『降り積もれ孤独な死よ』僕が勉強嫌いな理由、時々、囲碁

マガポケ見てたら、ドラマ始まるのを知りました。

原作はようやく二部の過去編が終わるかといった段階なんだけど、こっから3ヶ月で畳んでドラマとペース合わせるのかな?

主人公の冴木刑事の相棒であり、風俗通いが趣味のメタボ風先輩の五味さんが、何故か、美人警部補に変わっていたり、カイジを思い出して凄く不安だから、あんまり見る気がしないんだけど、第二部の主人公?である灰川を小日向文世が演じるらしいから気になってます。 


簡単にあらすじを紹介すると、第一部の主人公の冴木刑事は幼い頃に分かれた弟ともども、親父から虐待を受けており、親父から離れた後も荒れた学生時代を送っていたものの、高校の先生に世話になり更生して刑事になりました。

人助けをしてお金を貰うやり甲斐のある仕事に付き、順風満帆だと周囲の人も見ていたのだけど、実は過去のトラウマや親父からの学習?効果は消えておらず、裏では子供を虐待するおっさんを拳一つで私刑にするあんちゃんと化しており、弟の方も母と同居してる間に泣きながら暴力を振るってしまう習慣に悩んでいました。

冒頭の大量殺人事件をきっかけとして、心の闇に向き合う事になる兄弟姉妹がどう事件にケリをつけるのかという話が第一部。


第二部では、事件の犯人こそ捕まったものの、共犯者の存在は曖昧、動機面でも新たな謎が出てきて、実質、何も解決してない状態。

そこで、捜査途中で見つけた灰川の日記を読み進める事で、全容を掴もうという展開に。

灰川は山の中でひっそりと暮らしていた怪しい宗教団体みたいな村の出身なんですが、そこでは子供が出来ないのか教義上の理由からなのか、定期的に麓の町から他所の子を誘拐して洗脳、村の一員にするというきたのちょうせんみたいな事をしていました。

村出身の著名人などが、多数、いるため、多少の無茶をしてももみ消してやりたい放題。


そこで灰川が、ある時、村の人間を皆ころころしたことは、第一部の冒頭からも予想はつくんですが、原作では、そこまでの過程こそ描かれたものの、その後に灰川が親から虐待を受けた子供たちを家族にすることになった経緯はまだ語られず。

そこが不明であるために、家族ごっこを長年していたのに唐突に息子達を捨てて出ていった時の気持ちも、第一部の犯人を知れば予想こそ出来るものの、やっぱり、本当の意味では分からない。

被害者?の側の心の闇も理解出来ないけど、加害者?家族の事も難しい。

僕は、こういう作品はすこなんだよなあと、改めて思った次第です。

じゃあ、なんで、僕はそういうのに惹かれるのかなあというのが、今回の話。





話は変わりますが、今年は梅雨入りが遅いとのことで、少し前までは涼しかったのに、急に暑くなりましたね。

僕も、仕方ないので、クーラー付けて半日過ごしたんですが、あっという間に体調を崩して、今朝まで寝込んでました。

僕が虚弱体質なだけかもしれませんが、やっぱり、クーラーは苦手。

どんだけ暑くても、扇風機や風鈴、氷枕なんかで凌ぎたいと感じます。

なんというか、僕は、人工的なものよりも自然を感ずるものからエネルギーを分け与えられるかんしょくがあるんですね。

それはモノに限らず、人に関してもそうです。


今日は昼頃から、壇家のお寺のなんたら法要とかがあって、まだ、体調が完全では無い中、人混みの中で長時間を過ごしたんですが、なんなかんやで、帰る頃には元気になっていました。

単に僕の体が熱しやすく冷めやすいだけで、時間の経過で勝手にそうなっただけなのかもしれませんが、以前にも話したように、理由は別にあるんじゅないかと自分では考えてます。

僕はお祭りが好きだと言いましたが、ちょっとしたきっかけで、なんとなくの理由で、自然と色んな人が集まって一つのことをやってる雰囲気がすこなんですね。

これが、特定の層の人を恣意的に集める企業の戦略とかになると、一気に萎えてしまう。

それでおkなら、極端な話、サカキバラが自分の裸体を晒して世間の注目を集めて本を売り、その印税を被害者家族に謝罪の証として渡すのも素晴らしい善行って話になってしまう。


最初に紹介した漫画のように、人間の行動の裏にどんな理由があるかなんか分からないんですから、僕としては、そんなことを基準にして善か悪かを決める事自体が嫌なんですね。

だから、僕としては、小さな子供がお母さんに肩たたき券をプレゼントするみたいに、たいした理由が込められていないものであればある程に都合が良いですし、なんか変に手をかけているというだけで虫酸が走るんです。

本人がどういうつもりだろうが、どういう人間か、そんなことはあんまり興味はないし、どうでもいい。

親に見られても恥ずかしくない仕事をしろなんて言いますが、僕としては、事情を知らない、知ろうとしない、そもそも知的障害とかで考えられない、赤の他人であっても、同じような感想を抱くようなものが自然であり理想なんですね。

だからこそ、たとえ、リアルに神様が記した書物とかであっても、それを人間が扱う時点で我欲が挟まるため、さも正しい事のように普及しようとする行為に違和感を覚えたりします。

神様を信じていない人が多い状況とかであれば、それはそれで偏っていると感じるため、バランスを取るために宗教活動に参加したりするんですが、状況が変われば、次の日には反対派に回っていたりする。


う〜ん、自分でも面倒くさい性格してんなあと思うし、こんな事ばっかしてるから他人に信用されないし、何か一つのことをやり遂げるという事が出来ないどころか、何かに手を出すほどに不満や怒りを溜め込む事になるんだろうなという自覚はあるんですが、どうにもならないんで仕方がない。

