「変身」において翻訳の解釈が分かれている箇所(連載の第14回で取り扱われている範囲で)

岡上容士(おかのうえ・ひろし)と申します。高知市在住の、フリーの校正者です。文学紹介者の頭木(かしらぎ)弘樹さんが雑誌『みすず』に連載なさっている「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」の校正をさせていただいており、その関係で、「『変身』において翻訳の解釈が分かれている箇所」というコラムも書かせていただいています。これまでは頭木さんのブログをお借りして掲載させていただいていましたが、今回からは私自身の noteに掲載いたします。引き続きお読みいただけましたら幸いです。

※解釈が分かれている箇所は、詳しく見ていくと、このほかにもまだあるかもしれませんが、私が気がついたものにとどめています。 

※多くの箇所で私なりの考えを記していますが、異論もあるかもしれませんし、それ以前に私の考えの誤りもあるかもしれません。ご意見がおありでしたら、コメントの形でお寄せいただけましたら幸いです。 

※最初にドイツ語の原文をあげ、次に邦訳(青空文庫の原田義人〔よしと〕訳)をあげ、そのあとに説明を入れています。なお邦訳に関しては、必要と思われる場合には、原田訳以外の訳もあげています。ただし、原田訳以外の訳は、あとの説明に必要な部分だけをあげている場合もあります。 

※ほかにも、文の一部分や、個々の単語に対して、邦訳の訳語をあげている場合があります。この場合には、『変身』の邦訳はたくさんありますので、同じ意味の事柄が訳によって違った形で表現されていることが少なくありません(たとえば「ふとん」「布団」「蒲団」)。ですが、説明を簡潔にするため、このような場合には全部の訳語をあげず、1つ(たとえば「ふとん」)か2つくらいで代表させるようにしています。 

※邦訳に出ている語の中で読みにくいと思われるものには、ルビを入れています。 

※高橋義孝訳と中井正文訳は何度か改訂されていますが、一番新しい訳のみを示しています。 

※英訳に関しては、今回は、特に示す必要はないと思われた若干の箇所では省略してあります。 

※ドイツ語の文法での専門用語が少し出てきますが、これらを1つ1つ説明していますと長くなりますし、ここのテーマからも外れてきます。ですから、これらに関してはご存知であることを前提とします。ご存知でない方でご興味がおありの方は、お手数ですが、ドイツ語の参考書などをご参照下さい。

※原文や邦訳や英訳など、他書からの引用部分には色をつけてありますが、解説文の文中であげている場合にはつけていません。

○Er war schon längst mit allem fertig und lag nur noch faul auf der gleichen Stelle, als die Schwester zum Zeichen, daß er sich zurückziehen solle, langsam den Schlüssel umdrehte. Das schreckte ihn sofort auf, trotzdem er schon fast schlummerte, und er eilte wieder unter das Kanapee.
もうとっくにすべてを平らげてしまい、その場でのうのうと横になっていたとき、妹は彼に引き下がるようにと合図するため、ゆっくりと鍵を廻(まわ)した。彼はもうほとんどうとうとしていたのにもかかわらず、その音でたちまち驚かされてしまった。彼はまたソファの下へ急いでもぐった。(原田義人〔よしと〕訳)
こうしてとっくに食事をすまして、ただもうぐったりとその場に寝そべっていると、妹がゆっくりと鍵をまわした。引きさがれという合図なのである。(以下略)(立川〔たつかわ〕洋三訳) 

ここは解釈の違いということとはちょっと異なりますが、訳し方の違いが興味深いですので、取り上げておきます。
nur noch(ニュアンスの微妙な違いはありますが、nur と大体同じ意味ですね)は、邦訳では、訳出していないものも多いですが、訳出しているものはおおむね、たとえば「ただのうのうと寝そべっていた」などのように、「ただ」をどこかに入れています。立川訳は特に上手だなと思いましたので、上にあげておきました。
ちなみに、faul は実にいろいろに訳されており、「いぎたなく」「ぐずぐず」「ぐったりと」「ぐてっと」「ゴロリと」「さも大儀(たいぎ)そうに」「さも大儀といわぬばかり」「だらしなく」「だらだら」「だらりと」「のうのうと」「のらくら」「ぼんやりと」「満腹のあまり」「面倒くさかったため」「ものぐさに」となっていますが、どれもそれなりに上手であると思います。
英訳では、やはり nur noch を訳出していないものが多いですし、訳出しているものでも簡単に、was just (が多いですが、only と simply もあります) lying lazily (または idly) ... などのようにしている程度です。
英訳では faul はわりあい直訳的に訳されており、上記の lazily と idly が多いですが、ほかには、contentedly、drowsily、indolently、lethargic(これ以外の語と違って、副詞ではなく形容詞ですが、これを使っている訳では、lay〔lie の過去形〕の補語になっています)が使われています。 

○Aber es kostete ihn große Selbstüberwindung, auch nur die kurze Zeit, während welcher die Schwester im Zimmer war, unter dem Kanapee zu bleiben, denn von dem reichlichen Essen hatte sich sein Leib ein wenig gerundet und er konnte dort in der Enge kaum atmen.
だが、妹が部屋にいるほんの短い時間であっても、ソファの下にとどまっているのには、ひどい自制が必要だった。というのは、たっぷり食事をしたため、身体が少しふくらんで、ソファの下の狭い場所ではほとんど呼吸することができなかった。 

ここも前項と同じ趣旨で取り上げておきます。
「kosten+人を意味する4格(または3格)+物事を意味する4格」で「その人にその物事を費やさせる」という意味になりますが、このように直訳しますと日本語としては不自然ですので、es kostete ihn große Selbstüber-windung はいろいろに訳せますね。邦訳では(große と、訳出されている場合の ihn の訳は除外して、ごく簡略にまとめますと)「克己心/自制心/我慢/忍耐が必要だった」「大変/苦労/苦行/難行だった」のようになっています。 

○Unter kleinen Erstickungsanfällen sah er ①mit etwas hervorgequollenen Augen zu, wie die nichtsahnende Schwester mit einem Besen nicht nur die Überbleibsel zusammenkehrte, sondern selbst die von Gregor gar nicht berührten Speisen, ②als seien also auch diese nicht mehr zu gebrauchen, und wie sie alles hastig in einen Kübel schüttete, den sie mit einem Holzdeckel schloß, worauf sie alles hinaustrug.
何度か微(かす)かに息がつまりそうになりながら、いくらか涙が出てくる眼で彼はながめたのだが、何も気づいていない妹は箒(ほうき)で残りものを掃き集めるばかりでなく、グレゴールが全然手をつけなかった食べものまで、まるでもう使えないのだというように掃き集めた。そして、そうしたものを全部、バケツのなかへ捨て、木の蓋(ふた)をして、それからいっさいのものを部屋の外へ運び出していった。(原田訳)
軽い窒息の発作にあえぎながら、彼はいくらかとび出した目で、妹がそんなこととはつゆ知らず箒で残り物を掃き集めるのを見ていた。すると彼女はグレーゴルが全然手をつけなかったたべ物まで、もう使い物にならないというようにいっしょくたに掃き寄せているのである。(以下略)(高安国世訳) 

