番外編:「変身」第Ⅲ部の、ある箇所の解釈について
「変身」の第Ⅲ部の、はじめから少し進んだ箇所では、以下のように書かれています。ですが、ここを読む前に、ここまでの状況をごく簡単に記しておきます。
グレーゴル(原田義人〔よしと〕訳では「グレゴール」)がこのように虫になってしまったために、彼の家族たちは働かなくてはならなくなります。その疲れもあって、家族たちはグレーゴルに前ほど関心を払わなくなります。彼の世話は引き続き妹のグレーテがしていますが、彼女も店員として勤めに出るようになっていたこともあり、グレーゴルへの世話の仕方も次第に雑になっていきます。部屋の掃除は夕方にやっていますが、これもおざなりにしかしていません。しかし、それでも彼女は、グレーゴルの部屋の掃除は自分の仕事であるという、プライドを持ち続けていました。
原田訳であえて省略した、… ; [links dagegen] die Schwester anschrie, sie werde niemals mehr Gregors Zimmer reinigen dürfen; … の部分は、どのように訳したらよいとお考えでしょうか。
ですが、あまり長くなってもいけませんので、思わせぶりなことは申し上げずに、諸訳で見られる解釈をこれから示すことにします。
ここは解釈が次のように分かれています。なお、anschreien は、人を目的語にすることが多いですが、一部の辞書によりますと、叫んだ事柄を目的語にする用法もあるようですので、(3)(4)(5)の解釈も、文法的にはおかしくないと思われます。
(1)(links の前に der Vater を補って考え、die Schwester を anschrie の目的語とみなして:)[父親が]妹に、「おまえはもう二度と、グレーゴルの部屋の掃除をしてはいかん」と怒鳴りつけた。
(2)((1)と同じに考えて:)[父親が]妹に、「母さんはもう二度と、グレーゴルの部屋の掃除をしてはいかんのだ」と怒鳴りつけた。
(3)(die Schwester を主語と考え、sie werde 以下の文を anschrie の目的語とみなして:)妹が、「あたしはもう二度と、グレーゴルの部屋の掃除をしてやらないわ」とわめいた。
(4)((3)と同じに考えて:)妹が、「あたしはもう二度と、グレーゴルの部屋の掃除してはいけないんでしょうね」とわめいた。
(5)((3)と同じに考えて:)妹が、「あなたは(日本語らしく言うと、お母さんは)もう二度と、グレーゴルの部屋の掃除をしてはいけないのよ」とわめいた。
次に、既訳がここをどのように解釈しているかを、年代順に、以下に示しておきます。
ただし、(1)~(5)の番号のみで示します。訳文を全部あげていますと長くなりますし、こうした方が視覚的にもわかりやすいと思いましたので。
あとの私のお話の中で、実際の訳文のいくつかをあげるようにします。
○高橋義孝 [1952.6](3)
○中井正文 [1952.7](3)
○山下肇(はじめ)[1958](3)
○原田義人 [1960](3)
○辻瑆(ひかる)[1966.4](5)
○高本研一 [1966.8](3)
○高安国世 [1967](3)
○川崎芳隆 [1973](3)
○城山良彦 [1974](1)
○片岡啓治 [1976](3)
○立川(たつかわ)洋三 [1977](3)
○川村二郎 [1980](1)
○ナボコフ、野島秀勝訳 [1982](1)
○三原弟平(おとひら)[1995](1)
○池内紀(おさむ)[2001](1)
○山下肇・萬里(ばんり)[2004](1)
○丘沢静也(しずや)[2007](1)
○浅井健二郎 [2008](1)
○野村廣之 [2011](1)
○真鍋宏史 [2013](1)
○多和田葉子 [2015](1)
○田中一郎 [2018](1)
○川島隆 [2022](1)
○A. L. Lloyd [1937](1)
○Eugene Jolas [1938](1)
○Willa & Edwin Muir [1948?](1)
○Stanley Corngold [1972](1)
○J. A. Underwood [1981](1)
○Malcolm Pasley [1992](1)
○Joachim Neugroschel [1993](1)
○Karen Reppin [1995](1)
○Donna Freed [1996.1](1)
○Stanley Appelbaum [1996.4?](1)
○Ian Johnston [1999?](1)
○David Wyllie [2002.5?](5)〔ただし、(4)ともとれる〕
