【アクナイ、イベ終了】吾れ先導者たらん、聖堂へ至る道【ロスストはサービス終了が見えてきた?】


昔、話したかどうか、覚えてないんですが、僕、小学生の頃は、一年に、最低、3回くらいは家族旅行に連れて行った記憶があります。

ただ、困った事に、アルバムとかを見ても、その時の思い出とか、全然、浮かんでこないんですね。

これは、おっさんになって記憶が薄れたとか、そういう話ではなく、少なくとも、高校位の頃には感じていた事だったので、ガチで、その時の旅行に興味が薄かったんだと思われます。


でも、まあ、子供の頃なんていうのは、誰しも、そういう部分があるのではないでしょうか。

真面目で賢い人であっても、変に気を使わず、自分に正直過ぎるところあるから、あんまり好きではない事は、なかなか、覚えていられない。

親がトップ棋士で、家で研究会が行われることもあり、直接、囲碁を教わったけど、全然、囲碁が強くならなかったみたいな話も、ちょいちょい聞きますしね。


大人と子供、どちらの立場で関わるにせよ、遊びを通じた付き合いって、他人との違いを知り受け入れ、和を築いていくには、格好の機会なんじゃないかなあという気はしてます。

仕事とか、責任あることだと、素直に受け入れられませんし。



それで、僕の話の続きですが、そんな中でも、多少は覚えてる事もあって、たぶん、それこそが、僕の興味関心の方向性を示してるのだろうなと、今では思っています。

どんな事が印象に残っていたかと言うと、旅行先で、ちょっとした時間潰しで家族テニスをしたこと。

僕が、特別、テニスが好きだったというわけではなく、テニス部に入った事もないのですが、趣味なんて、全然、無さそうに見える父親が、大学時代にテニスをやってたと漏らした事をよく覚えていて、そのことに紐づき、テニスをした事も覚えていたっぽいです。


これに限らず、小学生時代の同級生とのエピソードとかで、直に思い出せる事を並べてみると、どうも、僕は、『他人の秘密を知る』事に興味を持っている事が窺えます。

とはいえ、週刊誌のゴシップ記事とかは、そんなに読みませんし、他人の噂話に夢中になりがちな学生時代なんかに、僕はその手の話に、殆ど、興味がありませんでした。

僕以外の人、皆が知ってる、クラスの誰誰が付き合ってたみたいな話も、後から聞いて知ったり。


あと、これは関係あるのか疑問に思われるかもしれませんが、僕は、子供の頃は、普通にクラスメイトと遊ぶという事が出来なかった。

家に帰ったら、一人で延々と人形遊びしてたり。

しかも、人形遊びと言っても、人形を手で動かして遊ぶとかではなく、並べて、頭の中であれこれと設定を考えた上で、シナリオを作るという遊び。

人間どころか人形すら碌に見てなく、自分の妄想の世界に意識が飛んでたんですね。


以上の事から、遊びから分析した僕の特徴は、こんな感じになります。

・表面的な事には関心が無い。

・ただ、人間の人格とかに興味が無いわけではなく、普通に付き合ってると経験しないような、深い部分で繋がる事は好んでいる。

この特徴は、今も変わらず、僕が、囲碁を好み、更には、皆の話を聞いた上で、納得がいくまで突き詰めてるのも、自然な流れだったのかなあと気づいた次第です。


僕が、家族旅行の記憶が無いのも、主体性を持って計画した旅行ではないからなのだと思う。

旅行先の情報とかを事細かに調べて、妄想を膨らませた上で行ったのであれば、たぶん、人並み以上に記憶に残ってたのではないかなあと、今では考えてます。

母には、「せっかく来たんだから、もっと楽しそうにしなさい。」と𠮟られたのを覚えてますし、結構、気にしていたんですが、僕の場合、万事が万事、そんな調子なので、当時、学校では、自分を押し殺して(主体性を抑えて)過ごしていたもんだから、家でくらいは、自分一人で過ごす時間が欲しかったんですよね。