①この mit etwas hervorgequollenen Augen は、原田訳のように訳している邦訳も多いのですが(ただし、英訳では3つしかありません)、私は「目を少し飛び出させて」という意味ではないかと思います。hervorquellen には、「飛び出る」「突き出る」という意味(辞書によっては載せていないものもありますが)があり、目にもよく使われます。目が飛び出したようになったのは、窒息しそうな発作の影響によったのではないでしょうか。
なお、hervorquellen には確かに「湧き出る」という意味もありますが、湧き出ているのは目ではなく涙ですから、このように言いたいのでしたら Augenではなく Tränen となるのではないかと思います。 

②この als seien also auch diese nicht mehr zu gebrauchen ですが、「als+動詞の接続法+...」という表現は「als ob+...+動詞の接続法(「まるで、あたかも...のように」という意味)」という表現の ob が省略されて、その位置に動詞が来たものであり*、「sein+zu+動詞の不定形(原形)」という表現は、「...されうる」とか、「...されるべきである」という意味になります。
*この表現では接続法第Ⅱ式が使われることが多いですが、ここでのように第Ⅰ式が使われることもあります。
それで、ここ全体の解釈ですが、次の2つに分かれています。訳は逐語訳から始めて、意訳に移ります。
(1)「これらも、もうこれ以上、[人によって;ここでは、家族によってと考えてもよいと思います] 使われることはできない、または、使われるべきではない」:砕いて訳しますと、「これらは、もう使い物にならない」のようになります。つまり、「いったんグレーゴルに食べ物として出してしまったものは、たとえ全く手をつけられていなくても、食べる気はしない」というニュアンスになりますね。
(2)「これらも、もうこれ以上、[グレーゴルによって] 必要とされえない」:この場合には、gebrauchen を「使う」と解しますとやや不自然ですので、「必要とする」と解することになります。
「必要とする」という意味の動詞は brauchen が普通ですが、gebrauchen もこの意味になることがあります。もっとも、「gebrauchen をこの意味に使うのは brauchen と混同したことによる誤用だ」という意見もあるようですが、この意味も事実上定着していると言ってよく、ほぼすべての辞書に(辞書によっては誤用とのコメントが入りつつも)収録されています。
こうした問題もないわけではありませんが、ともかくこの意味と解しますと、「これらは、グレーゴルにはもういらない」というニュアンスになりますね。
実は私は、これまではここを(2)の意味に解して疑いませんでしたが、今回、諸訳を調査して、(1)の解釈があることを知り、驚きました。
ここでは、「だれによって(もうこれ以上 gebrauchen されえないのか)」ということが、残念ながら明記されていませんから、文法的にはどちらに解しても間違いではなく、どちらの解釈が正しいのかは私も断定できません。
参考にするために、これまでの邦訳や英訳がどうなっているかを見てみましょう。
邦訳では、原田訳や高安訳のような感じで、(1)の意味に解しているものが多いです。
ですが、以下の諸訳のように、(1)(2)のどちらとも解せるものもあります。

ではこれも用ずみといった様子で(川村二郎訳)
もはや無用の品とばかり(池内紀〔おさむ〕訳)
こんなもの要らないな、という調子で(丘沢静也〔しずや〕訳)
それならこれももう使えないなというかのように、(浅井健二郎訳):(岡上記)「使う」という言葉で訳してはいますが、この場合には、「グレーゴルに出してしまったから使えない」とも、「グレーゴルが必要とせず、食べないから使えない」とも言えますから、どちらとも解せると思います。以下、英訳の場合にも同じようなことが言えます。
用済みとばかりに(川島隆訳)

また、以下の2つの訳は、(2)の意味に解していると思われます。

さてはもう不用の品であったかといわんばかりに(川崎芳隆訳)
じゃあもう要らないのね、とばかりに(山下肇〔はじめ〕・萬里〔ばんり〕訳)

英訳では、「もうこれ以上、使えないかのように/役に立たないかのように」のような感じで訳しているものが多く、これらも(1)(2)のどちらとも解せます。例は5つだけにとどめます。

―as if they too were no longer usable― (Stanley Corngold 訳)
... , as if these were no longer any good either, ... (Malcolm Pasley 訳)
... , as if they now had no more use, ... (Donna Freed 訳)
... , as if these were also now useless, ... (Ian Johnston 訳)
... , as if this too was no longer of any use, ... (John R. Williams 訳)

ですがその一方で、(1)か(2)の意味を明確に出して訳しているものもあります。

(1)では、
... , as if they were no longer edible. (Eugene Jolas 訳)
... , as if these were no longer edible, ... (C. Wade Naney 訳)
... , as if these were now of no use to anyone, ... (Willa & Edwin Muir 訳)
... , as if these items too were no longer fit for consumption, ... (Susan Bernofsky 訳)

(2)では、
... , as if he needed them no more; ... (A. L. Lloyd 訳)
... , as if realizing that it too was no longer needed, ... (J. A. Underwood 訳)
... , assuming he no longer wanted it, ... (Will Aaltonen 訳)
... , as if it couldn’t be offered to him again, ... (Christopher Moncrieff 訳)

それから、新たに気がついたのですが、この als seien also auch diese nicht mehr zu gebrauchen は、前の方の mit einem Besen ... zusammenkehrte (箒で掃き集めた)にかかっていると考えられそうですが、(2)の解釈をした場合には、直前の die von Gregor gar nicht berührten Speisen にかかっているとも、考えられないことはありません( (1)の解釈をした場合には、グレーゴルがこんなことを考えて全く手をつけなかったとするのは〔妹の立場からの見方ではあっても〕不自然ですから、これはちょっと考えにくいと思われます)。
als seien also auch diese nicht mehr zu gebrauchen は、「...のような」という意味の形容詞節ではなく、「...のように」という意味の副詞節ですから、名詞の Speisen にかかるのはおかしいではないかと思えるかもしれませんが、als ob(この場合は ob が省略されて、この位置に定動詞の seien が来ていますが)が形容詞節として名詞にかかるということは、絶対にありえないことではありません。あるいは、文法的に厳密に考えますとちょっとおかしいのですが、修飾句である gar nicht berührten にかかっていると考えることも、できないことはありません。
この点から諸訳をもう一度見てみましたところ、邦訳はすべて、mit einem Besen ... zusammenkehrte にかかっていると解しています。
英訳では、as if ... か as though ... の構文が、原文と同じ位置に該当する箇所に置かれているために、読んだだけでは、どこにかかっているかわからないものがほとんどですが、上記のように gar nicht berührten にかかっているように考えて訳していると思われる英訳も、実は2つあります。

... , as his sister, all unawares, swept everything together with a broom―not only the leftovers, but also those elements of food that Gregor hadn’t touched, as though they too were now not good for anything― (Michael Hofmann 訳)
... as his sister unselfconsciously took a broom and swept up the left-overs, mixing them in with the food he had not even touched at all as if it could not be used any more. (David Wyllie 訳)

ただ、Wyllie 訳では、食べ物はグレーゴルの立場からは「使われない」と言うよりも「必要とされえない」あるいは「食べられえない」とするのが自然ですから、used よりも needed か eaten とした方がよいのではないかと思われますが。
以上、この als seien also auch diese nicht mehr zu gebrauchen をどう解釈するか、また、これがどこにかかっているかという問題に関しては、私は今のところ、明確な結論は出せません。ご意見がおありの方がおられましたら、お寄せいただけましたら幸いです。 