○Richard Stokes [2002.9](1)
○M. A. Roberts [2005](1)
○Michael Hofmann [2006](1)
○Will Aaltonen [2009.6](1)
○Joyce Crick [2009.7](1)
○Charles Daudert [2010](2)
○John R. Williams [2011](1)
○C. Wade Naney [2012](5)
○Susan Bernofsky [2014.1](1)
○Christopher Moncrieff [2014.11](1)
○Katja Pelzer [2016.?](1)
○Mary Fox [2018](4)
○Phillipp Strazny [2019](1)
○Christopher Drizzen [2020.7](1)
○Robert Boettcher [2021](4)
次に、それぞれの解釈について、私なりのコメントをしてみます。
それに先立って少し申し上げますと、sie werde niemals mehr Gregors Zimmer reinigen dürfen は間接話法になっており、werde は未来形を作る助動詞である werden の接続法第Ⅰ式です。間接話法では接続法第Ⅰ式が使われることが多いですね。sie は当然、グレーゴルの母親か妹のどちらかをさしています。そして、この sie werde を直接話法で言いますと、それぞれの解釈に応じて、du wirst になったり、sie wird になったり、ich werde になったりします。また、ドイツ語の未来形は、推量や未来の予定を表す「...だろう」という感じの意味が一番普通ですが、主語が2人称の場合には命令や、主語が1人称の場合には意志を表すこともあります。もっとも、命令や意志を表す場合でも、「これからは」という未来のニュアンスが強く加わりますが。
以下、それぞれのパターンについて、前に記した訳のみを再記し、また、間接話法の sie werde niemals mehr Gregors Zimmer reinigen dürfen を、それぞれの解釈に合うように直接話法に直しておき(引用符は省略)、そして、実際の訳文の中から典型的な例をあげておいてから、お話を進めます。訳例をあげるさいには、links dagegen も含めます。なお、この links と、ここの前に出ていた rechts も、訳によって訳し方がいろいろ違っていますが、ここでこのこともお話しすると今回のテーマから外れてきますので、本稿の最後の「付記」でお話しすることにします。
(1)[父親が]妹に、「おまえはもう二度と、グレーゴルの部屋の掃除をしてはいかん」と怒鳴りつけた。
直接話法:du wirst niemals mehr Gregors Zimmer reinigen dürfen
この意味で言いたいのでしたら、sie dürfe niemals mehr Gregors Zimmer reinigen (直接話法では du darfst ...) と言っても同じことですが、この werden は命令の意味であり、これを入れることで意味をより強めたのではないかと、私は思います。
なお、英訳はほとんどがこの解釈で訳していますが、その大部分は、たとえば Pasley 訳や Neugroschel 訳のように 、werde を would と訳出しています。それで、 she would ... を直説話法にしますと、you will ... となりますね。この will を「...だろう」という意味に解しますと命令の意味が弱まってしまいますが、英語では you will ... で命令を表すこともあるようですから、英訳においても、この would → will に命令の意味を持たせているのではないかと思われます。
なお、would を使っていない英訳もありますので、ご参考までにあげておきます。
この解釈ですと、直前に父親が母親をグレーゴルの部屋の掃除を妹に任せなかったとして非難したことと、完全に矛盾しています。ですが、妹が激しく泣いたために父親はびっくりして取り乱していましたから、このような矛盾した言動をするということも、十分にありうると思われます。
(2)[父親が]妹に、「母さんはもう二度と、グレーゴルの部屋の掃除をしてはいかんのだ」と怒鳴りつけた。
直接話法:sie wird niemals mehr Gregors Zimmer reinigen dürfen