優しくしてもらえればいい、楽しければいいってもんじゃない。

これが、学校の囲碁クラブの話とかであれば、僕が囲碁に興味を持てるようにと、親切に指導してくれた人をがっかりさせるみたいな展開になっていたのかもしれません。


と、そんなこんなで、今回の記事は、遊びでも人の性格って反映されるし、人によって個人差があるもんだから、出来る事と出来ない事が、はっきりと分かれて、一人だと限界を感じるよねって話です。





久しぶりの更新になりますが、最近は、アクナイとロスストのイベント続きで手が回りませんでした。


ロスストはアリーナが6日から本開催決定。

アクナイも4日から復刻イベント。

最近は、めっきり涼しくなって、というか天気が悪かったんですが、また、めっちゃ蒸し暑くなり、「熱い夏は終わらないぜ!」といった印象。

そんなわけで、しばらくnoteから離れてました。

とりあえず、イベントのまとめ報告。


耐久S‼‼‼

アクナイのイベント『吾れ先導者たらん』ですが、イベント限定のボスキャラであるアンドアインが、これまた、とんでもない性能をしてました。

ステータス自体は、ちょっと強い雑魚って程度ですが、スキルとステージの地形が相まって、非常に面倒くさい事になってる。


最終ステージでは、ジェラート供給所という補給所が設置してあり、開始時点では、こちらが占有しているため、スキルを撃つためのSPが溜まるのが早いのですが、供給所が一定ダメージを受けてしまうと、相手に占有権を奪われてしまい、逆に相手の手数が増えてしまう。

ロスストでも、遠距離からのバズーカで射殺されまくって泣いたユーザーは多いですが、このステージでも、数発しか撃てないとはいえ、雑魚からボスまで、銃持ちのキャラが複数いるため、供給所を守りながら戦う羽目になるのが、まず、きつい。


その上で、ボスキャラであるアンドアインは、5発の跳弾を撃ってくるものだから、質が悪い。

ここのステージでは、3つの供給所が設置してあり、一か所の例外もなく、高台が供給所に隣接しているため、遠距離タイプのキャラがアンドアインの攻撃の対象になると、即座に、跳弾が隣から飛んでくるんですね。

跳弾の犠牲になるのは、高台のキャラだけではありません。

元々、かなり狭いMAPのため、地上に配置した近接キャラすら、高台の隣とかに置くことも多いため、気づいたら、MAPのあちこちに跳弾が跳ね回って、一発、撃たれただけでも、三人くらい死んでる事も珍しくない。

安倍さんは、最初の弾丸は当たりませんでしたが、アンドアインは一発で数人を屠ってくる。

ドラクエでいう二回攻撃、三回攻撃みたいなもんです。

「集団で群れて悪者を退治してやろう!」という輩には、やたら強くて、一人、離れた場所でタイマンを挑む相手には優しい。

そんなわけで、まず、アンドアインに仕事をさせないことが第一になってくるんですが、そのためには、壁となる硬いキャラが狙われるように配置するか、戦闘力が低い代わりに、やられても直ぐに再配置可能な囮を用意する立ち回りを要求されます。


そして、次に厄介なのが、ある程度、戦闘時間が経つ毎に使用してくるスキル『灰燼に帰す』

MAPの左端にいるキャラから順番にマルチロックされていき、5回マーキングされるまで止まりません。

跳弾と違い、マークされた対象が一発だけ被弾するだけなので、たいした被害でもないんですが、遠距離タイプ、特にヒーラーは、その一発すら耐えられないため、このスキルが発動する際にも、ヒーラーがマークされないように忙しく準備せねばなりません。
(囮がマークされたのを確認した直後に撤退させ、他の囮も順番に出してマークさせるとか。)

ここまででも、かなり、うっとおしいキャラなんですが、本当に手に負えないのが最後のスキル。


それが『苦難に光を』という固有結界で、この領域においては、敵キャラ全員がダメージ3割減、5割の確率で全ての攻撃を回避してくるようになるため、中ボスですら、倒しきるまでにかなりの時間がかかるようになってしまいます。

出来るだけ早く、アンドアインを処理したいものの、HPが減るたびに、計4回、自身を中心に領域を展開してくる上に、アンドアインはブロックして足止めさせる事が不可能なため、MAP中央、こちらの拠点付近で領域展開されてしまう事も、多々、あり、細心の注意を払って、ダメージコントロールをしながら、じわじわと時間をかけて削っていくことを強いられる始末。