○Kaum hatte sie sich umgedreht, zog sich schon Gregor unter dem Kanapee hervor und streckte und blähte sich.
妹が向きを変えるか変えないかのうちに、グレゴールは早くもソファの下からはい出て、身体をのばし、息を入れた。(原田訳)
彼女がむこう向きになるかならぬうちに、急いでグレーゴルはソファの下から這(は)い出し、のびをし、胸をふくらまして深呼吸をした。(高安訳) 

blähte sich は、直訳しますと、「自分をふくらませた」となりますね。
邦訳では、「体をふくらませた」のように直訳しているものと、原田訳や「息を吸った」「息を吸い込んだ」のように、息を使って訳しているものとに分かれています。高安訳は両方の意味を出しています。
ただし英訳では、息に関係する語を使って訳しているのは2つだけです。

[... , stretching himself and] taking deep breaths (Williams 訳)
[... , stretched and] breathed deeply (英語に問題が多いので『変身』の英訳リストには入れていない某訳:しかしここでは、上手に訳していると思います) 

○Auf diese Weise bekam ①nun Gregor täglich sein Essen, einmal am Morgen, wenn die Eltern und das Dienstmädchen noch schliefen, das zweitemal nach dem allgemeinen Mittagessen, denn dann schliefen die Eltern ②gleichfalls ③noch ein Weilchen, und das Dienstmädchen wurde von der Schwester mit irgendeiner Besorgung weggeschickt.
こういうふうにして毎日グレゴールは食事を与えられた。一回は朝、両親と女中とがまだ眠っているときで、二回目はみんなの昼食が終ったあとだ。というのは、食事後、両親はしばらく昼寝をし、女中は妹から何か用事を言いつけられて使いに出される。 

①nun は、邦訳、英訳ともに、訳出していないものも多いですが、訳出しているものでは、邦訳では「いまや」「さて」「その後は」「それから」「それからは」、英訳ではほぼすべて now(then と from now on が1つずつだけ)となっています。この場合には、「その後は」「それから」「それからは」が近いかなと、私は思います。
②gleichfalls は、「[両親とも]同じように」という意味ではないかと思われます。邦訳では、「両親がそろって」「両親揃って」「両親とも」「両親ともそろって」「両親はそろって」「両親は二人とも」「父も母も」としています。英訳では、M. A. Roberts 訳が likewise、2つの訳が also(ですがこれを入れただけでは、どこにどうかかっているのかよくわかりませんね)とし、Moncrieff 訳がことさら(his parents または the parents ではなく)his mother and father としている以外は、あまり明確に訳出されていません。
③(上記の原文で言いますと4行目の)noch は、(同じく2行目の) schliefen と関連づけて、「さらに[寝た]」「また[寝た]」という意味になるのではないかと思われます。邦訳では、いくつかの訳が「それから」「それからまた」「また」「もう[しばらく]」としています。英訳では、5つの訳が again としており、これら以外では as before と right afterwards(「[起きてから]すぐあとで」という意味でしょうね)が1つずつある程度で、あまり訳出されていません。 

○Gewiß wollten auch sie nicht, daß Gregor verhungere, ①aber vielleicht hätten sie es nicht ertragen können, von seinem Essen mehr als durch Hörensagen zu erfahren, ②vielleicht wollte die Schwester ihnen auch eine möglicherweise nur kleine Trauer ersparen, denn tatsächlich litten sie ja ③gerade genug.
たしかにみんなはグレゴールを飢(う)え死(じに)させようとはしなかったが、おそらく彼の食事についてはただ妹の口から伝え聞くという以上の我慢はできなかったのだろう。またきっと妹も、なにしろほんとうに両親は十分苦しんでいるのだから、おそらくほんのわずかな悲しみだけであってもはぶいてやろうとしているのだろう。(原田訳)
むろんかれらにしたところで、グレゴールが餓死(がし)することを望んではいなかったろうが、おそらく、彼の食事のことで、妹の口から以上に直接見聞きするには忍びなかったのだろう。妹としても、事実両親がただでさえもう十分に苦しんでいるのだから、できるだけ両親の悲しみを少く、と気をつかっていたのにちがいない。(山下肇訳)
たしかに皆もグレゴール(のちの訳では、グレーゴル)が飢え死にするのは望まなかったが、彼の食事のことは妹から聞くだけでたくさんであり、それ以上は堪えられなかったのかもしれない。あるいは妹が、ほんの少しでも、両親の悲しみを軽くしたいと思ったのかもしれない。実際彼らはもう十分に苦しんでいた。(城山良彦訳) 

①ここも解釈の違いとはちょっと異なりますが、いささかわかりにくいですので取り上げておきます。
aber vielleicht hätten sie es nicht ertragen können, von seinem Essen mehr als durch Hörensagen zu erfahren, の部分は、逐語訳をしますと、「しかし、(妹からということになりますが)伝え聞くことによって以上に、彼の食事について知る(見聞きする)ことには、耐えられなかっただろう」となります。「知る」ということは、この場合には、見たり聞いたりして知るということでしょうね。erfahren には「見聞きする」という意味もありますし、山下肇訳のように、このように訳している邦訳もあります。「見る」ということはグレーゴルが食べているのを直接見るということでしょうし、「聞く」ということはグレーゴルが食べている音を直接聞くということかと思われます。あるいは、食事の音を聞くということではなく、グレーゴルに直接話を聞くということかなとも思いましたが、今のグレーゴルの状況ではそのようなことはとても期待できませんから、やはり音の方と言えましょうか。
ちなみに、原田訳や城山訳のような感じで訳している邦訳も少なくありませんし、誤訳とは言えませんが、ちょっと簡単に言い過ぎているのではないかと思います。

②vielleicht wollte die Schwester ihnen auch eine möglicherweise nur kleine Trauer ersparen, denn tatsächlich litten sie ja gerade genug. の auch eine möglicherweise nur kleine Trauer はちょっと訳しにくいですが、逐語訳的に言いますと、「悲しみは小さなものにすぎなかったかもしれないが、そんな悲しみでさえ」ということを言っており、この点は間違いないと私は思います。このように訳している訳もいくつかありますので、あげておきます。原田訳も、以下の邦訳ほど逐語訳的には言っていませんが、この感じに近いと言ってよいと思います。

たぶんまた妹が気をきかして、あるいはごく些細(ささい)な悲しみかもしれぬけれども、それさえ両親には味わわせないようにと考えたのかも知れない。(高安訳)
それはわずかな悲しみにすぎないかもしれないが、もしかすると妹もみんなには味わわせたくなかったのかもしれない。(丘沢訳)
妹は妹で、おそらく、両親に悲しみを――小さな悲しみでしかないかもしれないにしても――味わわせたくはなかったのだろう。(浅井訳)
...―or perhaps in all probability his sister wanted to spare them what sadness she could, little as that might be―... (Jolas 訳)
... , or perhaps his sister wanted to spare them even what was possibly only a minor torment, ... (Corngold 訳)
... , perhaps his sister was concerned to spare them even what might have been only a minor sorrow, ... (Underwood 訳)
... , or perhaps his sister wanted to spare them anything that might have proved even mildly distressing, ... (Pasley 訳)
... , or the sister may have wished to spare them some―perhaps only slight―grief, ... (Joachim Neugroschel 訳)
... ; perhaps his sister also wanted to spare them one more sorrow, though possibly only a small one, ... (Stanley Appelbaum 訳)
Perhaps his sister wanted to spare them what was possibly only a small grief, ... (Johnston 訳)
... , perhaps his sister even wanted to spare them what was possibly merely a minor distress, ... (Richard Stokes 訳)
... ; or perhaps sister was trying to save them from what was possibly only a small sorrow, ... (his sister か the sister となるのが自然かと思いますが、原書は sister のみとなっています) (Roberts 訳)
... , or perhaps his sister wanted to spare them even what was possibly only a small grief, ... (Joyce Crick 訳)
Perhaps the sister simply tried to save them from admittedly even minor grief, ... (Philipp Strazny 訳)

