夢路百物語

姓は鈴木
名は夢路

夢路が見た現実と
夢路が見た夢のお話

一、
一番古い記憶は4歳の時分、スーパーに買い物に行った時の事。欲しいお菓子のあることを言い出せず静かに泣いていると、目当てのものを母が目の前に差し出してくれた時の事。

菓子の包みの鮮烈な色、若い母の甘ったるい匂い、だらしなく流れるスーパーのオリジナルソング。自分の世界は、その瞬間から始まったようなものだった。

祝福され続けた人生だった。

一、
椅子の下に隠れるのが好きだった。

一つも隠れきれて居なかったが、隠れたつもりになっている間はみんなが自分を見えないように扱ってくれた。一人になりたい時は一日椅子の下に潜っていた。そのまま寝てしまった日にも身体にタオルケットがかけられていたことは、深い謎であった。

謎に挑むときの探偵のような表情が、みなに愛されていることはわかっていた。

一、
幼稚園の入園式、肩車の父親がバナナの皮に転び、自分の身長の何倍もの高さから落ち左腕を強打した。何故か右腕を複雑骨折し、しばらくギプスをはめて幼稚園に通うことになった。

その姿を見て虐めを危惧した先生が機転を利かせ、「ほら夢路くん寺沢武一先生の漫画、コブラみたいでかっこいいでしょ?」とみんなに紹介すると、まだ寺沢も、武一も、サイコガンも知らないお友達たちも妙に色めきたった。ギプスをはめた姿が幼稚園で大人気になり、それまでの内気な性格が一転して社交的な男の子となった。

怪我の後遺症でしばらくうまくチョキが出せなくなった為、ここ一番の時にはくじ引きで決められるよう、祖父はドラえもんのイラスト入りの手作りのくじを作ってくれた。

一、
アスファルトを舐める癖があった。

両親もこれには手を焼いた。幼稚園の同級生が住んでいた東芝の社宅が一番好みの味だったので、特に仲良くないのにしきりに遊びに行きたがった。

最終的には「アスファルトよりプリンの方が美味しいでしょ?」という母の一言でこの癖はなくなった。それからしばらくはプリンを与えられると小一時間舐め続ける、妖怪みたいな子供になった。誰もとがめないうちに、自然とその癖はなくなった。

一、
それまで何故意識の外にあったのか分からないが、1歳になる弟がいることに初めてちゃんと気づいたのは、ふいに部屋で二人っきりになった瞬間だった。

冷蔵庫がブーンと鳴るのと同時に、突然自分の目の前に現れた弟は、幼稚園児の夢路をして"世話を焼かないと死ぬ"ことがわかるくらい、軟らかく、温く、永久に泣き続ける未知の生物だった。足の裏をもみながら必死に言葉を探したが、アイス、食べたい、の2単語が2トップの幼稚園児の言語感覚では、赤ちゃんを泣き止ませる言葉は出てこなかった。半べそをかきながら、やっとのことで出てきた「これからたぶん悲しいこととかたくさんあるけど、仲良くやればきっと楽しいぜ。」という一言を聞くと、弟は、すん、と泣き止んだ。

物に心、お惣菜の惣に、一郎で惣一郎。声に出すと口がとても心地いい、夢路が自分の名前よりも先に覚えた人の名前だった。

一、
近所に喋る犬がいた。

その犬は会うたびに美輪明宏の声真似で夢路を罵倒し、パーカーの裾がテニスコート一面に広がってしまうほど噛んでくる、嫌な犬だった。

それでもその犬が夢路に気付く前、油断している時の鼻歌がとても綺麗で気に入っていた。どうしても仲良くなりたかった夢路は、ファンタとパナップを差し入れに、日に三度その犬を訪ねた。二度目まではいつものように犬拳法で追い払われてしまったが、三度目に犬は夢路を受け入れた。二人でファンタを飲みながら、溶けたパナップを食べながら、一緒に鼻歌を歌った。