この領域は、本人の念によって発動しているため、アンドアインが逝った後も残り続けます。

「死ぬなら、一人で死ね!」
と殉教者に文句を言いたくなる人が続出。

アンドアインの昔の同僚?のキャラが、今回のイベントで実装されてましたが、彼女でなくとも、アンドアインに怒り心頭です。


まあ、こんな感じで、実際にプレーしていなくとも、どんだけ面倒な相手かは、何となく、想像は出来ると思います。

とはいえ、先に言ったように、ステータス自体は並なので、きちんと準備して気を引き締めて臨みさえすれば、初心者でも、その内、クリアできるようにはなってるみたい。

僕はフレンドから、鍛え上げられた★6エクシア昇進2レベル90をレンタルして、メイン火力をエクシア一人に任せてましたが、50回くらいボロボロにされる頃にはド安定周回が可能となり、流れ作業と化してました。

こういう類のボスが相手なら、たった一人、強キャラをレンタルするだけで、割といける。

ちなみに、6日からの復刻イベントのボス、アクナイユーザーから語り草になってる『国土おじさん』ですがスキルだけで比較するなら、アンドアインより強いんだけど、見晴らしがよく一本道をぐるりと一周する地形のおかげで、安定周回余裕でした。

右下にイフリータ置いて、雑魚を全て処理した後、悠々とソーンズ、シルバーアッシュの順に削り、お散歩してる間に、じわじわと他キャラで通せんぼの時間稼ぎしながら、最期はイフリータで焼き肉に。

あと、アニメも放映真近なので、よければ視聴どうぞ。

ゲームだと、主人公に声ないので、陰キャっぽいドクターの中の人が女でビックリした。




続けて、ロススト。

日曜日の更新にて、不評だらけであったアリーナを、ちょろっと変えて実装とのことですが、これについては、まあ、元々、タワーディフェンスで対人対戦というのが難易度が高めなので、色々と足りない部分があるのは仕方がないと分かってたことです。

それよりも、そこそこ好意的な意見もあった、先週までの所属別イベントについて気になる点が。


アクナイと違い、まだキャラが少なく、低レアキャラでも、職分に偏りがあり、ガチャの引きによっては、課金していても、とてもじゃないけど、完全クリア出来そうにないバランスになっているのが批判されていました。

あと、これは、チャレンジイベント全般に言える事なんですが、ステージが謎の電脳空間みたいな殺風景な場所のため、作業感が、より強まってる気がする。

アクナイでも、ロスストのチャレンジイベントみたいなのはありますが、統合戦略といって、子供の頃に図書室で借りて読んでたゲームブックを再現したようなものになっているため、何百回、やり直しても、毎度、違った刺激があって、不思議なダンジョンとか好きな人は嵌るではないでしょうか。


やっぱり、戦闘が大変なゲームでは世界観やストーリーは大事だなと思った次第ですが、ロスストはロスストで、メインストーリー自体は評価が高いんですよね。

今は、主人公がルルーシュに命じられて、ブリタニア軍にスパイとして潜入任務をしてるところ。

何も知らないダールトンおじさんとかが、なかなか面白い戦い方をする新入りだと興味を抱いたり、ダミアンとかいう貴族のお坊ちゃんのオリキャラがライバル?っぽく登場して、イベントのボスにもなってたり。


が、最近のロスストは、戦闘の難易度ばかりが無駄に高くなってるというか、持ち物検査が激しくなる一方で、ガシャの引きが悪い人には、とにかく苦痛を感じる仕様。

キャラや世界と、どんどん心が離れていってるように見えます。
(というか、ガチで引退する人が増えてきてる。)


