【乗るんだエース、進め】Kpeace フレイム・オブ・レッド【お前がナンバーワンだ】
偏見って言われるかもしれないんですが、昔から、よく聞く話で、
「料理は科学だから、職人とかと同じで、ガチでやるなら、基本、男じゃないとダメ。」
みたいなのって、あるじゃないですか。
女が握った寿司なんて食えないっていう人もいるし。
なんというか、この辺りの考えに、男尊女卑の社会観も現れてるよなって思うわけです。
これらの説の根拠は、「男は最初の内はレシピを守って、慣れてきたらアレンジを加えていくのに対し、料理下手な人というのは、何故か、レシピをなぞらずに、いきなりアレンジを加えて、案の上、滅茶苦茶になる」とのことですが、これ、レシピに書いてあるような材料が揃ってる事が前提での話なんですよね。
つまり、何が言いたいかと言うと、もっともらしい事を言ってるようで、実は、これ、机上の空論、『ぼくのかんがえたさいきょうの〇〇』みたいな空想でしか無いのではという事。
料理にしても何にしても、普通は、まず材料を探す、探して見つからないなら、自分で作るところから始めなければいけないというのが、現実では、まま、ある。
特に、人間相手にするような商売とかであれば、尚の事で、だからこそ、教育とかが最重要視される。
もっとも、悠長に教育なんてやっていられないような環境(底辺こそ、そうなりがち)だと、現場で失敗を繰り返しながらも、自分で何とかする事が求められる傾向にあるのだと思われます。
とするならば、正しいとされるレシピ(ぼくのしってるさいこうのれしぴ)を丸暗記するよりも、むしろ、レシピを無視して自分で作っちゃう人の方が、社会では評価されるのは当然なんですよね。
人を教育するというのは、色々とハードルが高いのであれば、僕らのやることって、正しい材料を用意する、正しい材料を見極める目を養う事しか無いのでは?
これが、僕が専門家とか専門用語みたいなのを嫌う理由の一つです。
それで、ここでいう正しい材料というのが、『お祖母ちゃんの豆知識』みたいに、色んな人が口にしてる事だったりする。
こういうのの優れてる所って、何だか分からないけど、人に興味関心を持ってもらえる部分だと思うんですよね。
これ、すごく大事。
ガンダムの生みの親である富野由悠季監督とか、成功者と言われるような人は、みんな、「アニメを作るならアニメを見るな。」と、専門バカになる事の愚かさを指摘してはいるんですが、最初に料理の話を例に出したように、こういう男性的思考の強い成功者というのは、やっぱり、どうしても、そっちの寄りやすいんですよね。
幾ら、本人達が、「時代はマリア主義の、さらに先にある。」みたいな話をしたところで、根っこの部分が男性社会の立役者であるし、何よりも、周囲の一般人達は、彼らの事をそのように見てしまう。
一般人から親しみやすいと思われ、興味を持ってもらうという点で評価するのであれば、普通の成功者は、不適格と言わざるを得ないんですね。
ちょっと抜けてる人とかの方が、むしろ、良かったりする。
だから、僕としては、偉い人間になろうとしたり、凄いことをしようとするよりは、『囲碁キャバクラ』みたいな冗談としか思えない事をやる方が、なんぼかマシだと考えています。
ところが、多くの人は、そういうのは軽視するんですね。
少年バトル漫画の主人公みたいに、馬鹿なことばかりやりながらも、何だかんだで許してもらって、順調に成長するって路線が無理だと感じたら、まっとうな専門家ルート(なろう系、異能力バトルのやれやれ型の主人公。感情が見えない。)を辿ろうとしてしまう。
僕らに馴染み深い例で言うと、
「何のために勉強するのかが分からない。」
という問いに対して、
「それなら、まずは手に職をつけろ。そうしたら人や社会に必要とされる。」
というようなものです。
これって、観方を変えると、「好きな事を見つけろ。」というのと、逆の事を言ってるようで、実は大差が無い気がするんですね。
それが見つからない人はどうしたらいいんだって話だし、大半の人は、そうなる。
そうして、自己責任論が広まり、自殺や引き篭もりが増える事になる。
だから、話をすげ変えたりしないで、きちんと、根本の問いに答える必要があると思うんですよ。
ということで、まとめ。
・見る目を養う事は必要であると、男性的な成功者も認めてはいる。
・が、既存のプロの料理人みたいなものを目指すやり方だと、多くの人は脱落するし、そもそも、興味を持つこと自体が無い。