そのまま、メロディを鼻ずさみながら目が覚めると、そこはよく見慣れた自分の家の畳の部屋だった。少し思案にふけってから、隣でうとうとする母と弟を置いて外に出ると、記憶を頼りに犬に会いに行った。夢で見たのと同じ路地を抜けていくと、突き当たりには夢の中で通った一軒家があった。思わず「あ!」と声をあげたが、あの犬はいなかった。

子供心に、それはそうか、と思いつつも慎重に近づくと、そこには長く使われていない犬小屋が置いてあった。

あれが夢で、これが現実だということはわかっていた。それでも、それからしばらくは、ファンタとパナップをそこへ置きに行くのが習慣になった。

一、
卒園式の前日、女の子に命を救われた。

実際は少しだけ大き目のシーズーに足首を甘噛みされただけだったが、5歳の夢路にとっては「これは死んだ」と思わせるだけの凶暴さと迫力を持っていた。

一度だけ夢で見たことのある女神様に「助けて」とお願いをしたら、同じ"こあら組"の女の子がやってきてシーズを追い払ってくれた。逃げ惑いすりむいた膝小僧を、女の子が持っていたハンカチでぬぐうと血が止まった。ハンカチには火の鳥の刺繍が施してあった。

女の子に名前を聞かれて答えると、優しく笑いながら「夢路、男の子は泣いちゃだめなんだよ。」と言われた。それ以来、本当に泣くのをやめた。

女の子の名前は聞きそびれたまま別れた。

すぐに忘れてしまったが、子供心に、運命の人だと思った。すぐに忘れてしまったが、また出会える確信があった。

一、
小学校へあがると戦隊もののヒーローに憧れ、デパート屋上のヒーローショーを父とよく見に行った。

レッドやブルーよりグリーンを好み、メンバーに緑色がいない時は、少しでも緑色が含まれる怪人を応援した。自分もいつかあんな緑色にと、キュウリを片手に、庭や廊下を駆け回っていたが、

やがて手のひらの青臭さに我に返り、憧れは自然消えていった。

一、
初めての友達ができた。

夢路と出席番号の近かった杉山君は、小学一年生にして小学五年生の学力を持っていると自称する脅威の天才だった。

高学年しか持っていないはずの道徳の教科書の、習っていない漢字だらけのページをすらすらと読み、「どうしたら世界から争いごとはなくなると思う?」と下校途中、死なないように道路の白いところだけを踏みながら夢路に尋ねるその顔は、ひくほど青っぱなが垂れていても、どんな大人より大人に見えた。

4つ年上の兄に見つかり、読み仮名の振られた道徳の教科書を奪われ、ゲンコツされた涙目の杉山君はただのデブの小学一年生だったけど、二人が友達であることに変わりはなかったし、真剣に世界を救う方法を考えた時間も消えはしなかった。

その時点での答えは「話し合って、あげられるものはあげる」だった。杉山君が転校する時には二人は親友だった。

所沢に引っ越すすぎやんに、その遠さを想像できないゆめじいは、「また会えるかな?」と聞いたが、すぎやんは黙って首を横に振った。うつむくその横顔の、行き場のない脂肪がつくる二重あごの隙間に、すぎやんの感情が吸い込まれていくのが見えた。別れ際、すぎやんは神奈川と埼玉がどれほど離れているか、そして地球はとてつもなく大きく丸く、時差というものがあることをゆめじいに教えてくれた。

それからしばらくは一人で下校することになった。

毎日少し寂しかったが、一人死なないように道路の白いところだけを踏み歩きながらも、とてつもなく大きく丸いこの星の何処か、レッドアロー号という乗り物でしか辿り着けないユートピア所沢に、自分の友達がいるという事実が、とても心強かった。

