令和の囲碁講座━第五回━いまさら聞けない一間高ガカリ。


先週の記事の最後に、囲碁では、『相手に何をさせるか、させたいかという手順で考える』ことが重要と言いました。

一般的には、囲碁は一手ずつ順番に打つのだから、自分の欲するものと相手の欲するものを同時に考えてバランスを取りましょうみたいに言われてるけど、それを常に続けるのは初心者にはハードルが高い。

というか、囲碁は特に序盤なんかは、高段者でも普通に悩むくらいに選択肢が多すぎるため、相手の本音を気にするどころか、自分がどこにどういう理由で打ちたいかすら分からない時って多いですよね。

だからこそ、なんだかんだ言いつつも、流行りの定石とかを考え無しに打つという、ある種、相手に対しても無礼な事が平気でまかり通ってる。

これって、言ってみれば、日本語を良く知らない外向人の転校生相手に対して、さも当然のように日本語でまくしたてるようなものですからね。

どれだけ相手を気遣った会話術とかをしたところで、全部、台無しにしてしまうレベルの雑さ。

少なくとも、囲碁普及をしようなんて考える人間の態度では無い。


そんなわけで、利己的な考えの様に見えますけど、実際問題、囲碁を長い人生に例え、対局者を夫婦みたいなものだと捉えるのであれば、まずは相手と将来のビジョンを共有するため、相手に何を期待するかから考え始める、そのくらいの腹づもりで挑むのは当然な気はします。

相手からしても、本音が見えない相手は怖いと感じるかもしれませんし。

誰かと付き合うってことは、必ず、言葉にしないだけで相手に何かを期待するものですし、逆に言うと、その何かを期待出来ない、あるいは相手の期待に応える事が出来ないと感じれば、離れていくか、そもそも、最初から付き合わない様にしたりする。

それで痛い目を見れば罪悪感を覚えて、他人と壁を作る事に繋がったりする。


だからこそ、ビジネスみたいに不特定多数の他人と付き合う事になるような場面では、お金のような無機質なモノを共通の信仰の媒介とすることで気軽に人と関わる機会を増やし、経済や社会そのものを回してるのでは無いかなと思うわけです。

多少のお金を稼ぐだけなら手段はなんぼでもありますしね。見ず知らずの相手の事を気にしすぎて動けなくなるなんてことにならない。

お金が悪とか言ったところで、ただの現実逃避にしかならないため、お金を回すという部分については許容しつつ、自分なりに良いお金の使い方、稼ぎ方の過程みたいなのを見出すのが仕事とか天職とされるのでしょうし、なんというか、どういった形で他者と対等な関係を築いていくか以前の問題として、社会で共同生活を送る上で、最低限、自覚して許容しないと始まらない事ってあるんですよね。

そこから目を背けている限り、しょうもない自分探しをしたり、無駄に劣等感とかを抱え込んだりすることになるし、パッと見は頭の回転が早くて有能そうな人にコロッと騙されたりする。

対人恐怖症みたいな僕だからこそ、その事が誰よりもよく分かってるつもりです。


ということで、今回は、大概の人が意識していない布石のセオリーについて紹介します。

ごちゃごちゃ考え過ぎて空回ってるような場面はしょっちゅう目にしますし、囲碁はもっと気軽に誰でも出来るコミュニケーション手段であるということが分かってもらえれば。


まず、布石の基本として、一般的に隅、辺、の順番に打つのが無難とされているのですが、実際に、そう打っている人が少ないというのは、三々入りが当たり前になった昨今では言うまでもないことですし、僕自身、悠長に隅を打ち合うなんて囲碁じゃないとまで口にしているものの、だからといって、考え無しに流行りだからとそんな事をしてるわけではないですし、そうするべきだとも思ってはいません。

実際、上の図は真似碁風味の布石ですが、序盤に三々入りする一方で、白番ではこういう事を平気でする人を、結構、見ますでしょ?

それが悪いと言ってるわけではなく、そういうどっちつかずの態度でいると自他の混乱を招くという事。

上の図は明らかに白良しですので、考え無しに隅から順番に打つ事が安易すぎるという事が簡単に証明できるという意味では、確かに、真似碁には初心者にとっても教育的な効果はあるのかもしれないです。

確実に隅を確保できる三々が大昔は鬼門打ち扱いされていた一方で、今は三々入りが主流なのも、カウンターカルチャー的で興味深い。

ともかく、白番ならともかく、一手多い黒番で、こんなように少しずつ囲うのは棋理に反しています。

だからこそ、最初に隅を締まるのではなく、2隅を打ったら、とりあえず、積極的にかかっていく事が推奨されてますが、かかり方にも二種類ある。


まず、外側からかかる、つまりは、相手のテリトリーを制限するというよりも、自分のテリトリーを広げるという側面の強い打ち方です。

これらの注意点は分かりやすい。

特に、高目なんかを打ってる中段者の人に多いのですが、たぶん、黒の注文としては・・・

こんな感じになってくれればなあと考えてるのだろうなと思います。

確かに、こうなれば黒が良いです。

が、普通に右上に先行されると、隅に食い込まれます。

シチョウがいいので3のツケにはハサミツケが成立しますし、3でコスミとかに受けてるようでは、右下が★で三々残りな事もあって、右辺で治まられては黒地は全然足りません。

