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令和の囲碁講座番外編① 三々入りの注意点 先の先、後の先 

ということで、本編が途中なのに、突然の番外編スタートです。
(いつになったら、何でも屋が開店できるのか分からないので。)

今回の話は、もっと先にするつもりだったんですが、つい先日、久々に囲碁クエスト覗いたら、結構な棋力の人がやらかしててるのを見たので(対局相手は見逃してたけど。)、さっさと紹介しておいた方が良いかなと。

タイトルの通り、三々入りで定石を外れた時の見過ごせないポイントから、囲碁というゲームそのものの性質について語っていきます。


この図は右辺が二連星なので、完全に三々押さえる方向を間違えていますが、今回の内容とは関係ないのでスルー。

以前、ちょろっと、三々に入られたら、3つまで伸びておくのが手堅いよという話をしました。

実際、今はこれが基本定石形の扱いされてる。


それで、旧定石のように跳ねた場合、普通に受けておくのもいいけど、切りも成立するんじゃね?みたいな事を口にした記憶があるんですが、結論から言うと、これ、勘違いでした。

去年の年末くらいだったか、ふと、頭に浮かんだ図があって、それに気づいた。

上の図のように、切られた直後に二目のお尻をハネついでくるのであれば、何も問題ないんですが…そうはならない。


切られたら下がるのが強手で、それならと隅をはねついでスペースを確保しようとした瞬間に切ってしまう。

うん、もう、お気づきの人も多いでしょうが、例のアレです。


13は放り込み、打ち欠き。

石塔絞りから隅の根拠を奪い、右上と左下の両角が黒であれば、この形でも黒が十分に戦えるとはいえ、このケースを含め、普通は苦しい。

だから、二本伸びた形からのハに対して、定石ハズレの切りは嘘手でしたよという報告なんですが、今回の記事で言いたい事は、この手が定石ハズレだという事を覚えましょうという話ではありません。

むしろ逆。


そもそも論として、自分が三々入りしないか、相手に三々入りされてもおさえなければ、ハネとか切りとか以前にこの図にならないのだから、覚える必要性がゼロなわけです。

事実、僕がそうだったが故に、この嘘手をろくに検証する事がなく、見逃していたわけなんでせが、囲碁は序盤は好きに打てるんだから、なんでもかんでも定石覚える必要は無い。

自分にとって必要だと思った事だけすればいいんです。

で、少なくとも、ここまでの囲碁講座を見てる人にとっては、今回の変化を覚えない、別の代替案の方こそ身につけて貰う方が手間がかからないため、久々の囲碁記事、おさらいがてら、その点について説明しようかなと思い、今回の記事の内容を決めました。

ちなみに、三々入りしない、三々入りに押さえないって、どういう碁形になるんだと気になるかもしれませんが、それについては、今後、本講座で紹介するので、今回はあくまでも、これまでのおさらい、補足になります。


今度は、白に下がられる前に同点を当てる余地がある。
小目の高ガカリにツケた時、跳ねだしても同じ形。

三々入りの手順は避けるけど、ほぼ同じ形に誘導する進行こそが、これまでに何度も話した、小目に対して角に迫る手段です。

白が隅を受けたなら利かしであり、小目に上ツケしたら伸びてこられたのと同じ形になるんですが、白が強情に頭を出してきた時、受けるのは逆に利かされてる感があり癪なので叩きます。

当然、白の側も、ここで跳ね返すようだとぬるいため、勢い、切る。

その切れた瞬間の図が、三々入りのハネに切った変化とよく似ているんですね。

ただし、決定的に違う点が一つ、いや二つある。


三々入りしてるわけじゃないんだから当然といえば当然なんですが、三々の位置に黒石が無い、つまり、ダメが詰まっていないというのが一つ、もう一つは隅に潜った側、被告の立場である黒の側が喧嘩を売ったのではなく、あくまでも最初にハネて挑発したのは黒、そこで切って喧嘩を仕掛けたのは白であるという点。
(ひろゆき流コミュニケーションメソッド)

この違いにより、今度は石塔絞りを回避して互角以上の戦いが出来るという仕組み。
(先に喧嘩を仕掛けたのは相手の側なので、こちらはそれに対処する時間がわずかにある。)

それで、前回の記事でも触れたんですが、たぶん、この違いこそが、僕と僕以外の多くの人の生き方や碁のスタイルを大きく分けてる点なんじゃないかなと思うんですよね。

僕が皆が当たり前のように出来る事を出来ない一方で、僕が当たり前のように出来る事を皆が出来なかったりする。


それが最も顕著なのが、何かに深く没頭する、他者と深く付き合うような場面、言い換えれば、自分の頭できちんと考えて決める必要がある場面。

両方の要素をガッツリと満たしつつ、尚且つ、言い訳のしようがないくらいに、はっきりと目の前に形を示されるのが囲碁だからこそ、僕には囲碁が向いてるっぽいというだけで、他の場面でも同じような事態になる事が無いことも無いのかもしれません。

僕が、度々、「頭で考える習慣を減らして、心で考える、身体を意識しろ!」と言ってるのも、皆が僕みたいな性格になる事は不可能、にも関わらず、重要な場面では頭を使って考えることになってしまうため、せめて、囲碁みたいに、形だけでも僕を真似てみてはどうかって話なんですよね。

特に、囲碁を打ってると、気が付いたら石が死んでて困るみたいな人。
(それは、無茶な闘いをしてる、自分から失礼な態度で喧嘩を売ってるから因果応報というだけなんだけど、本人は自覚が無いというね。)