ですが邦訳の中には、山下肇訳のように「悲しみをできるだけ減らす」という感じで訳しているものや、城山訳のように「悲しみを少しでも減らす」という感じで訳しているものが、少なからずありまして、このような訳はちょっとどうかと私は思っていました。原文を読んだかぎりでは、このようには書かれていませんし、私はこれまで、以下に記すように考えていましたから。しかしながら、グレーゴルの家族がそれまでにどのように悲しんでいたのかをよくよく考えていきますと、必ずしも誤りとは言えないと思うようになりました。
「小さな悲しみ」の内容は勿論、グレーゴルが食事をしている様子を見聞きすることによる悲しみですね。
それはそれとして、それまでに彼の家族がどのように悲しんでいたのかを、ちょっと考えてみましょう。
私はこれまでは、家族(特に父親)は虫になったグレーゴルのことをずいぶん悲しんではいたでしょうが、だいぶ嫌悪感も抱いていましたから、総じては悲しみはあまり感じてはいなかったのではないだろうかと、単純に考えていました。父親がグレーゴルにきつく当たるシーンが、特に強く印象に残っていましたから。そして、グレーゴルの食事を見聞きすることで、両親はまた小さな悲しみを感じるかもしれないが、そんな悲しみを抱かせないように、妹はしたかったのではないかと思っていました。
こう考えますと、悲しみはもともとたいして大きくはなかったのですから、「悲しみをできるだけ減らす」とか「悲しみを少しでも減らす」とかいった訳は、まるで成り立たないことはないとしても、そこまで言い換えるのは不自然ではないかと思っていました。
しかしながら、頭木さんのご意見では、「グレーゴルが虫になったという大事件で家族は既に大きな悲しみを感じており、それに比べると、虫になったグレーゴルが飲み食いするところを見たり音を聞いたりする悲しみは小さなものと言える」という解釈もできるのではないかとのことでした。
以下、頭木さんのご意見の続きです。
「グレーゴルは虫になってしまいましたし、しかも家の稼ぎ手でもあったので家族はお金に困るという問題も出てきますから、やはり家族は大きく悲しんでいたと考えた方がよいかもしれません。
また、悲しむのは、グレーゴルに同情しているからばかりとは限らず、グレーゴルの変身という不幸な出来事が起きた自分たちを悲しんでいるのかもしれません。たとえば、ひきこもりの息子がいる場合、父親は息子をひどく嫌悪している場合も少なくありませんが、この場合でも同時に悲しんでもいます。このような悲しみは、相手への同情だけはでなく、こういうことになってしまった自分に対する悲しみでもあるとも言えますね。
このようなわけで、家族はただでさえ大きな悲しみを感じているところに、グレーゴルの食事を見聞きすることで、さらに悲しみが増すかもしれず、その悲しみは小さなものかもしれないが、妹はそれを家族に味わわせないようにしたのかもしれないとも考えられます。
このような考え方をもとにしますと、『悲しみは小さなものにすぎなかったかもしれないが、そんな悲しみでさえ』減らすということは、大きな悲しみに小さな悲しみをさらにプラスしないようにするということと解釈され、結果として、『悲しみを少しでも減らす』ということを意味するとも言えると思います」
家族のそれまでの悲しみの内容を、私はここまで踏み込んでは考えていませんでしたが、やはり頭木さんのように考えた方がよいかなと思いました。もっとも、これまでに記してきたことは、語学的な解釈の違いということではなくて、登場人物の心情をどう考えるのかということになってきますから、もとよりこの短い原文だけからでは、どちらの解釈が正しいのかは判断できません。
ですが、頭木さんのような考え方に従いますと、山下肇訳や城山訳のような訳も誤りとは言えないということになりますし、日本語として読んだ場合には、むしろこの方がわかりやすいとさえも言えるかもしれませんね。訳文に、これまでの両親の悲しみは大きかったといったような説明を加えれば、一番明確にわかりますが、原文にないことを大幅に付け加えることになり、長くなってしまいますし。
ただ、上記の考え方から見ますと、「できるだけ」よりも「少しでも」の方がベターかなと思います。また、「できるだけ」としている訳が möglicher-weise を「できるだけ」と解してこう訳したとは断定できませんが、もしもそうだとしましたら、どうかなと思います。この語にはこのような意味はなく、ここでは最初の逐語訳で示したとおり、あくまでも vielleicht(ひょっとしたら、もしかすると)に近い意味と解すべきでしょう。
それから、高橋義孝訳ではこの部分を「なんとしてもみんなの悲しみをそれ以上は大きくしたくないという肚(はら)だったのであろう」、片岡啓治訳では「なるべくならそれ以上悲しませるようなことはしたくない、という気持ちだったのだろう」としており、山下肇訳や城山訳などとはまた違った意訳になっていますが、明らかにこの考え方に基づいていますね。高橋訳の「なんとしても」はちょっと強すぎる感じもしますが、どちらも上手な訳であると思います。また、辻瑆(ひかる)訳では「たとえほんのすこしのものであっても、これ以上悲しい目にはあわせないようにしているらしかった」としており、高橋・片岡訳と城山訳の両方のニュアンスを出しています。
結論的なこととしましては、高安訳、丘沢訳、浅井訳のように、できるだけ原文に忠実に訳すか、あるいは日本語としての読みやすさを重視した訳にするかということになってきますね。それは訳者の判断で構わないと私は思います。
最後になりましたが、私が最初にしていた解釈や頭木さんの解釈以外の解釈もあるかもしれませんので、おありの方はお知らせいただけましたら幸いです。 

③この gerade も微妙なところで、「まさに今(→そのとき)」とも、genugを強めているとも解せますし、邦訳、英訳ともに、両方のニュアンスを出している訳もあります。
邦訳では、「ただでさえもういやというほど」(高橋訳)、「ただでさえもう十分(充分)に」(山下肇訳、山下肇・萬里訳)、「それでなくてさえ皆じっさいにすっかり[まいっているのだから]」(片岡訳)が、「ただでさえ」「それでなくてさえ」としていますが、両方のニュアンスを出していると言えそうですし、「苦しみすぎるほどもう」(中井正文訳)、「もう十二分に」(辻訳)、「もうじゅうぶん過ぎるほど」(川崎訳)、「もういや(嫌)というほど」(ナボコフ・野島秀勝訳、川島訳)は、簡単に「もう」としていますが、やはりそのように言えそうです。
英訳では、quite enough already (Johnston 訳、Roberts 訳) と、(litten までを含めて) had quite enough to bear as it was (Muir 訳) が、そのように言えそうです。
なお、川村訳では、「みながなめている苦しみは、あだやおろそかなものではなかったのだ」と大幅に意訳していますが、上手だなと思いました。 

○Mit welchen Ausreden man an jenem ersten ①Vormittag den Arzt und den Schlosser ②wieder aus der Wohnung geschafft hatte, konnte Gregor gar nicht erfahren, denn da er nicht verstanden wurde, dachte niemand daran, auch die Schwester nicht, daß er die Anderen verstehen könne, ...
あの最初の朝、どんな口実によって医者と鍵屋とを家から追い返したのか、グレゴールは全然知ることができなかった。というのは、彼のいうことは相手には聞き取れないので、だれ一人として、そして妹までも、彼のほうでは他人のいうことがわかる、とは思わなかったのだ。(原田訳)
一体全体あの朝、医者や錠前屋にいったん来てもらっておきながらどういう口実を設けて帰したのか、グレーゴルはその辺のことをまったく知ることができなかった。(以下略)(高橋訳)
あの最初のあけがたに、どんなふうにいいふくめて、せっかく来てもらった医者や錠前屋を追いかえしたものやら、グレゴールにはかいもく見当のつきようもない。(以下略)(川崎訳) 

