に対し日本国はクソだ。」っていってるような内容の本ではあるんだけれども。

この本は、現在日本を生きる若者にとってどのように生きるべきかに対する回答の1つであり、また若者だけではなく、高齢者にとってもどのように終活をするべきかという回答の1つでもあると思う。

私にとって望んでいた結末はにゃーくんんと都の結婚ではあった。そのほうが、令和の今は正しいゴールに思える。とても「昭和」な結末だった。そもそも「金色夜叉」がベースなのでそこからあまり離れてしまうのは文法的に美しくない、か。

金だよ、金。拝金主義がふたりを引き裂いたんだ

ラプラスの悪魔っていうのはなあ、十九世紀フランスの数学者のラプラス卿って人が考えた理論で、人類のたどるシナリオはすべてあらかじめ決まってるって概念

運命はないってことは正解はないってことじゃない。正解はないってことは間違いもない、つまり失敗もない

貫一って上から目線なのに、中卒なのはいいとして、豆腐メンタルなのは治ったのだろうか?

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