というか、仮に白が左辺を普通に受けたとしても、この後は右下に三々入りする方が先決とはいえ、右上隅がまだいつでも手残りな時点で、黒の最初のかかりは『地にならないところを囲ってる。』緩着になってます。

布石の終わり頃から中盤には、相手の模様が完成する一步手前で打ち込むようにしましょうなんて言われますし、プロ試験でヒカルが和谷相手に荒らしまくって勝ちましたが(趙治勲さんの棋譜がモデル)、こんな冒頭で、そんなことをしていては碁になりません。

白番の人からすれば、労せずして、見合いの好手を炸裂させた格好、言い換えれば、『黒に自分の打たせたい場所に打つように誘導した』という結果になってるんですね。

ということで、外側からかかる場合、相手が受けて、自分も続けて補強した際に、絶好の打ち込みが残っているかどうかを予想して着手を決めて下さい。

かかるのがまずそうならシマリを考えてみる。

自分が相手にとって都合の良い手を打っていないか?


でも、これだと最初の話とは違うでないかと言われるかもしれません。

僕が言ったのは、『相手に打たせたい場所を考える。』ということであって、『相手が自分に打たせたい場所を考える。』では無いですからね。

自分が打ちたい場所と相手が打ちたい場所の二手先を読むのすら大変なのに、こんな捻じれた観方で4手先?を読むなんて頭がこんがらがってついていけないという人もいそうです。

とはいえ、外側からかかる場合、細かい変化自体は少なく、一本道であることが多い為、考え方自体は捻くれていても、最終的に読む総量自体は少ないですし、覚える形もたかがしれてるんで、対局中に考えるのではなく、検討などで後から研究して記憶するだけでも十分です。


本題はここから。

内側からかかる場合、これについては、普通に相手に打たせたい場所を考えるだけで済みます。(ただし、細かい変化は数多いので実力が問われる。)

13路では、特に、内側からかからざるをえない配置もあるので。


まず、高ガカリなんですが、これも打ってるのをよく見るんですが、布石次第では無い手であることも珍しくないし、あるとしても運用は難しいです。

なので、僕としては古碁のようにコゲイマガカリ打つ方を推奨します。

そうはいっても、白の方もちゃんと対応できるかは分かりません。

以下の図のようになって、いい勝負になってることも、よくある。

黒の注文としては、こんな感じなのかなと思います。

右上が三々で治まってるため、そっち側に白の手数をかけさせたい。

それ故に左上の白にかかってプレッシャーを与えており、白が受けただけで儲けもの。

下辺一帯の方が遥かに価値が高い。

なので、白としては、自身は上辺側に手をかけないのは当然の事として、黒には下辺に回らせないようにしたい、つまりは、打たせるにしても白が強い左辺、次点で右辺に打たせたいところです。

そこで、下ツケから左下の星に追いやるわけです。

見覚えある人も多いはず。

こうなってしまうと、はっきりと白が良くなります。(いっても、一目とかの差だけど)

真っ先に考える黒の対抗策としては、小雪崩に沿っていくものですが、細かい手順とかは定石書で調べてもらうとして、普通に最も有名な旧定石通りに進んだとしても白持ちです。

一応、当初の方針通り、白に上辺一帯を打たせてはいるんですけどね・・・

けど、13路の対白番のセオリーからは外れてるので致し方なし。
(乱戦に持ち込みたいのに、厚みの消しあいとか最悪。)

右上が三々で、ここでは白の厚みの効力を消しているものの、それは左下も同じ。

雪崩れた側である黒が先手を取れるのが、旧定石の最大の利点と言われますが、微妙に味残りのため、左下の白を封鎖したり攻めたりするのは厳しく、コミがものを言う碁形。


次に、いったんはハネと引きの交換をしてしまう行き方。

ただ、先にも言ったように、本来は白に左辺に手をかけさせたくてかかっているはずなので、黒が打つのは流れがおかしいです。

打ってしまった以上は仕方ないので、続けてついだりすると、白は普通に手を抜いて下辺に向かいます。

こうなると、勢い、白に打たせる予定だった上辺で頑張るしかないんですが、気合いで二段バネして封鎖を図ったところで虚しく、模様を張ろうにも割打たれるくらいで早くも計画はおじゃんです。