が、悪いことばかりでも無いんですよね、一応。

僕は人とは、悦びを感じる基準が違うため、人がしんだり不幸な目に合うのを見ると、何故か、ニヤけてしまいます。(なので、誰かと映画見る時なんかは、口元を隠すようにしてる。マスク万歳。)

誰かが、孤独に虚しく死を意識するようになる度に、『今こそ、世間一般の善悪などから切り離されて、真の感情に向き合う事になる。そして、その時になって初めて、自分が今までに理解できなかったものに対して真の共感を覚えたり、自然と同じ方向を向いている事に気づくのだ。それに至って、人間社会に生まれた事に感謝することになる。』と、何となく感じるし、実際、そういう作品は珍しくないため、その事を期待してワクワクし、自然と笑みがこぼれてしまうんですね。

僕の性癖に賛同しろなんて言いませんが、僕みたいな人間がいるということを知り、意識することで、幾らか、楽になる人はいると思うし、少なくとも、僕みたいな人間が生み出したものが誰かの役に立つ事はあると感じているため、情報発信なんかしてます。

僕は教育者でも聖職者でも無く、全ての人を楽しませるエンターティナーと自分を定義してる。


実際、その事を、僕は囲碁で定期的に体感しています。 

囲碁に関しても、当然のように逆張り戦略をとる僕なので、基本は、自分一人で延々と研究してる事が多いのですが、そうはいっても、僕一人で頭の中にたくさんの人格を用意して研究会するのは疲れます。

僕と僕が素で戦う場合、人工知能同士の碁の亜種みたいになってしまい、それはそれで困ります。

僕としては、他人の偏りを自然に矯正していく作業にやり甲斐を感じる事もあって、研究が第一の目的としても、僕とは違う考えや行動を取る存在を、最低限、必要とするんですね。

なので、研究に飽きた時とか、囲碁から離れていた時とか、半年に一回くらいは、がっつりと対局という名の研究会を開く事がある。

そこで蓄えたエネルギーを元に、再び、半年、引きこもるとかを繰り返してます。

なので、知り合いでも何でもないですけど、誰であれ、僕の研究相手になってくれる人を代えがたい大切な存在と思ってます。

【君のレートは何点だったかな?
たくさんの応援、本当にありがとう!(神に感謝)】

二週間くらい前には、一日で30局くらい打ってて、気が済んだので、新しい事してるんですが、棋譜が消えそうなので、古い棋譜から、一局、普通に適当に打ったら負けた場面を紹介して、今日の話を終わります。


言わなくてもわかるけど、白が僕。

簡単に、一手一手を打つ時に考えていたっぽいことを説明しますが、まず、最初に左下をコゲイマ受けしたのは、下辺の黒の幅が三間だったため。

右下小目の締りは大きいんですが、この布石なら、相対的に価値は落ちるんで黒に打たせたい位。

左下を強化すれば、右下への仕掛けが有力になるんで、守りを誘いました。


締まらずに更に拡大してきたのでかかります。

九はですね、少し、迷ったんですが、なんか、ここが良いと思いました。

対局中は、あんまり、具体的な手は読んでなくて、色んな図を頭に浮かべてピンとくるものを選ぶようにしてます。

こういうボンヤリした場面での自分の布石感覚を僕は信用してる。 

今、見返すと、逆のケイマに打つのは、後々、黒から上辺を飛ばれて、左辺侵入と中央ツケコシを見合いにされるのが嫌味なんかなと思う。

黒は直ぐに下の一団の形を崩しに来ました。

他にピッタリした手もないので、これ自体はもっともだと思います。

白も直ぐに動いても不自由なんで、右上と絡めます。

ここで黒は最大のミスをしたようですが、なんか、そういう時に限って、釣られてお馬鹿なことをしちゃうのが逆張り大将なんですよね。

次の一手が決め手になりますが、どこに打てば白は勝てたでしょう?



この局面から間違える人は少ないかもしれませんが、答えは外から当てて捨てる行き方でした。

この後、1の一路下に当ててこられたら、ケイマに外し棒ツギを残します。

見た目以上に厚いというか、黒地を抑えてる。

黒も、右辺側ではなく上辺側から当て継ぎくらいで捨てた方が良かった…と最初は考えたんですが、実際に、後で並べてみたら、黒が散々だったので、筋よく捨てないと駄目ですね。


当て継ぎだと、即座に置きが成立。

右辺と絡めて攻めたいんですが、どうにもならなそう。

この置きは、最初に下辺でケイマ打った時から狙っていたので想定通りといえば、そうですが、思っていた以上にキツイ。

以降は、とりあえず、ここまでは一本道だとして、ここで手が止まる。

意外と白が厚いというか黒が薄い。

変に右辺に何かしようとしても、結局、大きく、全部、治まられて大損。

黒は大人しく切り上げてふりかわるくらいですが、これも隅が大きく白に不満は無い。

そんなわけで、最終的には、こんな感じで右辺を黒に取らせる形が相場なんかなという気がします。

これなら、互角くらいな雰囲気。

検討は以上です。


自然流の僕は、盤面か対局相手、どちらかに目が行く場面でどちらかに合わせてるんで、石がごちゃごちゃしてる時にナチュラルに悪手を打つと僕も悪手打つので、僕と打つ時に勝ちたい時はおすすめです。

目の前の一手に全集中してるからこそ、未知の局面でも安定したパフォーマンスが発揮しやすいんですが、(単純に地力が足りてないなら)自然流ありきなんで、合わない人は話半分くらいで聞いて下さい。



おわり

宣伝したので、ドラマも一応見てね。

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