客観性の落とし穴
村上靖彦 筑摩書房(ちくまプリマー新書)2023.6
現象学的方法論で医療や介護分野を研究されている村上さんの青少年への投げ掛けです。
はじめに
数値に過大な価値を見出していくと、社会はどうなっていくだろうか。客観性だけに価値を置いたときには、一人ひとりの経験が顧みられなくなるのではないか。(p8)
一見すると、客観性を重視する傾向と、社会の弱い立場の人に厳しくあたる傾向には、直接の関係はなさそうだ。しかし、両者には数字によって支配された世界のなかで人間が序列化されるという共通の根っこがある。そして序列化されたときに幸せになれる人は実のところほとんどいない。勝ち組は少数であるし、勝ち残ったと思っている人もつねに競争に脅かされて不安だからだ。(p11)
第1章 客観性が真理となった時代
第2章 社会と心の客観化
客観化する学問そのものが悪いわけではない。客観化が、世界のすべて、人間のすべて、真理のすべてを覆い尽くしていると思いこむことで、私たち自身の経験をそのまま言葉で語ることができなくなることが問題なのだ。(p40-41)
第3章 数字が支配する世界
個人から組織、国家にいたるまで、子どもから大人にいたるまですべて数値で評価されている。数値に基づいて行動が計画・評価され、価値が決められるのだ。(P50)
エビデンスに基づくリスク計算に追われてしまうと、人生の残り時間が確率と不安に支配されるものになってしまう(p53)
世界が自然法則によって支配されているとみなす決定論的な自然科学の展開のなかで統計学は発達し、社会および人間は統制可能で予測可能なものとなっていく。(p53)
統計学が力を持つ現状は、自然と社会のリアリティの在処が具体的な出来事から、数字へと置き換わったことの象徴である。当初、統計は世界のリアリティについてのある程度の傾向を示す指標と見なされていたが、次第に統計が世界の法則そのものであると考えられるようになった。統計は事実に近い近似値ではなく事実そのものの位置を獲得するのだ。(p54)
リスク計算は自分の身を守るために他者をしばりつけるものなのだ。(p56)
第4章 社会の役に立つことを強制される
社会の数値化が能力主義を生み出し、さらには現代的な差別を生み出す(p59)
数値化・競争主義は、人間を社会にとって役に立つかどうかで序列化する。その序列化は集団内の差別を生む。その最終的な帰結が優生思想と呼ばれるものである。(p66)
第5章 経験を言葉にする
「私はこう感じる」「私はこうした」という経験がもつ価値が切り崩されていく。私たち一人ひとりの経験は、客観性に従属するものに格下げされてきた。数値によって人間が序列化されたときには、一人ひとりの数字にはならない部分は消えてしまう。(p81)
私が特に大事にしているのは、個人の「経験」を語り出す即興の「語り」である。それは聞き手に、生き生きとしたものとして迫ってくる。生き生きとした経験は、即興の語りの生々しさへと受け継がれる。生き生きとした経験こそが、客観性と数値によって失われたものだ。それ故語りのなかに保存された生き生きとした経験をキャッチする方法を探ることは、科学において失われてきたものを取り戻す試みである。(p83)
客観的な視点からえられた数値的なデータや一般的な概念は、個別の人生の具体的な厚みと複雑な経験を理解するときに、はじめて意味をもつ。数値的なデータの背景には人生の厚みが隠されているのだ。(p98)
第6章 偶然とリズム
私たちの行動はしばしば突発的なものであり、因果関係では説明できない。予測できない偶然の出来事のもとで、偶然の行動が生まれ、私たちはあと戻りできないしかたで変化する。その理由はしばしばあとづけされ語られる。それゆえに語りは偶然を保存するし、語りのぎくしゃくした表現は経験の生々しさを示す。(p110)
統計学は、たくさんのデータを集めて数学的な処理をすることで、出来事という本来偶然かつ個別的に生じるものから法則性を導き出す方法だ。これは学問の重要な成果だ。私たちの生活は、統計学によって偶然を統御することを抜きには成り立たない。(p114)
偶然の出来事をめぐって一方では統計学を用いて飼いならそうとする方向性があり、他方では偶然に満ちた人生にストーリーを与えて意味を探す方向性がある。(p115)
病は本人にとっては偶然の出来事であり、そのつど自分自身にとっての意味づけを探さないといけない。自分なりの意味づけは、出来事から受けたショックを起点としてストーリーを作ること、つまり他の人もしくは自分に対して経験を語ることによってなされる。(p118)
語ることでしか経験は意味を持たない。(p118)
第7章 生き生きとした経験をつかまえる哲学
客観性だけを真理として信仰するときに、経験の価値が切り詰められること、さらには経験を数字へとすり替えたときに生の大事な要素である偶然性やダイナミズムが失われてしまうことだ。(p134-135)
経験の内側に視点をとる(p135)
(1)語り手の言葉を、繰り返しや言い間違いなども含めて可能な限り尊重して採録する。そうすることでその人の身体性・個別性が保存される。
(2)語られた文脈を重視するため、ただ一人の語りを大きく引用しながら論文化する。
(3)語りのディテールを尊重した分析を行う。
(4)分析する研究者自身がどのような社会的立場に立ち、語り手とどのような関係に立つのか吟味する。(p142)
経験の個別性が持つ真理は、他の誰にとっても真理であるのではないか、と感じている。弱い立場へと追いやられた人の経験はつねに意味を持って響いてくるからだ。(p148)
第8章 競争から脱却したときに見えてくる風景
ケアを受けていると見られている「当事者」もまたつねに誰かをケアしており、とりわけその人をケアしている支援者を支えている。そして支援する実践は、誰かにケアされていない限り続けることは不可能な仕事でもある。そもそもお互いのケアは常にどこにでもあるのだ。(p151)
あとがき
「真理はそれ以外にもある」
「一人ひとりの経験の内側に視点をとる営みは重要だ」(p174)
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