・その癖、成功者(教育者)は、みんな、そんな事ばかりを言うものだから、あれこれと理屈をつけて反発する癖に、何だかんだで、自分もそういうのに憧れて、現実逃避する人が多い。(それ以外の道を知らずに育つ)
・そこで、まずは、少年漫画のお騒がせ系の主人公に対する蔑視を無くすことから始める。ナンバーワンではなく、オンリーワンを目指すのを良しとするような精神状態に持っていく。
・頭が固い凡人の最も効率的な成功方法とは、『お祖母ちゃんの豆知識』のようなもの。
・つまり、一般人でも、普通にみんなが興味を持つような分野(アニメとか)で、出来る限り、小難しくない、気楽に望めつつも学びがあるようなものを作り出すか、あるいは、囲碁の様に、中途半端な職人気質の年寄りがのさばってるような分野で『観る目を養う、簡単な方法』を生み出す、このどちらか。
他人に説教するのも、そういう人に反発するのも、どっちも同じで、嫌ならやらなきゃいいというだけの事。
「観る目がある専門家になれ!、神の一手を本気で目指すような意識の高い専門家にこそなれ!」
なんて言う人に対しては、おかしいんじゃないかと思う僕ですが、たいして、やる気がないのに、ただの暇つぶし程度でやるような人に対して、あれこれを気を使って(気を持たせて)、だらだらとやらせる事に対しておかしいんじゃないのと考える気持ちは同じです。
何度も言いますが、ナンバーワンにはならなくていいし、なるべきではないですが、オンリーワンには全ての人がなる必要があります。
そうじゃないと、一生、他人や社会に対して不満を漏らし続けるような人生になる。
成功するしないの問題ではない。
それこそが、本当の幸福、人の和に繋がるという考えで、僕はこういう発信をしています。
では、関わった人の成長と和に繋がる、観る目を養う独自理論とは、具体的にどういうものなのかですが、キーワードは『分離と虹』ですかね。
例えば、赤と青って混ぜると紫になるじゃないですか。
だから、紫を語る上で、いきなり紫とは何かについて考えるよりも、赤や青についてもまとめて捉えた方が、急がば回れで効率的だったりする。
一方で、その赤や青についても、他の色を混ぜ合わせる事で出来上がったりする。
信じたいからこそ疑うってわけじゃないですけど、一つ一つの機能面だけで物事を語るって、現実的に不可能だし、それは人々の心の分離、差別を招くだけだと思うんですね。
色んなものがごちゃ混ぜになって、扱ってる本人でも理解出来ない原理で動いてる事もあるし、物事を理解しようとするのなら、そういう現実を受け入れた上で、『総ては最初から一つではあるのだけど、手順の妙によって、千差万別、個性というものを育んでいる』という観方をするのが大事だと僕は考えてます。
だから、真の成功者は人格者が多いというのも、最初から人格者で後から成功がついてきたという人もいれば、その逆も普通にあるのだと思う。
だから、僕からすると、人はその全てを知り得ることは出来ずとも、協力自体は出来ると捉えてる。
たとえ、サイコパスの人格破綻者であったとしても、そういう思想をした方が効率的であると理解さえすれば、たぶん、人のためになるようなことはするはず。(今現在、ブラック企業の社長にサイコパスが多いのは、僕らが、そういう価値観の世界を作ってるからであり、連帯責任。)
今回は短いですが、誤解の無いように、改めて、まとめておきました。
おわり
金城宗幸の作品って、どストレートに主張が強いから、勢いがある内は本当に引きが強いし、キャラにも惹かれるのだけど、その分、主要人物が増えてくると、薄味に感じてだれてくるんですよね。
ブルーロックも、面白いは面白いのだけど、日本代表に勝ったところで終わった方がよかったような気がしなくもない。
オリバ・愛空?とか、もっとスポット当てて欲しいキャラいたのに、なんか、一気に埋もれた。
ロスストは、ようやく、騎士団イベ始まるけど、これで巻き返しなるのか!?
チャレンジイベントは、なんとか、ほぼ全部、3Sクリアはしたけど、ストーリー8章エクストラは、遂に放置で終えたし、戦力的に本当に厳しくて飽きてきた。モルドレッドも紅蓮も無しではなあ。さすがにマゾ過ぎる。
半分がログインしなくなった騎士団から活発なとこに移籍し、僕の手持ちだと来月から始まるアリーナには強いし、なんとか、こっから確変を・・・
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