一、
授業で初めて体験した習字の楽しさに夢中になった。

夢路という名前はとても複雑で、何度書いてもくちゃっとつぶれてしまったが、全ての文字が格好いい形と、格好いい意味を持っているという事実に身が震えた。

特に「納税」という字が好きだった。納税に憧れた。早く大人になって、早く納税がしたい。父と一緒にお風呂に入ってのぼせるほど熱く語った。

一、
クラスの中でたった三日間だけ、屁を上手にこけるやつが最高に偉いし格好いいという風潮が蔓延した。

ただの集団ヒステリーだった。

一、
家族でキャンプに行く度に何故か新種の生き物を見つけてしまう。

世間に知られれば、この生き物にも名前を付けられるが、「そんなのは野暮なことだ」と小さなテントの中で行われた家族会議で決まり、何匹も名前をつけないまま野に返した。

蝶の模様を未だに覚えている。

一、
弟の惣一郎と二人で遊ぶことが増えてきた。

一番好きなのは兄弟交換ごっこだった。母にばれないように、兄と弟の地位を交換する遊びだったが、夢路に兄らしいところは少なく、惣一郎にも弟らしいところは少なかった。

実際はなんの振舞いも変わらなかったが、二人だけの秘密の遊びをしているという感覚が楽しくってしょうがなかった。入れ替わっている間に目が合うと、堪えられずクスクスと笑い合った。最長記録は半年間。お互いが入れ替わっているのを忘れてしまう事もあった。

この遊びは、惣一郎が小学校に入るのをきっかけにやらなくなったが、兄も弟もなく友人の様に仲良くなったのもこの頃だった。

一、
同級生の友達と遊ぶことも増えていた。

同姓同名・田中直樹とは家が逆方向だったので一緒に下校はできなかったが、よくどちらが先に家に着くか競争をした。お互いが確認できない位置にある正門と裏門から、大きな声でスタートの合図を送り、全力で家まで走った。

勝敗を判定できた事は一度もなかったが、それでも勝負は五分五分だと感じていた。

一度軽トラックに跳ねられたが力学的な奇跡により、ランドセルに下げていた交通お守りに衝撃が一点集中して無傷ですんだ。お守りはボロボロを超え、ほぼ砂になって散った。

一、
川でおぼれて死にかけたことがある。

「イルカ助けに来て!」と何度も心の中で叫んだが助けに来なかったのでイルカが大嫌いになった。

代わりに河童の子供が何人かで助けてくれて一命を取り留めた。かつて憧れた緑色を持つ人たちに尋ねると、手にキュウリのにおいが染み付いてるから仲間だと思って助けたと、教えてくれた。

しばらくして河原で目が覚め、まさかなと思いながらも手の匂いをかぐと、確かにキュウリの香りがした。右手をポケットにしまう癖がついたのはこれからだが、その理由も、河童のことも誰にも話せずに居た。

一、
空前の石磨きブーム到来。

両隣のクラスも巻き込む一大ムーブメントとなった。小学五年生の彼らの徒歩行動圏内の石を全て磨ききってしまい、のちに探偵ナイトスクープが調査に来るほどの都市伝説となった。

まだ磨かれてない石がある公園や空き地をめぐり縄張り争いに発展するが、中学校受験を控えたグループが抜けたことにより、小学生なりの危機感を覚えブームは終了した。

一番綺麗に磨けた石はいまだに校長室に飾られている。

一、
クラス対抗で行われた全力かくれんぼで神隠しに遭い、見事優勝を果たした。

ごくありきたりな掃除用具のロッカーに隠れ完全に裏をかいたつもりだったが、しばらくしてからロッカーから出ると、全く知らない場所にいた。

これはまたしてもやってしまったぞと思った。

犬の鼻歌を聴いたのも、河童に助けられたのも、あとあまり覚えていないけどてんとう虫がサンバを踊っているのを見たのも、今になって考えれば全部ただの夢だった。子供心にも完全に決着のついているはずの事だった。

「みてろ、今に目が覚める。」

そう思ってから数時間、いつまで経っても目が覚める事はなく、夢路はいよいよ混乱した。少し怖いことを想像する。今まで、子供ながらに不思議に思った夢のような出来事が、はたして本当に夢なのか。あるいは現実だと思っていた事の方が、本当は夢だったんじゃないか。

しばらく考え込んでみても分からないし、かけてもらったタオルケットは暖かいし、当然、タオルケットをかけてくれた祖母は優しいし、会ったことないはずなのに確かにそうだと分かるなんて、やっぱりお婆ちゃんは凄いなと思った。