こんな事を言ってると、何か、特別な事をしろと運営に要求してるように見えるかもしれませんが、そんなつもりはありません。

他所は他所、うちはうち。

基本、世の中にある99.999パーセントのルールは守る必要が無いと考えてる僕としては、そんな遠くの話には興味が無い。

だけど、それでも、僅かにではあっても、守るべきもの、人の道を外れないために学ぶべきことはあるはずです。

僕は、ゲームでも何でも、それだけは守るべきだと考えていて、残念ながら、今のロスストには、それが欠けてるのではないかという話をしてる。


カレン「あんたさぁ、ちょっと下品だよ。」

代表的なものでいうなら、『人を殺してはいけません』みたいなのが、そうですね。

「戦争中だと、人を殺したら英雄になる。」とも言う様に、背景が違えば社会的な評価も変わるでしょうが、それでも、理由は説明できないまでも、違和感を覚えるのが普通でしょう。

僕としては、こういう理屈抜きで正しいと言えるものを『人の道』と定義しており、誰もが無条件で信じれるものだけを人に押し付けてもいいと考えてる。

学校の虐めとかも、第三者が見ればおかしいと感じても、あれこれと理屈をつけてる関係者はスルーしてしまったりするでしょう。

これは、大人が理屈に頼っている社会が生み出している現象であると捉えているのが僕です。


それで、ロスストの話でしたね。

僕としては、今のロスストに欠けてるのは、フレンドのキャラのレンタル機能だと考えています。


アクナイでも触れたように、他のソシャゲでは、基本、この機能は、当たり前のように実装されています。

ジャンルが違えど関係なく、レンタル機能が無いソシャゲとか見たことが無い。

ってことは、どれだけの効果を挙げられてるかは、はっきりしないまでも、ソシャゲではキャラのレンタルは絶対の正義であるという話になります。

実際問題、アクナイが初心者の僕でも楽しめてるのは、レンタルのおかげでイベントのボスも難なく倒せてるからですし、ロスストの前回の所属別チャンレンジイベントも、一人、レンタル出来るだけで、150度くらいは評価が変わってたように思えます。



ま、こんな事を言うと、
「みんなが正しいって言ってるから正しいのかよ!?その態度こそ、虐めの温床を生み出すことに繋がるだろうが!」
みたいな事を言う人が、一定数でてくるのですが(主にオタクっぽい人)、別に、僕は、そんなつもりで、こういう結論に至ったわけではありません。

「全てが正しいわけではない。」
というのは、その通りですが、逆に言うと、
「全てが間違っているわけではなく、どこかしらに正しい部分がある。」
ってことになるでしょ?

とするなら、偏見を持たずに、色んな人の意見を受け止めていけば、それこそ、「人を殺してはいけません。」みたいな、ごく当たり前の、誰でも知ってるような答えに至るのが自然でしょうという話をしてるんです。

僕は、確かに、ただただマニュアルを頭に詰め込むこと自体には否定的ではあるんですが、偏見を持たずに意見をまとめていった結果として、誰でも知っている常識に至るというのであれば、それこそが人の道だと言ってる。

その過程を省略する限り、どれだけ正しい事であっても、ただの押し付けであり害悪だという認識です。


僕が、前回の記事で紹介した弁証法というのも、その点で優れているから、全ての人類は学ぶべきだと言いました。

慌てて答えを出したり、斬新な解決策を見つけようとするよりも、この基本的な事を身に着けてしまえば、あらゆる物事を細かく分解していき、そこから再構成するという能力が身につくため、物事の理解度が増して、今までにありそうで無かった、あって然るべき、自然な解決策というのが勝手に浮かんでくるという事を言いたかったわけです。

そういう意味で、日本人はディベートが下手だと欧米人に指摘されてるのは、きちんと受け止めないといけないとは思うのですが、元々、感覚的に中立、中庸に物事を受け止められるのが日本人だと考えてるので、どっちもどっちなんでしょうね。(つまり、昔の日本人らしさを取り戻せってことになる。)

では、何で、ロスストの運営が、こんな簡単な事を、何故か、やろうとしないのか、本当に不思議なので、考えてみたんですが、よくよく、振り返ってみると、これって、囲碁界の日本棋院とかも同じだよなって気づいて、ロスストの運営の気持ちも予想がついたんですね。


アクナイの統合戦略の場合、レアキャラは特別なコストが高く設定されているため、ダンジョンの入り口では、いきなりレアキャラを何体も連れていく事が出来ません。

しかも、最初に召喚した場合、昇進1状態であるため、昇進2になって、初めて、★4以下のキャラとは次元の違う強さを発揮するようになる★5,6キャラは、真価を発揮するまでタイムラグがある。