しかしながら、この解釈はちょっとどうかと私は思います。母親もそこにいるにもかかわらず、妹に向かってこのようなことを怒鳴って言う必要性はあまりないように感じられます。また、この would → will は、母親に直接言っているわけではありませんから、命令のニュアンスも持たせにくく、普通の「...だろう」という意味に解さざるをえないように思いますが、そうしますと意味が弱まってしまいます。
あるいは、「母さんにはもう二度と、グレーゴルの部屋の掃除はさせんぞ」というニュアンスで訳したのかもしれませんが、原文がこのようなことを言いたかったのでしたら、もっとそれらしい表現をしたのではないでしょうか。
というわけで、この解釈は、誤訳とは言い切れませんが、私としては不賛成です。
(3)妹が、「あたしはもう二度と、グレーゴルの部屋の掃除をしてやらないわ」とわめいた。
直接話法:ich werde niemals mehr Gregors Zimmer reinigen dürfen
この場合には、直接話法の werde → werden は、主語(ここでは妹)の意志を表していると解することができますね。
それはともかくとしまして、以前の邦訳ではこの解釈が多かったのですが、私はこれにも引っかかります。話法の助動詞の dürfen が否定されますと、「...してはいけない」という意味になるのが普通でして、このような解釈はちょっと出てこないのではないかと思います。この意味で言いたければ、sie werde niemals mehr Gregors Zimmer reinigen (直接話法では ich werde niemals mehr Gregors Zimmer reinigen) とすれば済むことで、dürfen を入れる必要性がありません。
ただ、dürfen には「あえて...する」という意味がまれにあるようですので、この意味と解しますと、この解釈も全く成り立たないことはないかもしれません。ですが、このようなまれな意味にここで使う必要があるとは、ちょっと考えにくいのではないでしょうか。
というわけで、この解釈も、誤訳とは言い切れませんが、私はやはり不賛成です。
(4)妹が、「あたしはもう二度と、グレーゴルの部屋の掃除してはいけないんでしょうね」とわめいた。
直接話法:ich werde niemals mehr Gregors Zimmer reinigen dürfen
この場合には、直接話法の werde → werden は、普通の「...だろう」という感じの意味と解してよいと思います。
この解釈ですと、(3)のような dürfen に関する問題がなくなって、一応は成り立ちそうな感じではありますね。ただ、ここまでわめくほどの内容かなと、ちょっと思えないこともありませんが。
(5)妹が、「あなたは(日本語らしく言うと、お母さんは)もう二度と、グレーゴルの部屋の掃除をしてはいけないのよ」とわめいた。
直接話法:du wirst niemals mehr Gregors Zimmer reinigen dürfen
この wirst → werden は、(1)と同じように、命令の意味を強めていると考えてよいと思います。
この解釈ですと、矛盾や違和感がなくて、つじつまが合うようにも思えますね。
さてそこで、どの解釈が妥当なのかということですが、文法的・論理的な観点から考えますと、ここはやはり(1)のように解するのが妥当のようです。はじめの引用からはだいぶ進みましたので、必要と思われる部分のみ、もう1回ここに引用しておきます。
やはりここは、「父親は、右側では母親を非難し、左側ではこれに反して(前に母親に言ったことと矛盾する内容で)妹を怒鳴りつけた」と解するべきなのかもしれませんし、もしも「右側では父親が母親を非難し、左側では妹がわめいた」と言いたいのでしたら、... ; rechts der Vater der Mutter Vorwürfe machte, daß sie Gregors Zimmer nicht der Schwester zur Reinigung überließ; links dagegen die Schwester anschrie, ... か、... ; der Vater rechts der Mutter Vorwürfe machte, daß sie Gregors Zimmer nicht der Schwester zur Reinigung überließ; die Schwester links dagegen anschrie, ... というふうに、rechts と links dagegen の位置が揃った語順になるのが自然かとも思われます。