夢路はしばらくその場所で、祖母とおしゃべりをした。祖母は夢路の話を嬉しそうにうんうんと聞き、夢路はいつもより饒舌になった。何気ないおしゃべりの中で、夢路は自分の名前をつけたのが祖母だということを知り、ますます祖母のことが好きになった。

何時間か何日間か何年間かを祖母と過ごし、夢路は家に帰ることにした。自分が帰らなきゃかくれんぼも終わらない。

かくれんぼが始まってから三日後に、夢路は秩父の山中で発見された。担任は責任を取らされて一足早く学校を卒業したが、こんなスリリングなクラスを受け持てて超幸せだったと、皆に言葉を残した。

帰宅してから夢路は神隠しの間にあったこと、そして以前からずっと、似たような夢を断続的に見ていることを家族に話した。てんとう虫がどんな風にサンバを踊るのか、弟に事細かに説明した。このことは、家族みんなでとても慎重に話し合い、夢路が楽しくて、周りのみんなも楽しくいられたらそれでいい、というとてもシンプルな答えが出た。

自分の居た秩父が、所沢より向こうだという事を知った時、夢路は中学生になっていた。

一、
中学にあがり初めてパソコンを買ってもらった日、祖父と一緒に配線を繋いだ。

祖父は「嬉しさで気持ちが焦る時は、むしろその時間を楽しむためにゆっくり物事を進めるもんだ。」と、不器用に震える指先でマウスの端子にキーボードのプラグを小一時間押し込み続けた。

画面の中を泳ぐwindows95のロゴと対面した頃には、もう夜の11時を回っていたが、「次はこのニフティーサーブってのに繋いでみよう。」とやる気満々の祖父に、精神の永遠の若さを感じた。

一、
小学校からの友人達と自転車で遠出することが増えた。

「もう帰ろうよ」の一言を誰も言い出せず、望んでないのに静岡に着いてしまった時には、人間一人一人は小さな馬鹿でも、集団になると大馬鹿になることがわかった。

帰り道、誰かが青白く光る国道1065.7号線を見つけたが、後で調べても実在しないし、 入り口に捨ててあったスーパーファミコン専用サテラビューも不安を煽るしで、通らなくて正解だった。

一、
部活をやるつもりはなかったが、ポスターに書かれた「本能を呼び起こせ」という味のあるコピーと、全く呼び起こさなそうな創英語角ポップ体でレタリングされた文字とのギャップにひかれ生物部に入部した。

実際にはほぼ釣り同好会だったので、本能を呼び起こす機会には恵まれず、週に二度集まっては黙々とルアーを作った。

休みの日には顧問に連れられイカ釣りに出かけた事もあったが、釣果はほぼなく、一日の最後に子ダコ一匹しか釣れなかった。沖漬け用のタレは捨てるにはもったい出来だったが、部長の「ここで子ダコをタレに漬けたら、いよいよ僕たちは釣り部ですらなくなる、食べ物部になる。」との発言を受けリリースすることに決めた。みんな部長の声を初めて聞いたが、ほぼさかなくんだった。

去り際に吐かれたスミが、船の上で夢路という字を描いていたが、タレをうっかりこぼしたフリをしてかき消した。

一、
惣一郎が重めの病気にかかり入院することになった。

正確には覚えてないが複雑で強そうな病名で、一時は生死の境をさまよったが、渡り鳥が持ってきてくれたエルフの蜜を毎日舐めることで一命を取り留めた。

お見舞いで差し入れられたアルフォートに、彫刻刀で全く別の船を彫ることが惣一郎の日課となったが、完成品は夢路がすぐに食べてしまった。

病室のテレビで一緒に大相撲中継を観戦した。「西のやつらが悪の軍団で、東のやつらが正義の軍団だと思って見ると超楽しいよ。」と惣一郎が言うのを聞いて、天才の弟を持ったことを誇りに思った。