①私もこれまであまり意識していませんでしたが、英語では「朝」も「午前」も morning と言いますが、ドイツ語では「朝」は Morgen、「午前」はVormittag として、区別していますね。
邦訳では「朝」と訳しているものと、「午前」または「午前中」と訳しているものとが、半々くらいです(川崎訳のみは「あけがた」)。ただし、「最初の午前[中]」では不自然ですので、おおむねは「最初の日の午前[中]」としていますが。
この場合には、彼が眠り込んでしまうまでにどのくらい時間が経っていたのかがわかれば、「朝」と訳すのが適切か不適切かということが言えますが、この点ははっきりしませんね。
私としましては、Vormittag を「朝」と訳しては間違いだとまでは思いませんので、読者の好みでよろしいのではないかと思います。
②wieder を「再び」「また」「(英訳で)again」と訳しているものもありますが、この wieder はそのような意味ではなく、元の状態に戻したというニュアンスでよく使われる用法と思われます(つまりここでは、医者や鍵屋のいない状態に戻したということを言っているのでしょう)。この用法のwieder は、日本語ではむしろ訳さない方がよい場合が多いですから、原田訳のとおりでよいと思います。
ただ、高橋訳や川崎訳では、大幅に言葉を足してこのニュアンスを出そうとしています。ここまで親切に言わなくてよいのではとも思いますが、これらも翻訳上の工夫の1つではありますね。 

○(前項からの続きです)... , und so mußte er sich, wenn die Schwester in seinem Zimmer war, damit begnügen, nur hier und da ihre Seufzer und Anrufe der Heiligen zu hören.
そこで、妹が自分の部屋にいるときにも、ただときどき妹が溜息(ためいき)をもらしたり、聖人たちの名前を唱えるのを聞くだけで満足しなければならなかった。(原田訳)
そういうわけでグレゴールは、妹が部屋にいるときは、ただ、彼女がときおり洩(も)らすため息と、その名をあげて聖人に呼びかけるのを聞くだけで満足しなければならなかった。(三原弟平〔おとひら〕訳) 

この wenn ですが、邦訳では、「ときでも」のように、英語の even if のような感じで訳しているものが多いですが、「とき」「ときに」「ときは」「[部屋にいる]間」と訳しているものもあります。
ですが英訳では、どれも when か whenever か as(この場合は時の意味と考えられます)としており、even if のような意味をはっきり出しているものはありませんでした。もっとも、when でしたら even if の意味になることもありますが。
それで、wenn にも英語の if にも言えることですが、どちらの意味に解しても意味が通る場合も少なくありません。ここの wenn も、どちらに解しても間違いとは言えませんね。
ですが私としましては、ここの前の話の延長で、「妹が部屋にいてくれるときで[さえ]も、この程度のことで我慢しなくてはいけなかった」という感じで解したいと思います。 

○Erst später, als sie sich ein wenig an alles gewöhnt hatte – von vollständiger Gewöhnung konnte natürlich niemals die Rede sein –, erhaschte Gregor manchmal eine Bemerkung, die freundlich gemeint war oder so gedeutet werden konnte.
のちになって妹が少しはすべてのことに慣れるようになったときにはじめて、――完全に慣れるというようなことはむろんけっして問題とはならなかった――グレゴールは親しさをこめた言葉とか、あるいはそう解釈される言葉とかをときどき小耳にはさむことができた。 

ここも解釈の違いということとはちょっと異なりますが、どのように訳すかという点で興味深いですので取り上げておきます。とは言え、これにつきましては私も、これはというピッタリした訳語は思いつかず、やはり「言葉」くらいが無難かなと思います。
この Bemerkung は、邦訳ではだいたい、「言葉」と訳されています。川村訳と川島訳は「感想」、三原訳は「論評」、多和田葉子訳は「コメント」としています。田中一郎訳はかなり意訳して「グレゴールはときどき妹の発言の中に親しみのこもった、もしくはそう解釈できる響きを聞き取ることができた」としています。
英訳ではほぼすべてが、remark か comment としていますが、Lloyd 訳はexpression(これはこれで上手な訳ですね)、Aaltonen 訳は意訳して a few words としています。 

○"Heute hat es ihm ①aber geschmeckt", sagte sie, wenn Gregor unter dem Essen tüchtig aufgeräumt hatte, während sie im gegenteiligen Fall, der sich allmählich immer häufiger wiederholte, fast traurig zu sagen pflegte: "②Nun ist wieder alles stehengeblieben. "
グレゴールが食事をさかんに片づけたときには、「ああ、きょうはおいしかったのね」と、妹は言い、しだいに数しげくくり返されるようになったそれと反対に手をつけていない場合には、ほとんど悲しげにこういうのがつねだった。
「またみんな手をつけないであるわ」 

①この aber は「しかし」ではなく、驚いたときなどに意味を強める用法ですね。
邦訳では訳出していないものが多いですが、「あ」「ああ」「あら」「おやまあ」としているものもあります。また、「しかし」に近い感じで、「それでも」としているものもあります。
英訳では、訳出していないか、Oh, ... 、Well, ... としているか、certainly、obviously、really、right(副詞)のような強めの言葉を文中に入れているかです。
②この Nun は、邦訳、英訳ともに、訳出していないものも多いですが、「ああ」「あら」「おやおや」「まあ」「やれやれ」「(以下、英訳で)Ah, ...」「Oh, ...」「Well」「Wow, ...」のようにしているものもあります。しかしながら、私が複数の辞書で調べたかぎりでは、nun にはこのような詠嘆的な意味はないようです(もしもこのような意味を掲載している辞書や文献等をご存知の方がおられましたら、ご教示いただけましたら幸いです)。
ここでは「こんどは」という感じの意味ではないかと私は思います。英訳では Now のほかに、This time と訳しているものが、以下のように4つあります。邦訳では、三原訳だけが「今度もまたぜんぶ残してるわ」としています。

“This time it’s all been left again.” (Pasley 訳)
“This time everything’s been left again.” (Karen Reppin 訳)
“This time he didn’t touch anything again.” (Appelbaum 訳)
“This time he didn’t touch a thing.” (Bernofsky 訳) 

○Während aber Gregor unmittelbar keine Neuigkeit erfahren konnte, erhorchte er manches aus den Nebenzimmern, und wo er nur einmal Stimmen hörte, lief er gleich zu der betreffenden Tür und drückte sich mit ganzem Leib an sie.
ところで、グレゴールは直接にはニュースを聞くことができなかったけれども、隣室の話し声をいろいろ聞き取るのだった。人声が聞こえると、彼はすぐそれに近いドアのところへ急いでいき、身体全体をドアに圧(お)しつける。 