また、ここの前に bis auch sie sich zu rühren anfingen; とありまして、この sie は、前からの流れ――妹が激しく泣いたことに当惑して、ただ眺めていた状態から sich rühren (この解釈に関しては本稿の最後の付記で記します) し始めた――で言いますと、彼女を含む3人ではなく、両親のことと解するのが自然ですし、邦訳でもすべてがそのように解しています。英訳ではほぼすべてが they とだけしていますので、はっきりとはわかりませんが、明らかに両親のことと受け取れるように訳している訳もいくつかあります。それですと、あとの der Vater rechts der Mutter Vorwürfe machte, から während die Mutter den Vater, ... , ins Schlafzimmer zu schleppen suchte; までの部分も、両親の行為が表現されていると考えるのが自然であり、途中の die Schwester が主語になるのは不自然かなとも思われます。
この上記のような考え方や、近年の諸訳の状況からしますと、やはり(1)と解するべきなのかもしれません。
ですが、実を言いますと私は、これまではずっと、ここを辻訳や Naney 訳や Wyllie 訳と同じく(5)の意味に解しており、今の仕事で「変身」の諸訳を見てみて、アッと驚いてしまいました。けれども、今見てみましても、これが一番つじつまが合うように思います。それに、カフカは文法の規則に従って論理的な文章を書く傾向がわりあいに強い人ではありますが、ときには文法の規則や、論理から外れた文を書くこともありますから、上記の文法的・論理的な根拠も絶対とは言い切れないようにも思います。
このようなわけで、個人的かつ中途半端な結論になって申し訳ないことながら、ここは一般的な観点から考えますと(1)が正解と言えそうですが、私個人の気持ちとしましては(5)でもよいのではないかとも思います。
私が今回、唐突にこんな先のことをお話ししましたのは、雑誌の連載がちょうど「変身」の半分まで来て、いわば節目になりましたから、いつもと違う感じでお話ししてみようかなと思ったのと、このように解釈が極端に分かれる箇所を取り上げることで、外国語を読むことの難しさを改めて知る機会にしようと思ったからです。連載から外れた箇所を取り上げた今回の拙稿をお読みいただきまして、有難うございました。
付記
今回取り上げた部分の中で、私が気がついている範囲では、以下の3箇所も解釈や訳し方が分かれていますので、ついでにふれておきます。ご興味がおありでしたら、もう少しお読み下さい。
※die ihr nur nach Verbrauch einiger Kübel Wasser gelungen war は、「2、3杯のバケツの水を使っただけでうまくいった」という感じで解釈している訳と、「数杯のバケツの水を使ってようやくうまくいった」という感じで解釈している訳とがあります。これは明らかに後者の方が適切です。前者のような意味になるのでしたら、die ihr nach Verbrauch nur einiger Kübel Wasser gelungen war という語順になると思いますから。
※sich zu rühren anfingen の解釈は、「動き始めた」という感じで訳している訳と、「興奮し始めた」などという感じの心理的な意味合いで訳している訳とがあります。ですが、sich rühren の基本的な意味はやはり「動く」であり、「興奮する」といったような意味は辞書には出ていません。ですから、やはり「動き始めた」と解した方がよいのではないかと、私は思います。もっとも、父親が怒鳴りつけたことは純粋な意味での「動く」とはちょっと違いますから、「じっと見てばかりはいられなくなった」(高安国世訳)や「じっとしていられなくなった」(城山良彦訳)のようにするのが一番よいかと思われます。
※意味が大きく変わるわけではありませんが、rechts と links の訳し方も、訳によっていろいろです。訳例が多い(1)と(3)に関してのみ、訳し方をあげておきます。なお、関係している別の語句の訳し方も、少し含めています。
ただし、詳しく記しだしますと、これだけでもまとまった論考くらいの量になってきてしまいますので、言葉が微妙に違っていてもほぼ同じことを言っている訳はまとめて示すなどして、ある程度簡略に記します。
(1)の邦訳
○おおむねは、「右側の/右手の/右手にいる [母親には/母親に向かって/母親に向かっては/母親に対しては、... 、] 左側の/左手の/左手にいる [妹には/妹に向かっては、...]」というパターンになっています。ほかにも「左にいる」「左側にいた」など、微妙に違っている訳もありますが、代表的な訳だけをあげています。