一、
一度だけ"かめはめ波"を出したことがある。

たまたま目撃した友人には、一度だったら誰にでも出る、二度三度出せないと何の自慢にもならないと言われた。

一、
買った覚えのないエロ本が机の引き出しに入っている怪奇現象が起こった。

友人たちに相談すると、全員の身にも同じことが起こっていた。なんとなく怖かったのでエロ本の中身は全く見ずに、正月、お焚き上げに持っていきこっそりと燃やした。

後になって、実は一人だけ中身を見てしまったという友人に話を聞くと、信じられないほどエロかったし、その晩に本の内容と全く同じ夢を見たことが判明した。たぶんサキュバスか、エロいドラえもんが持ってきた未来の秘密道具だという結論に達した。みんな捨てたことを少しだけ後悔した。

一、
夏休み友人たちと集まり、全員の貯金を全て下ろし、買えるだけ買った花火に一気に火をつけるアルティメット花火を開催。

もれなく全員が二度のやけどを負ってしまった。

全員で入院していた夏休みの最後の日、懲りずに病院の屋上で打ち上げ花火をした。打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか。場所は問題ではない。誰と見てるかが重要だった。やけどの痕がうずくといつでもあの頃のことを思い出す。

よくある怪談噺のように、はじめた時よりも友人が二人増えたような気もしたし、実際にベッドの数も足りなくなっていたけれど、友人が増えることを嫌がる野暮なやつは一人もいなかった。

一、
これは恋なのかもしれないと思ったのは、生物部の先輩に釣りに誘われた時だった。

てっきり他の部員もいるものだと思っていたが、早朝、待ち合わせ場所に居たのは彼女ひとりきりだった。先輩のおススメのスポットまで歩いて行き、会話も少なく、ただ釣り糸を垂らした。

遠くの浮きをぼーっと眺める横顔と、リールに添えた細く綺麗な指先が好きだと思った。明け方の空に悠然と龍が舞っていたが、そんなものは気にも止まらなかった。

「ベタだけどすずきちはさー、物書きになったらいいと思うよ。」

突然の言葉に夢路は小さく「ぁ・・・。」と返すしか出来なかった。釣りの成果はゼロだった。そもそも二人とも、餌を付け忘れていた。

同じ学年になることも、年齢がひっくり返ることも当然無く、先輩は一年先に卒業していった。卒業式の日、先輩は夢路に小ダコの形をしたルアーをプレゼントしてくれた。小ダコの頭の後ろには、小さくスミが飛び散ったような文字で夢路と描かれ、その横には小さなハートマークが添えられていた。

家に帰り部屋でルアーを撫でながら、先輩の指先のことを思い出すと、その小さな爪の先には何か小説のようなものが書かれていたことに気づいた。告白できなかったことよりも、その小説を読みきれなかったことが、唯一の後悔だった。

そしてなんとなく、自分は物書きにはならないだろうなと思った。

一、
人生で自分が頑張るのはこれが最後と言い聞かせ、受験勉強をはじめる。

人は満月の夜に覚えた事は忘れない、という弟の嘘を真に受けて、月夜の一夜漬けに没頭した。難しい問題は父も一緒に悩んでくれた。成績はみるみる上がっていったが、英語だけがどうしても苦手なままだった。

そんな夢路をサポートするため、最後の三ヶ月間は、家族全員日本語禁止ルールが適用された。グッドモーニング、ディスイズアパン、フルハウスイズベリーファニー。当然その程度の会話しか出来ずコミュニケーション不全に陥りかけたが、バランスを取るため自然みんなの笑顔は増えていった。頑張る夢路を応援するため、祖父もお風呂でビートルズを口ずさんだ。

結果は見事第一志望に合格。友人達は学力の差がまちまちだったため散り散りになった。当たり前の様に集まることはなくなっていったが、お互いの感覚の中では、ずっと会い続けている友人であり続けた。

右手からキュウリの匂いが消えた頃、夢路は高校生になっていた。

一、
学区内でもトップの公立高校に入ったため、校則は極めてゆるかった。

ゆるいのは校則だけでなく、授業が始まる時間もはっきりしないし、学校の敷地や教室の壁がどこから始まっているのかもよく分からなかった。校長先生の境目も曖昧で、全ての教員、生徒が校長先生という概念を少しずつ分担する、その実存性を皆で守り続けるという校風を持つ不思議な高校だった。