ここも解釈の違いということとはちょっと異なりますが、ややわかりにくいですので取り上げておきます。
この wo は wenn に近い意味であり、nur einmal は「一度だけで[さえ]も」という意味になると、私は思います。sogar などの「...で[さえ]も」に当たる言葉はありませんが、ドイツ語では、そのような言葉がなくても語句が「...で[さえ]も」というニュアンスを帯びることがありますから。
邦訳では、「ちょっとでも」か「少しでも」としているものが多いですが、意味は大きくは変わりませんので、これでもよいと思います。
川崎訳(「たまたま人声のひとつも聞こえようものなら」)、三原訳(「ひとたび人声を聞きつければ」)、田中訳(「一度でも声が聞こえると」)だけは、nur einmal の意味を出しています。
英訳では、大部分が whenever (または as soon as) he heard voices やこれに近い感じで訳しており、nur einmal を全く無視しています。唯一、Katja Pelzer 訳だけが、as soon as he heard even just one voice と訳しています。
もっとも、原文では Stimmen と複数形になっていますから、あくまでも「[複数の]声[のやり取り]が一度でも聞こえたら」という意味であり、川崎訳や Pelzer 訳はちょっと違っていますが。 

それで、「...で[さえ]も」に当たる言葉がなくても、語句がそのようなニュアンスを帯びることがあるという例で、今私が思いつくものを2つあげておきます。
まず、前後を引用しますと長くなりますので、該当する短い文だけにとどめますが、

... ; ein Löwe wehrt sich nicht besser.  (Heinrich von Kleist: Das Erdbeben in Chili)

主人公が複数の敵と必死で戦っている場面ですが、「ライオンでさえも、これ以上うまくは防御できない」というふうに訳すとわかりやすいですね。

また、カフカの文章にも次のような例があります。

Nun hätte die Bahn, selbst wenn sie bis Kalda ausgedehnt worden wäre, noch für unabsehbare Zeiten unrentabel bleiben müssen, denn ihr ganzer Plan war verfehlt, das Land brauchte Straßen, aber keine Eisenbahnen, in dem Zustand jedoch, in dem sich die Bahn jetzt befand, konnte sie überhaupt nicht bestehn, die zwei Züge, die täglich verkehrten, führten Lasten mit sich, die ein leichter Wagen hätte transportieren können, und Passagiere waren nur ein paar Feldarbeiter im Sommer.  (Erinnerung an die Kaldabahn〔日記の中に収録〕)
さて、たとえ鉄道がカルダまで延長されていたとしても、なお予測しえないほど長い期間、それは採算のとれないままでいなければならなかっただろう。なぜなら、その計画全体が誤っていたからだ。その地方は、鉄道ではなく道路を必要としていた。現に鉄道が通じている状態にあっても、それはおよそ存続することは不可能だった。毎日一回往復する列車は、軽い馬車でも運ぶことができる程度の荷物しか運ばず、乗客は夏場にほんの二、三人の農業労務者がいるだけだった。(谷口茂訳)

in dem Zustand と ein leichter Wagen に、「...で[さえ]も」というニュアンスが含まれていますね。 

○Zwei Tage lang waren bei allen Mahlzeiten Beratungen darüber zu hören, wie man sich jetzt verhalten solle; ...
二日のあいだ、三度三度の食事に、どうしたらいいのだろう、という相談をやっているのが聞かれた。(原田訳)
二日間というもの、食事のたびごとに、いまいったいどんな態度をとるべきか、という問題について協議しているのが聞こえた。(中井訳)
二日間のあいだ食事のたびごとに、これからはどうしたらいいのだろう、という相談ばかりが聞こえてきた。(辻瑆〔ひかる〕訳) 

wie man sich jetzt verhalten solle は、辻訳のように訳している邦訳も多いのですが、中井訳のような訳の方が意味的には正確ですね。jetzt に「これから」という意味もないわけではありませんが、まれな使い方ですし。
英訳(助動詞はおおむね should を使っています)では、now としているか、あるいは、訳出していないかです。
ただ、辻訳のような訳でも、意味が著しくずれているというわけではありませんので、読者の好みでよろしいのではないかと思います。 

○Auch hatte das Dienstmädchen gleich am ersten Tag – es war nicht ganz klar, was und wieviel sie von dem Vorgefallenen wußte – kniefällig die Mutter gebeten, sie sofort zu entlassen, ...
女中も最初の日に――女中がこのできごとについて何を知っているのか、またどのくらい知っているのかは、あまり明らかではなかったが――すぐにひまをくれるようにと膝(ひざ)をついて母親に頼み、...(原田訳)
それに、女中はすぐ最初の日に、――この出来事について彼女が何をどれほど知っているのかは、まったく明らかではなかったが――母にひざまずいて、いますぐに暇(ひま、[または、]いとま)をもらいたいと懇願し、...(浅井訳)
女中がもう最初の日に――彼女が今度の事件について、何をどの程度知っていたかはあまりあきらかではないが――即刻おいとまをいただきたい、と跪(ひざまず)いて母親に頼んでいたのも聞きとれた。(立川訳) 

文頭の Auch は、原田訳のように das Dienstmädchen にかけて「女中も」と訳している邦訳が多いのですが、厳密にはちょっと違うと私は思います。
このように文頭で単独に置かれる Auch は、「前のことが起きただけでなく、さらにまた、別のことも起きた」というニュアンスであり、浅井訳などのように訳すのが正確であると思います。また、立川訳も、別の訳し方をしていますが、このニュアンスを上手に出していると思います。
ちなみに、英訳の多くは、文頭が And、And then、Besides、Furthermore、In addition、Moreover、What’s more となっており、私と同じ解釈をしています。 

○(前項からの続きです)... , und als sie sich eine Viertelstunde danach verabschiedete, dankte sie für die Entlassung unter Tränen, wie für die größte Wohltat, die man ihr hier erwiesen hatte, und gab, ohne daß man es von ihr verlangte, einen fürchterlichen Schwur ab, niemandem auch nur das Geringste zu verraten.
その十五分後に家を出ていくときには、涙ながらにひまを出してもらったことの礼をいった。まるでこの家で示してもらった最大の恩恵だとでもいうような調子だった。そして、だれも彼女に求めたわけでもないのに、ほんの少しでも人にはもらしませんから、などとひどく本気で誓うのだった。 

この fürchterlich[en] は、実にいろいろに訳されています。「(形容詞;たとえば「固い」)誓いをした」という感じの訳し方と、「(副詞;たとえば「固く」)誓った」という感じの訳し方とがありますが、すべて形容詞の形に統一して示しますと、
(1)「おそろしいばかりの剣幕の」「恐ろしいほどの勢いの」「おそろしく力をこめた」「鬼気迫る勢いの」「すさまじい」「必死の形相の」「ものすごい剣幕の」
(2)「怖るべき」「怖ろしい」「ぞっとするような」
(3)「固い」「御大層な」「ひどく真剣な」「ひどく本気の」
(4)「おごそかな」「ものものしい」
fürchterlich のもとの意味に解しているものもかなりありますが、(1)のように、彼女が誓う様子が恐ろしいという意味のものと、(2)のように、(1)のような意味とも、誓いの内容が家族にとって恐ろしく感じられるという意味とも解されるものとがあります。
また、(3)のように、「程度が強い」という意味に解しているものもあります。
それから、(4)のように、「おごそかな」「ものものしい」という意味に解しているものもあり、実は英訳では、solemn(あるいは solemnly)としているものが非常に多いのです。私は最初、この解釈もいいなと思っていましたが、複数の辞書を調べたところでは、 fürchterlich にはこのような意味はちょっとなく、無理があるようです。
なお、solemn 以外の英訳は、やはり形容詞の形に統一して示しますと、blood-curdling、great、dreadful、emphatic、fearful、fearsome、long and boring、terrible、terrified、vigorous となっています。
私としましては、「固い誓い」という解釈も決して間違いではないと思いますが、このように言いたいのでしたらもう少し別の言葉(fest など)を使うのではないかという気もします。また、fürchterlich をドイツのいくつかの大きな辞書でも調べてみましたが、程度が強いという意味の場合でも、「恐ろしいほど」もしくは「不快になるほど」というニュアンスが含まれるのが普通のようです。
ここでは、「固い」誓約にも違いありませんが、「聞いている人がこわくなるくらい強い調子で誓約した」という感じで言いたいのではないかと、私は思います。 