初手三々で模様を張ること自体が普通じゃないわけですし、もう、めちゃくちゃ。

つぐのはさすがに重すぎということで、ツケとかまで足を進める人は多そうです。

ただねぇ、白はここでも手を抜けちゃうんですよね。

一応は左下との連絡を意識して、より中央に近い上ツケから進めますが、右下の黒が厚くなっても、左辺は弱いままのため、次に左下の白に対する厳しい手段がない。

それどころか、右辺で治まられては、右上の黒の方が窮屈ですらある。

言うまでもなく、白に打たせたい場所に打たせることは出来てません。

そんなわけで、小雪崩やツギは分かりやすくまずそうなため、他の手段を考えます。


それが即座のハネ出し。

お馴染みの形ですが、この流れは隅を奪い取り白に打たせたかった上辺側に追いやっているため、ありと言えばありなんです。

16で白が上辺を開いてくるなら、調子で黒はケイマに右辺を囲いつつ白にも小さく中央を地にさせて万々歳なんですが、そうはならない。

これだけ壁があるなら、肩ツキまで足を進め、大きく地にしてしまいます。

右下を二間高に締まるのはありです。最もバランスは取れてる。

ただ、隅には甘くなるため、今度は内ツケから捌かれます。

19以降は色々と考えられますが、左辺に壁がある白は堂々と応じて構いません。

右上三々への利きもあるため、余裕を持って手に出来ます。

いずれにしても、差はわずかだったとして、黒はノーチャンスに近い感じなのが痛い。

黒がワンチャンあるとしたら、こっからでも開き直り、これまでの流れや部分的な損得は無視、左下にツケて無理やり右辺を膨らませて誘う形かな。

上の図の変化は26をどこに打つかで、結構、紛れる碁形。

序盤早々にやらかした自覚があって、それでも投げれないみたいな時は、このくらい派手に方針転換する方が良い事あるの多いです。


「6は、なんで、この位置なの?」と思われるかもしれませんが、これも理由は同じで、「黒に下から挟ませたいから。」誘ってる。

それは嫌だと捻くれて右上から来るなら、調子で8と角まで足を運ぶことが出来ます。

大ゲイマジマリは魅力的に思えるんですが、一手打ったからといって地になってるわけじゃないんですよね。

だから、ここで右辺で白に楽させてしまい、後々、右下に回られる事になると、一手パスしたみたいになってしまう。

序盤で大切なのは囲う事ではないというのは、その辺の話に通ずるところがあります。

置き碁で上手にやられるのは、大概、そのパターン。

ただ、そうはいっても、序盤から正面衝突したら潰されて直に終わったという経験をしてる人も多いはずで、戦えばいいのか、小競り合いを後回しにして囲えばいいのか、どっちがマシなんだよと思うかもしれません。

そこで、最後に、一間高ガカリが有効な布石を紹介し、その事例を通して、その答えを示して終わろうかと思います。

それが、黒の二連星に、白は黒の側に切っ先が向いた小目と星の対抗形。

布石の勉強を少しでもした事ある人なら分ってるように、この形は高ガカリがピッタリです。

というのも・・・


コゲイマガカリだと、コスミが絶好なんですね。

3と受けると、すぐに4とガラガラにされてしまい、こうなると、2と3の交換が一方的に白の得になってる。
(右上を荒らされた黒は価値が低い上辺を囲い、白には左辺を囲わせる結果になってる。こんなことなら、カカリなんて打たずに三々に入らせていた方がマシ。)

だからといって、受けずに手を抜き、下辺をさらに拡大したところで、普通に4と飛ばれるだけでも5とすぐさま手を戻す事になり、ついでに右辺の模様も3で増やした分だけ消され、いつでも打てる右上はひとまず放置し、今度は6と、またもや囲ったばかりのところを消されてしまいます。

囲ってるはずなのに肝心の隅には地が付かずに形が決まっていき、コミの負担がきつくなってきました。


それで、高くかかるのが普通なわけです。

仮に白が受けてくれるなら、今度は先に黒が左下を荒らします。

下辺を全部決めたところで、右上が星だと上辺に打ち込んでも面白くありません。

とりあえず、左上を治まってしまえば、後は弱いのは右上だけなので、どうとでもなる。

もっとも、これくらいでも後手の白だと良い勝負になったりはしますが、黒は労せずして互角以上にできます。

ただし、黒にも注意点はある。

それが、白が受けずに右上に入ってきた時の対処について。

ここを誤ると、せっかくのカカリが空振りします。

誰もが真っ先に思いつくおさえが悪手だと僕は考えます。

なんでかというと、図を見てもらえれば分かるように、カカリ自体が地にならないところを囲って、白には左下隅を打たせてる格好になってるからなんですね。

だけど、おさえた時点でこうなる以外にはなくなってる。


『二目の頭、見ずハネよ』という格言がありますが、そもそも、深淵を覗き込む時、お前もどうたらこうたらみたいに、二目の頭をハネる機会を生むには、自分もまた同じ機会を相手にチラ見せしてるんですね。飴と鞭とも言うかな。