将棋でいうと、歩兵は一ターンで動かせるけど、飛車は動かすのに二ターンかかるみたいな。


そんな事情もあり、入り口でだけフレンドのキャラをレンタル出来るものの、低レアで便利なキャラを貸出に設定していたとしても、普通にありがたく借りられる事も多いんですね。

低レアだけどお気に入りで育てたキャラを人に使ってもらえるのって、素直に嬉しいはずです。

囲碁でいうと、ネットで自由にペア碁が出来る碁会所みたいな。

どのソシャゲでも、フレンドレンタル機能があるのも、頷ける。


が、ががが、碁会所という例えを出したように、ソシャゲのように顔を合わせる事が無い、一方的なレンタル関係であれば、何も問題は無い、自己顕示欲をリスクなしに満たす事が出来たとしても、これが、リアルタイムで一対一で向き合うゲームだと、そう簡単にはいきません。

現実の人間関係同様に、合う合わないがあるし、リスクの方が遥かに高い。

思い入れのあるゲームだからこそ、真面目で責任感が強いスタッフだからこそ、自由を認めずに、自分の提示したやり方に沿うようにやらせるようになってしまうのも、致し方無いところではないでしょうか。


ロスストも、ツイッターとかだけ見てみると、客であるユーザーを蔑ろにしてるような印象を受け取られがちですが、ゲーム自体を見てみると、ギアスに対する愛情を感じるという意見も、よく目にします。

とりあえず売れればいいって言う態度が見え隠れしてるゲームもある中、『商売が下手過ぎる』という指摘を、散々、受けている事からも、少なくとも、器用にお金を稼げるタイプではないのは分かります。

なので、たぶん、単純に不器用なだけなのかなというのが、現時点での僕の考え。

キャラ愛はあっても、ゲームとしては、アクナイなどの他のタワーディフェンスに比べて、明らかに劣って見えるという点でも、今現在の囲碁界と共通しているため、ある程度、そちらの方の説明がつかない事もありません。



どういうことかというと、タワーディフェンスって、調整を間違えるとオセロになっちゃうよねって話。

最初にアクナイで紹介したように、今回のボスであるアンドアインとの決戦では、地形こそが勝敗における大きなウェイトを占めていました。

味方キャラを隣接させてると、あっというまに全滅しかねないため、下手に駒を並べるよりも、一点集中で隅の辺りを取り合うのが大味なオセロというゲームですよね。

これは、少なからず、将棋にも言えることですが、味方がいると邪魔になってしまうことがあるという点で、オセロよりも将棋、将棋よりも囲碁の方が、無能な味方に優しいゲームなんじゃないかなあという印象。

そんな理由でもない限り、囲碁が和のゲームだって言われるのに、将棋が言われない事に、納得が行かないというのは、去年も話しました。



が、勿論、これは、あくまでも両者を比較したらという話であり、どこの世界であれ、無能な味方に対して冷たくなることはあります。

囲碁だって、何も知らない、出来ない初心者の間であれば、お互いに無難に地を囲い合って終わるだけですが、少し、新しい事を覚えて、欲が出てくれば、そうもいかなくなり、盤上で石が激しく衝突することになります。

そして、オセロや将棋と違い、基本、盤上に自分の石は多ければ多い程、有利ではあるものの、大石の生き死にがかかってくると、『ダメ詰まり』といって、脂肪や贅肉のせいで動けなくなって死ぬことがある。

『囲碁は、自分の石を繋げて、相手の石を切り離すゲームです。』
と説明はされるものの、自分の石を繋げる事に慣れていないもんだから、結局、相手の石を孤立させる事ばかり目が行き、自分の味方すら見えなくなるという悪循環が起きてるのが、典型的な負けパターン、なかなか上達出来ない人の最大の特徴なんですが、ぬるま湯につかってる限りは、なかなか、そんな状況を抜け出せないんですね。