では、具体的に、僕の性格の特徴をまとめると、どういう要素が見られるかなんですが、以前も話したように速度が圧倒的に違う。

例えばですけど、将来の事を真剣に考えた時に、いい学校いって、いい会社いってと予定を立てて努力する人って、昔は多くいたし、似たような事をしてる人はいつの時代にもいたと思うんですけど、それでコントロール出来るのはどこまでいっても自分だけなので、いざ、理想の仕事とかに就いたとしても、人間関係で悩んで辞めちゃうみたいな、計画的なのか無計画なのかよく分からないみたいな事って聞く話ですが、僕に関しては、あんまり、そういうのは無い。

その結果、見切りが早すぎる(時に、実際にやる前に諦めたりもする。)、非常識だと言われる事はあるし、その点ではマイナスなのは確かだけど、逆に言うと、僕の欠点ってネット上で初対面の人であっても5秒で見抜かれたりするのが普通であるからこそ、そこにさえ注意する、そこさえ許せるような付き合い方とかであれば、むしろ、他の人よりも欠点が少なかったりするのかなという気はします。


僕の囲碁の石運びというのは、いっけん非常識でスピーディではあるものの理には適っているいるため、ちゃんと見れば実は見慣れた普通のものである事が多く、結果として、お互いに訳の分からない争いにまで発展する余地が少ない、それよりも前に柔軟に対処出来るのが売りですが、そもそも、何で、そういう打ち方をするようになったかというと、最初の内はスピードを重視していたわけではないんですね。

むしろ、流行りの三々入りを拒否してる辺りからも明らかなように、意識の上ではゆったりした進行を目指していました。

だけど、無理なく自然にマイペースにやろうとする場合、序盤での効率さを追及するしかなく、それでスピード重視になったというだけで。
(それだけ、今の囲碁界、社会の常識に非効率な面が多い。)


例えば、囲碁では最初に二隅を打ち合う人が多いんですが、恐らく、これは、義務教育のように平均的で画一的で安定的な育成をする場合の手段として最も手っ取り早いから、そうなってる面があり、現代の碁で星が多く打たれるようになったのも、二隅を打ち合うという最低限の社会常識を守りつつ、現代のスピードに順応しようという良いとこどりをしようとした結果だと僕は分析してます。

一つの会社に骨を埋めるつもりで入社するとか、目上の人を立てる文化とかも、そういうのに派生して生まれたものであり、昭和の親父が嫌われるのも、人間自体が変わったというよりも、社会のスピードとの両立を図ろうとした事で不自然に偉そうな人が増えただけではないのと思ってる。

だからこそ、僕は、個人の能力とか根性とかばかりに頼らなくて済む、そればかり問題視することで昭和の親父ばかりを一方的に責め、社会問題を放置されないようにし、誰もが自分で自分の首を絞めて生き辛い社会を形成するのを妨害するために「先に生きてるってだけで先生扱いしない、されない。」とか、特定個人を追い詰めないやり方で社会を改善したいと考えてるんですが、これが、なかなか理解されない。

最初は、その気がないだけなのかとも考えてましたが、ただの遊びでしかない囲碁を通じて、単純に僕以外の人にはそれが見えてない、自分一人では出来ないというだけなんだなと気づけました。

多くの日本人は、バランスの取れた安定した生き方を子供の頃から指向するようになりがちですが、意識しないと、それが出来ないようであれば目の前の事だけに適応しがちで、結果として、全体としてはアンバランスになってしまう。

それで余計に焦って、もぐら叩きみたいな事を延々と続け、生き辛いと言ってるのだろうなと。



と、少し、脱線しましたが、背景はどうであれ、僕が今の日本社会では最初に切られるタイプの人間であるというのは事実であり、僕に対して具体的な何かを期待してるような人が僕と付き合っても時間を損したと思うだけな気がします。

そうではなく、別に特に何か困っているわけではないのだけど、だからこそ何かが足りない気がすると感じている人、あるいは、その逆に、悩んでる事は間違いなくあるし、今すぐに解決したいのだけど、その道筋が見えない、普通のやり方ではどん詰まりだと自覚はしてて、藁にもすがりたいような思いを持っている人(例えば、バブルが完全にはじけて時代に取り残されてる今の囲碁社会みたいな。)であれば、マイペースな僕と付き合う事で何かしらの安心感や打開策が見つかるかもしれません。

実際、思い返してみると、僕みたいなのと好き好んで二人っきりで時間を過ごしていた人って、僕以外に友達らしい友達がいない障碍者やグレーゾーンっぽい人だとか、あるいは、その逆で、友達は作ろうと思えば幾らでも作れるように見えるけど意外とそれを選ばない、誰とでも適度な距離感で接して誰にも嫌われないタイプの人、他人の事なんて全然気にしていないマイペースな人(僕は他人を気にしてはいるけどマイペース)とかばかりでしたし、そういう意味では、インターネットとも相性は良いし、何でも屋というスタイルが僕以上に適している人は少ないと思う。


とりあえず、忙しない日常の中で落ちつける時間が欲しいという人は、最もお手軽な僕と囲碁を打って過ごすという形で僕を使えばいいですし、やりたい事はあるけど一人では始められない、続かないという人は、教材代?を渡して貰えば、僕が並行して始めます。

自分がやりたいわけではないけど、急遽、やらないといけない事があって、データも既に十分に揃ってる(お客様の声だとか)、後は自分が(独創的に)答えを纏めるだけなんだけど、それこそが出来なくて困ってる(営業とか接待の方が専門で考えるのは苦手)みたいな人には、直接的なアドバイスや代行もします。

とりあえず、初回である今回は、2000円で有料記事を設定しますが、今後、色んな値段設定の記事を出すんで、自分が妥当だと思う分だけ、適当にお金を払って下さい。


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