○上記の「母親には/.../母親に対しては、... 、」の部分を「…、と[右側の]母親を責めたてた」(山下肇〔はじめ〕・萬里〔ばんり〕訳)、「妹には/妹に向かっては、...」の部分を「...と、[左手にいる] 娘を甲高(かんだか)い声で怒鳴りつけた」(ナボコフ、野島秀勝訳)、などとしている訳もあります。
○ほかには、次のような訳し方をしています。
「左の部屋では [...と言って母親を責め 、] 右の部屋では [妹に対して...と大声を出し、...]」(田中一郎訳;「部屋」とまで言ってよいのか、ちょっと疑問ですが)
「右を向いては [、...ことで母親を責め立て、逆に] 左を向いては [、...と妹をどなりつけた]」(川島隆訳;原文では「...を向いては」とは言っていませんが、結局はこう考えてよいと思いますし、上手に訳しておられると思います。英訳ではこのように訳しているものがいくつかあります)
○dagegen については、訳出していない訳も少なくありませんが、訳出している場合には、「左...」の前に「一方」「それなのに」「逆に」「そのくせ」「なのに」「(意訳ですが)しかるのち」と入れています。
(1)の英訳
○左右と言わずに、on the one hand と on the other hand または on the other、on the one side と on the other としているものもあります。
○分詞構文として turning right/ left とか turning to the right/left としているものもあります。また、分詞構文ではありませんが、turn を使っているものとして、はじめは On his right side とし、あとのほうだけ turned(過去形) to his left としている訳もあります。
○on his right/left、on the right/left、to his right/left、to the right/ left としているものもあります。これら4つのパターンについては、
①前後にコンマを入れて独立的に使われている場合と、
②his/the mother、his/the sister などの語の直後にコンマなしで置かれている場合とがあります。
①の場合には、「右(左)側では」とか「右(左)側に向かって」という意味になります。
②の場合には、「右(左)側の母親(妹)」「右(左)側にいる母親(妹)」という意味になります。on his right などはともかく、たとえば the mother to his right でこのような意味になるのはちょっと違和感があるかもしれませんが、英語ではこのようにも言うようです。
例としては、本論の方の(1)に訳例としてあげた、Pasley と Neugroschel の訳文をご参照下さい。
○dagegen については、英訳でも訳出していない訳が少なくありませんが、訳出している場合には、but、however、on the contrary、(前の on the one hand に呼応する形ではなく、あとの方に単独で入れて) on the other hand と入れています。あるいは、あとの方で、while to his left he shouted at ... のように while を使って、このニュアンスを出しています。
(3)に関しては邦訳のみとなりますが、「右側では [父親が、... 、] 左側では [妹が、...]」というパターンの訳が3つあり、これら以外の訳では、次のように訳しています。
○「右側では [父親が、... 、] 左からは [グレーテが、...]」(高橋義孝訳)
○「一方では [父が... 、] 他方では [、妹が...]」(中井正文訳)
○「右手にひかえた [父親は、... 、] 左手にひかえた [妹は、...]」(山下肇訳)
○「[父親が] 右側から [、... 、] 左側からは [妹が...]」(高安国世訳)
○「[... 、といって] 右からは [父親に責めたてられるし、] 左では[、... 、といって妹がわめきたてる]」(片岡啓治訳)
○「[父親が] 右がわで [、... 、と母親を叱りつければ、] 左からは[妹が、...]」(立川〔たつかわ〕洋三訳)
dagegen は、どの訳でも訳出されていません。
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