そうなると、解決策は二つです。

一つは、相手が上手であっても、徹底的に攻撃をかわす、かわす、かわし続ける術を身に着ける事。

僕は、誰もが口にする囲碁の常識である『最初から地を意識しすぎない、自分の石は繋げるようにして打ち進める。』というのに倣い、これを突き詰めた結果、新しい手法を開拓しました。

が、『地を意識しすぎてはいけないけど、地を大事にしなさい。』という考え方の方が、日本人には合っている事もあり、僕のようなやり方をしてる人は見たことがないというのが現状です。



そして、もう一つの解決策というのが、『攻めと守りをバランス良く出来るようにする。』ってやつですね。

囲碁の場合は、そのために、あれこれを色々な戦術とかを頭に叩き込もうとするわけです。


ただ、僕から言わせると、これって囲碁というゲームの否定だと思うんですね。

囲碁のいいところは、ターンが進み、味方が増えていくことで、確実にレベルアップしていくような感覚があるところだと思うんですが、攻めと守りのバランスがどうとか、そんな将棋的な事にばかり頭がいってたら、味方ではなく敵の方に意識がいってしまい、その喜びを感じにくくなる。

だったら、最初から、将棋をやる方がいいし、囲碁を知らない人が言うように、序盤の石が接触しない、お互いに囲い合ってる段階が、完全に時間の無駄でしかなくなってしまう。

これって、まさに、今のロスストがつまらないって言われてるのと同じだと思ったので、改めて話題にしました。


確かに、単純に上達する事だけが目的なのであれば、日本棋院が出来る前から行われてるような勉強方法の方が、普及もしやすく、囲碁の指導者層に受け入れられやすいから、そっちの方が良いって事になるんでしょうが、それだと、永遠に、面白さでは将棋には敵わないと思うんですね。

ロスストのいいところは、キャラ自体は平凡でも、ロボットに乗せる事で、色んな組み合わせが生まれてやんわりと非凡になれるとこだと、以前、言いましたが、そのためには、キャラもロボットも、たくさん用意しないといけない。

が、大人の事情で、なかなか、そんな豪勢な事も出来ないのが辛いところで、ロスストは囲碁っぽいから好きだと口にした手前、指摘しにくいのですが、囲碁とソシャゲが相性悪いように、ロスストの長所ってソシャゲ向きでは無いのかもしれません。

将棋にはなれないし、囲碁の良さも引き出す事が出来ないもんだから、せめて、オセロのようにバランス崩壊しないようにと配慮した結果が、今の囲碁界やロスストの現状なのではないかという結論。

フレンド機能を実装して、気軽に勝てるようなゲームにすることは、どうしても抵抗があって出来ず、その代わりに、あれこれと細かく面倒みようとする。(のだけど、ゲームとして面白くないという根本的な訴えは無視してしまう形に。)

本当に必要なのは、先生や神の力とかではなく、余計な事を考えずに付き合える対等な友達だったのではないか?

「人の輪を通じて、囲碁で和を。」
ではなく、
「囲碁の輪を通じて、人の和を。」
が出来ない限り、囲碁が評価されるということにならないのでは?

いや、囲碁ではなく現実の囲碁界の人間関係を売りにするのでもいいんですが、それならそれで、ヒカ碁並に丁寧に心理描写を描き切って、実写映画か、漫画にするかとかしないと、なかなか、他人の人間関係なんて興味を持ってもらえなさそう。


僕からすると、盤上で先生になろうとして失敗するタイプと、盤外で先生になろうとして失敗するタイプ、2種類いるように見えるんですよね。

前者については、囲碁みたいに運任せではないゲームだと、割とは早くに自分の矛盾を突き付けられて、自然と自覚しやすいのに対して、後者は、今、初心者に紹介されてるような、羊の皮を被った狼的なゲームである囲碁では、自分の矛盾に気付きにくい。

業界によって、どちらかが、より深刻な問題になるかが決まってる気がします。

ですので・・・・

「囲碁が地味で面白くない?
 知るか。楽しみ方は自分で見つけろ!」
くらい言ってのけるような人ばかりであれば、こんな事態になってないんでしょうが、変に真面目でバランス感覚を気にして囲碁に嵌るような人ばかりだと、たぶん、一生、変わらないんだろうなと複雑な気分です。


おわり


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