自分の方がスタートを早く切ったチキンレースみたいなものであり、幾ら、自分が勝つ勝負であっても、万が一、途中で一度でも足を止めたら、自分が逆に喰われる事になる。

三々入りに抑えるっていうのは、そういう事なんですよ。

だから、抑えた時点で上の図のようになるのは避けられない。

それ以外の対処方法を見つけない限り、分かっていても負け続けるのが囲碁であり、囲碁が人生だとするなら、現実世界でも、そういうチキンレースをしてる人は少なくない。(後、少し、続ければ、大当たりが出るんだ!って、金をつぎこんだり。)


その対処方法の一つが、このケイマ、すそを止める行き方です。

白が3と動くなら、黒はもう無視して左上を連打。

右上は連打されようが、止まってはいます。

最初に打ったカカリを、地を囲う手ではなく、連絡、封鎖する手という役割にチェンジしているから無駄が無い。

動くのは黒の注文な気がするからと捨ててきても、あくまでも右上には固執せず、生きていいよと引いておきます。

ともかく、布石の基本としては、いかにして相手に地にならないところを囲わせるかということを第一に考えることです。

あるいは、その逆に、既に固まって地になってるところに手をかけさせるか。

自分がどう地をつけようかとか、どう相手の石を攻めようかとか、そんな事に意識が回っている時点で負けです。

殴られたら我慢しろとか言ってるわけではなく、不要な争いをしょっぱなからする必要はないと話してるだけで、現実世界や既にあるものを変えられずとも自身の捉え方を変える。

そのためには、出来るだけ思考をクリアにするしかないんですね。


前に話したかもしれませんが、僕の碁にはやたらとケイマが頻出し、心がぴょんぴょんしてるように見えますが、僕のやってる事って、サッカーでいうと相手が動き出した瞬間にボールをぶつけて外に出し、スローインによる中断を繰り返しながら3時間かけてゴールに近づくみたいなもんです。

スター選手がいないチームは、決まって、守備寄りの布陣を敷いて組織力により勝負しようとしますが、それだけだと、どうしても抜けが出て、スピードで負ける事があるでしょ?

観客と勝負するわけじゃないんですから、ルールのグレーゾーンをついて、相手チームとの相対的なスピードで負けない事をする方が効率が良いのではないかなと。

ゲームのルールそのものを変えるくらいの事をするのが、凡人の生きる道だと思うのですが、どうでしょうか?



だいぶ長くなりましたが、もう一度、まとめると、(13路では)一間高ガカリは打ちにくいよという事。

かかりではなく、どちらかというと攻めのハサミやシノギ前提の打ち込みとして使う分にはいいんですけど、序盤の序盤になんとなく荒らせればいいなあみたいな感覚で使うと、やっぱり、甘くなりがち。

特に今回のように、右上に三々がある場合なんかは、その辺の甘さが緩和されてるような、スピードで遅れてないような錯覚に陥りがちなんですが、スピード=地を稼ぐこと、囲碁は陣取り合戦みたいな認識でいる人程、そう思い込みやすい。

そうではなく、囲碁は相手に打たせたい手を打つゲームだと認識すれば、序盤みたいな抽象的に考えるような場面でも、自然と、目的が定まって手が絞れるようになると僕は気づきました、最近。

囲碁の場合は、相手とは別の単独行動してるんだから、何をどうしようと自由、自分が損するだけなので、ただの遊び友達とかなら相手に意見を合わせていれば十分ですが、例えばこれが、地球環境改善活動みたいに地球を相手に組織として戦ってる場面であれば、目的が定まらないと皆が迷惑する事になります。

そういう意味で、相手に打たせたい手を打たせるように打つという意識でコミュニケーションを図る事は、社会的な人間関係を構築する上でも役に立つだろうなと僕は考えています。


が、そういう態度が行き過ぎても絶対王政みたいになちがりなので、意識的に緩急をつけるのが大切になります。

多くの人が、星なら即座の三々入りとコゲイマガカリ、小目なら外ツケとかかり全般を使い分ける事により、布石のバランスみたいなのを取ってるのかもしれませんが、僕はそれだと緩急が足りないと思うから、こんな記事を書いてるんですね。

僕の場合は、星なら外ツケとコゲイマガカリ、小目なら角に置き、外ツケ、コゲイマガカリを使い分ける事で緩急をつけています。

三々と星を主軸にした布石なんかは、特に、僕の語る技術や考え方を要求されるように見えるので、ある程度、ネタがまとまれば、単独で記事にします。


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