○①Nun mußte die Schwester im Verein mit der Mutter auch kochen; ②allerdings machte das nicht viel Mühe, denn man aß fast nichts.
女中がひまを取ったので、今では妹が母親といっしょに料理もしなければならなかった。とはいっても、それはたいして骨が折れなかった。なにしろほとんど何も食べなかったのだ。 

①この Nun は、so に近い意味(「そこで」「それで」)であり、ここでは「女中がやめたので」ということを言っているのではないかと、私は思います。この意味の nun は、前回にも出ました。以下をご参照下さい。最初の「○Einmal während des langen Abends ...」で始まる箇所にあります。
月刊『みすず』12月号・連載第13回の「「変身」において 翻訳の解釈が分かれている箇所」
原田訳は「女中がひまを取ったので」、辻訳も「女中が暇をとったので」と具体的に訳しており、山下肇訳と山下肇・萬里訳は「いきおい」と面白く訳しています。
ただ、nun のもとの意味に添って、「今では」とか「今や」と訳しているものもありますが、「そういうわけで今はこうなっている」とも言えますから、間違いとは言えないと思いますし、この nun は両方の意味を含んでいると考えてもよいと思います。
英訳では、Now か So now のいずれかしかなく、後者は両方の意味を含んでいると解していますね。
②allerdings は「もちろん」という意味が一般的ですが、逆接的に「ただし」「と[は]いっても」「もっとも」という意味になることもあります。ここではやはり、後者に解した方が自然かと、私は思います。
邦訳では、1つの訳が「むろん」、2つの訳が「もちろん」としていますが、あとはすべて、後者のような逆接的な意味に訳しています。
ただ、英訳では、but、however、although、though――although と thoughの場合には、これらの接続詞に導かれた文は副文(英語の文法用語で言うと従属節)になりますが――としているものも多い一方で、admittedly、of course、to be sure などとしているものも案外多くあります。 

○Getrunken wurde vielleicht auch nichts. Öfters fragte die Schwester den Vater, ob er Bier haben wolle, und herzlich erbot sie sich, es selbst zu ①holen, und als der Vater schwieg, sagte sie, ②um ihm jedes Bedenken zu nehmen, sie könne auch die Hausmeisterin darum schicken, aber dann sagte der Vater schliesslich ein großes "Nein", und es wurde nicht mehr davon gesprochen.
酒類もおそらく全然飲まないようだった。しょっちゅう妹は父親に、ビールを飲みたくないかとたずね、自分で取りにいくから、と心から申し出るのだが、それでも父親が黙っていると、父が世間態(せけんてい)をはばかって心配している気持を取り除こうとして、門番のおかみさんにビールを取りにいってもらってもいいのだ、というのだった。ところが父親は最後に大きな声で「いらない」と、いう。そして、それでもう二度とビールのことは話されなかった。(原田訳)
お酒も飲んでいないようだった。よく妹が父親に、ビールを飲みませんか、とたずねて、わたしが自分で買ってきますから、とやさしく申し出た。それでも父親が黙っていると、なにも父親が気にしたりしなくていいように、なんなら門番のおかみさんに行ってもらってもいいんです、と妹が言う。(以下略)(辻訳)
酒もいっこうに飲まれないようだった。よく妹が父親に、ビールはいかがと訊(き)き、親切に自分で買ってこようと申し出た。父親が黙っていると、どんな気遣(きづか)いもさせないよう、管理人のおばさんに行ってもらってもいいと言う。(以下略)(城山訳) 
どうやらお酒を飲むこともなくなったようだ。妹はよく父親にビールはいかがかと尋ね、買ってきてあげましょうかと優しく申し出て、父親が黙っていると、何も遠慮はいらない、管理人さんにお使いに行ってもらうことだってできるしと言うのだった。(以下略)(川島訳)

①holen は、いくつかの邦訳では、原田訳のように「取りに行く」とか「取ってくる」とか「持ってくる」としていますし、多数の英訳では fetch と訳していますし(この語には、「買う」というニュアンスはないと言っていいでしょうね)、Charles Daudert 訳に至っては to draw it(=a beer) from the keg herself とまでしています。
ですが、holen には「買ってくる」という意味もありますし、多くの邦訳はこう訳しています。英訳でも、はっきり buy と訳しているものや、get、go out for、procure のように「買う」と解して差し支えない語に訳しているものもあります。
私の考えでは、ビールを家のどこかから持ってくるくらいのことで、父親がそんなに気をつかうとは考えにくいですから、やはり「買ってくる」の方がよいのではないかと思いますが、原田訳のような訳も誤訳とまでは言えませんね。
②um ihm jedes Bedenken zu nehmen は、逐語訳をしますと、「父親からあらゆるためらいを取り去るために」となりますが、これでは日本語として不自然ですから、いろいろに訳せますね。付録で、この部分の諸訳の一覧をあげておきましたので、ご興味がおありの方はご覧下さい。
中には、原田訳や、「それ(=父親が返事をしないこと)を外聞をはばかっての沈黙と察して」(高橋訳)、「外聞を気にする父親を心配させまいとして」(山下肇訳)、「そんなに外聞を気にするなら」(高本研一訳)、「外聞を気にする父を哀(あわ)れに思って」(川崎訳)、「もしかしたら自分がいなくなるのが心配なのかと気を使って」(多和田訳)、「[she would say that] if he were worried about her going[, they could always send the housekeeper; ...]」(Naney 訳)のように訳しているものもありますが、いずれも訳としては上手でも、ちょっと解釈のしすぎではないかと思います。原文では jedes Bedenken となっており、ためらいにもいろいろあるという意味合いになっていますから、特定のことに対するためらいとは決められないと言えるでしょう。
辻訳や城山訳などのような感じの訳の方がベターではないかと、私は思います。
なお、川島訳のように、妹が言った言葉の中に組み入れる形で意訳しているものもありますが、このような訳し方も構わないと思いますし、川島先生はお上手に訳しておられると思います。高本訳や Naney 訳も、上記のとおり私には賛成できない面もありますが、このような訳し方自体は上手であると思います。

付録(1)
um ihm jedes Bedenken zu nehme(逐語訳は「父親からあらゆるためらいを取り去るために」)の邦訳と英訳の一覧

前後の読点やコンマ等は省略します。 
また、これらも引用ではありますが、引用であることは明白ですし、解説文も入っていませんので、色は変えていません。付録(2)も同じです。

