239(肉、金沢、謎解き、missing)

 またMと鯖江をぶらぶらして遊んだ。
 Mがダイエットをがんばっているので、チートデイとしてステーキ屋に行った。期間限定メニューがあり、夏シーズンはサーロインステーキがおやすくなっていた。Mはサーロインを600g注文した。ろ、ろっぴゃくぐらむ!? いくらなんでもそれはヘビイなのではないかと思ったが、ダイエットで飢えた肉体にとってはちょうどいい分量なのだろうと自分を納得させていると、つづいてMはヒレステーキ300gを注文した。合計900g弱だ。きゅ、きゅうひゃくぐらむ!? 話を聞くと私のぶんも含まれているらしく、私はサーロインを半分食べ、Mが残りを食べるというさんだんらしい。さらにMはにくら飯(にく+いくら丼を作れるセット)を注文した。それはもう1キロだ。私は頼もしい気持ちでステーキにのぞんだ。
 私はふだんから少食であり、サーロインを5きれほど食べると腹八分目になった。ふだんならばこのまま食事を終えるところだ。残りはMに任せればいいかと思っていると、Mも自分のヒレステーキを半分ほど食べたところで困ったようなにこにこ笑いを私に向けていた。
「ずっとダイエットしてたから、胃が縮んじゃったみたい……」
 テーブルの上にはまだ500gぶんのステーキが残されていた。私が食べるしかない。絶望的な気持ちになりながら、私はトイレに行った。手を洗いながら推理小説のあるフレーズを思い出した。問題の細分化である。大きく複雑な問題も、細かく分けていけば見通しが立つ。確か犯人が死体をどう密室に移動したのかを、探偵が考察するおり使われていたと思うが、犯人側も同じような思考で死体を切断したはずであり、人間の肉と牛の肉のあいだに大した違いはない。私は席に戻るとサーロインの脂身の部分を切り分け、残すことに決めた。長い肉を半分に切断することで、一口大の肉が十二きれできあがった。あとは十二回口に運び、咀嚼して嚥下するだけだ。そう考えると終わりが見え、希望の光が差してくるようだった。時間をかけ、Mとともにもぐもぐとステーキを食べ、ついに私達は1キロのステーキを完食した。(なんだかんだで大半をMが食べた)
 その後腹ごなしに西山公園でレッサーパンダを見、TSUTAYAをぶらぶらし、福井のソウルフードサラダ焼きを購入し、快活CLUBでカラオケを満喫した。Mはかつてpillows好きのいやなやつと接していたせいで、pillowsにいい気持ちを抱いていないことを知っていた。坊主が憎ければ袈裟まで悪くなるのはよくあることだ。私はpillowsを避け、Syrup16gを歌った。だがそのいやなやつはsyrup16gも好きだったんだよね、と「汚れたいだけ」の間奏でMが言った。pillows好きはSyrup16gも好き。じゅうぶん予想できたことだった。

 二日目、私たちは金沢へと向かった。兼六園をぶらぶらし、謎屋珈琲店で謎を解き、脱出ゲーム「名探偵愛好家の完全犯罪」を楽しんだ。名探偵好き感のある部屋に通され、閉じこめられた。ストーリーや内容はぼかすが、とにかく脱出しなければいけなくなった。制限時間は五十分。部屋は狭く、ものもそれほどなく、ぱっと見は余裕そうに思えた。しかし想像よりも内容が充実しており、ギリギリの脱出だった。最後のステップで何もわからなくなり、また失敗するのかあと諦めかけたが、残り三分のとき、Mが活路を切り開いてくれた。Mはたびたび状況の打開策をひらめき、八面六臂の大活躍していたし、私もまあまあ活躍した気がするのでよかったと思う。私にとってははじめての脱出成功で、大満足だった。

 その後映画館で「Missing」を見た。子どもが親と遊ぶきれいな映像が、きれいな音楽にのせられてはじまる。場面転換し、母親と父親が街頭で子どもの捜索チラシを配っている。そうして娘が行方不明になった母親と父親のやりきれない感情や行動が二時間かけて描かれていく。
 物語は起伏に富み、退屈させないのに、かわいそうな親のかわいそうさを消費している感覚も抱かせない絶妙な作りになっていると思った。子どもの足取りの情報はない。不安の中、時間が過ぎていく。母親は誹謗中傷あふれるネット掲示板を見ずにいられない。何か情報があるかもしれないからだ。しかし父親は掲示板の信憑性を疑い、「便所の落書き」と言い捨てる。そんな態度が母親に温度差を感じさせてしまう。さらに失踪当時、子どもの面倒を見ていた母親の弟と、そんな家族を取材し番組を作るテレビ局の青年の視点がある。みっつの視点はどれもリアルで、苦しい。いまも現実のどこかで同じような痛みがあるのだろうと思わせる。
 石原さとみの演技ももちろんすごいのだが、何より脚本がすばらしいと思った。石原さとみはさまざまな痛みを引き受けるが、そのリアクションがバリエーションに富む。この現代に娘が失踪したとき、外側からどんなアクションが起こりうるか、それに対しどんなリアクションが起こりうるかということ、そのアイデアの取捨選択と配置が考えぬかれていると思う。次第に深まる絶望は、事実をひたすら並べているようで、きちんと構成されている。だがテレビ側の視点のとき、画面の向こうから観客を指差してくるようなやりとりのシーンがある。事実はただ事実というだけでおもしろいのだと。つまりおもしろがらせる作りをしているのに、作中で描かれていることはただの事実であり、それをおもしろがるお前らは悪だとシラを切っているように思え、底意地の悪さを感じた。そこがよかった。


にく
引きの写真ではわかりづらいけど大きいよ
西山公園から見た鯖江
鯖江周辺の地図
先月訪れたときはもふもふだったのにみすぼらしくなっていた。
換毛期だからかな。
ダイエット記念
かわいいね
兼六園
ロケーションポイント1
謎屋珈琲店
you may die in my show
甘美なる死を食べた(パフェだった)
テーブル謎解き
脱出ゲーム参加証明
ボケているが「脱出成功」にチェックマークが入っている


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