この気持ちにいちばん近い感情は「恋」

私が想像していたものと、子育てはまるで違う。
小学生にでもなったらば、時に諍い合う関係になるのだと思っていた。殺伐としていて、闘っているような関係。
少なくとも私は、そうだったから。

だが今のこの気持ちを、ただ素直に表すとしたら「恋」だ。気持ち悪い親かもしれない、子ども側から見たら私は毒親かもしれない、そんな不安が胸をかすめて怖くなる。

それでも、この感情に嘘はつけない。
たとえば娘は最近わたしのパジャマをよく着たがる。うすいテロテロのワンピースみたいなものや、ストライプのふつうのパジャマ。
私が着たらぴったりかぴっちり、またはむっちりとしてしまうそれらを、娘はぶかぶかに着こなす。

ズボンの裾をたくし上げた感じといい、肩を落としそうな首の空き具合といい、完璧なる「彼女」だ。彼女がはじめて家に泊まりに来た気分になる。

娘は照れたようにこう言う。
「ママのパジャマが着れるようになって、うれしいなぁ」


そういうことは、息子にもある。
私は仕事を上がった後にも携帯でslackの返事をしていることがままあって、そうすると息子が横にするりとやってきて「ねえ、ぼくとけいたいどっちすき」と口を尖らせる。

私はおおげさに携帯をぽーいと放り投げ、息子を抱きしめる。いや、くすぐる。息子の目はニャンちゅうのように細くなり、にんまりと満面の笑み。私はメンヘラ男をひとり、育て上げてしまうのかもしれない。


それから昨夜は、餃子がめちゃくちゃ上手に出来た。皮がパリパリではなくザクザクで、キャベツとニラに、玉ねぎも入れたのが良かった。私は体調が優れず、自分は1つ食べるのがやっとだったけれど、取り合うように食べる家族を見ていたらお腹がいっぱいになった。

気がついたら、缶ビールがひとつあいている。「あれ、ビール飲んだの?いつのまに?」
私が問いかけると、夫がおどけて言う。
「そりゃ、飲まないと餃子に失礼でしょ」

私は「恋」に似た気持ちを抱えて生きている。決して「恋」ではない何か、「恋」と呼びたくなる何か。

#磨け感情解像度

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?