それ(=父親が返事をしないこと)を外聞をはばかっての沈黙と察して(高橋義孝訳)
よけいなためらいをさせまいと妹が気をくばって(中井正文訳)
外聞を気にする父親を心配させまいとして(山下肇〔はじめ〕訳)
父が世間態(せけんてい)をはばかって心配している気持を取り除こうとして(原田義人〔よしと〕訳)
なにも父親が気にしたりしなくていいように(辻瑆〔ひかる〕訳)
そんなに外聞を気にするなら(高本研一訳)
父親から一切の遠慮を取り除こうという心づかいから(高安国世訳)
外聞を気にする父を哀(あわ)れに思って(川崎芳隆訳)
どんな気遣(きづか)いもさせないよう(城山良彦訳)
それ(=父親が黙っていること)を気がねしているとうけとって(片岡啓治訳)
彼が遠慮しないように(立川〔たつかわ〕洋三訳)
余計な気苦労をさせまいというつもりか(川村二郎訳)
父のためらいをとり去ってやろうと(三原弟平〔おとひら〕訳)
気づかいをさせまいとして(池内紀〔おさむ〕訳)
遠慮させまいとして(山下肇・萬里〔ばんり〕訳)
遠慮しないように気をつかって(丘沢静也〔しずや〕訳)
父のためらいを取り除いてやるために(浅井健二郎訳)
父親が自分に買いに行かせるのを躊躇(ためら)っているなら(野村廣之訳)
遠慮させないように(真鍋宏史訳)
もしかしたら自分がいなくなるのが心配なのかと気を使って(多和田葉子訳)
気にしなくていいとばかりに(田中一郎訳)
何も遠慮はいらない(川島隆訳) 

to remove any scruples on his part (A. L. Lloyd 訳)
in order to prevent any possible objection (Eugene Jolas 訳)
so that he need feel no sense of obligation (Willa & Edwin Muir 訳)
in order to remove any hesitation on his part (Stanley Corngold 訳)
with a view to removing any misgivings he might have (J. A. Underwood 訳)
to remove any scruples on his part (Malcolm Pasley 訳)
anticipated any misgivings on his part [by saying ...] (Joachim Neugroschel 訳)
to remove any hesitations on his part (Karen Reppin 訳)
to offset any hesitation (Donna Freed 訳)
to overcome any reservations he might have (Stanley Appelbaum 訳)
in order to remove any reservations he might have (Ian Johnston 訳)
so that he would not feel selfish (David Wyllie 訳)
in order to remove any misgivings he might have (Richard Stokes 訳)
(訳出しておらず)(M. A. Roberts 訳)
to get over his hesitation (Michael Hofmann 訳)
to get round him (Will Aaltonen 訳)
to allay his misgivings (Joyce Crick 訳)
in order to give him more time to consider (Charles Daudert 訳)
to overcome his reluctance (John R. Williams 訳)
[she would say that] if he were worried about her going[, they could always send the housekeeper; ...] (C. Wade Naney 訳)
wishing to relieve him of all scruples (Susan Bernofsky 訳)
to allay any scruples he might have (Christopher Moncrieff 訳)
to remove any reservations (Katja Pelzer 訳)
hoping to dissolve all of his suspicions (Mary Fox 訳)
[... , she tried] to overcome any reservations [by suggesting to ...] (Philipp Strazny 訳) 

付録(2)
Mit welchen Ausreden man an jenem ersten Vormittag den Arzt und den Schlosser wieder aus der Wohnung geschafft hatte, (あの最初の朝、どんな口実によって医者と鍵屋とを家から追い返したのか、〔原田訳〕) と、wenn Gregor unter dem Essen tüchtig aufgeräumt hatte, (グレゴールが食事をさかんに片づけたときには、〔原田訳〕)の英訳の一覧

いずれも、意味のうえでは議論の余地はほぼない箇所ですし、邦訳ではさほど大きな違いはありませんが、英訳にはいろいろなヴァリエーションがあって面白いですので、以下に示しておきます。
前後のコンマ等は省略します。 

what excuses they had made to rid themselves of the doctor and the locksmith (Lloyd 訳)
By what pretext they had gotten rid of the doctor and the locksmith that first forenoon (Jolas 訳)
Under what pretext the doctor and the locksmith had been got(本によってはgotten) rid of on that first morning (Muir 訳)
what excuses had been made to get rid of the doctor and the locksmith on that first morning (Corngold 訳)
What excuses had been used on that first morning to get the doctor and the locksmith out of the flat again (Underwood 訳)
On what pretext the doctor and the locksmith had been got out of the flat again on that first morning (Pasley 訳)
what excuses they had come up with to get the doctor and the locksmith out of the apartment (Neugroschel 訳)
Under what pretext the doctor and locksmith had been got rid of that first morning (Reppin 訳)
what excuse was used that first morning to put off the doctor and locksmith (Freed 訳)
what excuses had been used on that first morning to get the doctor and the locksmith out of the apartment again (Appelbaum 訳)
What sorts of excuses people had used on that first morning to get the doctor and the locksmith out of the house (Johnston 訳)
what they had told the doctor and the locksmith that first morning to get them out of the flat (Wyllie 訳)
What pretexts had been used on that first morning to get the doctor and the locksmith out of the apartment (Stokes 訳)
with what excuses they had previously sent the doctor and locksmith out of the house that first morning (Roberts 訳)
With what excuses the doctor and locksmith were got rid of on that first morning (Hofmann 訳)
what excuses they had made to get the doctor and the locksmith out of the apartment (Aaltonen 訳)
What excuses they had invented on that first morning to get the doctor and the locksmith out of the apartment (Crick 訳)
what explanation had been used to get the doctor and the locksmith out of the apartment on that first morning (Daudert 訳)
What excuses they had used to get rid of the doctor and the locksmith on that first morning (Williams 訳)
what excuses they had employed that first morning to get the doctor and the locksmith out of the apartment (Naney 訳)
on what pretext the doctor and locksmith had been sent away that first morning (Bernofsky 訳)
what excuses had been made to get rid of the doctor and the locksmith on that first morning (Moncrieff 訳)
With which excuses they had managed to get the doctor and the locksmith out of the apartment on that first morning (Pelzer 訳)
what excuse was used to make the doctor and the locksmith leave the house that morning (Fox 訳)
What excuses had been used to get the doctor and the locksmith to leave again on this first morning (Strazny 訳) 

When he had eaten all the food off the newspaper (Lloyd 訳)
when Gregor had stoked away a good meal (Jolas 訳)
when Gregor had made a good clearance of his food;本によっては when Gregor had gobbled down all of his food (Muir 訳)
when Gregor had tucked away a good helping (Corngold 訳)
if Gregory had scoffed the lot (Underwood 訳)
when Gregor had tucked in like a man (Pasley 訳)
when Gregor had polished off a good portion of the food (Neugroschel 訳)
when Gregor had put away a good helping (Reppin 訳)
when Gregor had eaten well (Freed 訳)
when Gregor had stowed away his food heartily (Appelbaum 訳)
if Gregor had really cleaned up what he had to eat (Johnston 訳)
when he had diligently cleared away all the food left for him (Wyllie 訳)
when Gregor had licked his bowl clean (Stokes 訳)
when Gregor had really put away the food (Roberts 訳)
when Gregor had dealt with his food in determined fashion (Hofmann 訳)
When he had eaten all the food off the newspaper (Aaltonen 訳)
if Gregor had tucked into his food heartily (Crick 訳)
when Gregor had cleaned everything up (Daudert 訳)
whenever he had laid into it(=his food) with gusto (Williams 訳)
if Gregor had thoroughly cleaned up all his meal (Naney 訳)
when Gregor had found the food she left him particularly tasty (Bernofsky 訳)
if he had cleared his plate (Moncrieff 訳)
when Gregor had cleaned his plate diligently (Pelzer 訳)
when Gregor ate everything that was on the plate (Fox 訳)
when Gregor had done a real number on the food (Strazny 訳)


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