自分の中にも他者の目線は混在しているという学びはとても貴重だったし、校章が完全にフリーメイソンのそれであったこと以外、何一つ不満はなかった。

一、
屋上で寝て過ごすことが多かった。

耳栓代わりにイヤホンを付けていたら、何故かクラスの女子に「いつもフリッパーズギター聞いてんの?」と聞かれ反射的に「おう。」と答えてしまったため、その日からツタヤを回ることになってしまった。

近所のツタヤにお洒落な棚がなかった為、フリッパーズギターが何なのか、どんなジャンルの音楽なのか、どんなウィスパーヴォイスの女性を取り合った二人組なのか、そしてやはりどの曲が好きなのかを、聞かれやしないかとビクビクしていた。

惣一郎に相談すると、セカンドアルバムが最高って答えれば大抵大丈夫と言われた。やはり天才だと思った。

一、
体育館で行われた部活紹介の時にボブサップをふた周り大きくしたような体格の部長がいたことが決め手となり、写真部に入部した。

その写真部では伝統的にフィルムを使わず、カメラを首から提げ休みの日には部員達で連れだって釣りに出かける、実態はほぼ釣り部だった。また完全に騙されたと思ったが、ボブサップ先輩が話すエロ小話が好きで好きで、やめるきっかけを失った。

父が持っていた"ライカを三廻し劣化コピーさせたようなカメラ"を譲り受けた。パチものだけあって写真の出来は最悪だったので、部活の伝統にのっとり、フィルムを入れずに写真を撮り続けることになった。

祖父の手の甲の写真を好んで撮っていた。

亡くなる三日前に撮った写真は、フレームの外の笑顔も含めて、鮮明に覚えている。あの使い古されて生まれたしわと、さわり心地のいい太い血管、くすんだ肌色にリズムよく落ちた深いシミ。いつか自分もあんな手が欲しいと思った。

一、
くすぐったさがちょうどいい事を発見し、nokkoの歌マネにはまった。

合唱コンクールではクラスの自由曲にnokkoを激推ししたが、多数決は四票しか入らなかった。練習の合間に教室の隅でこそこそと作った歌マネ混声四部『フレンズ』は、普段特に仲良くもなかった四人の微かな誇りになった。歌詞は忘れてしまっても、サビの直前「メモリー oh」の部分のハモりはずっと忘れなかった。

一、
反抗期はなかったが世界を憂う期間には入った。

惣一郎から貸りた『ツァラトゥストラはかく語りき』を寝枕に、幾晩も読み続けたが、綱渡りのくだりで絶対に眠りに落ちてしまった。

夢の中で対話したニーチェは、「誤解を恐れずに言うけど本当はSFコメディが書きたかった。でも自分なりには頑張ったし書ききったと思うんだ。」と涙を堪えながら語ってくれた。在りたい姿と在れる姿は違うものだし、神は死んだっていう発想は新しいよと、ありきたりな励まししかできなかったが、ニーチェは精一杯の笑顔で返してくれた。

結局読み切ることはできなかったが、斜め読みしかしてなかった惣一郎に概要を聞くと、たった一言「SFコメディだよ」と返ってきた。ニーチェが流し損ねた涙と一緒に、世間への憂いは消えた。

一、
先輩の紹介ではじめてのアルバイトをした。

ドモホルンリンクルを見ているだけの簡単な仕事だと言われのこのこついていくと、実際は小学5年生の男の子の家庭教師だった。メガネを掛けてニットのベストを着た、しかもそれが似合う中学受験の小学生なんて口も聞いたことのないの人種だったので、始めは戸惑った。

山形アキラくんは、その名の通り大友克洋の漫画『AKIRA』に出てくるアキラと山形を足して2で割ったような風貌をしていた。一見気難しそうなアキラくんは、しかし、何を見てやる必要もないくらい聡明で頭のいい小学生だった。まさにドモホルンリンクルを見ているだけの簡単な仕事だった。

難しい問題に取り組むとき、アキラくんは決まって小さく「心配だ」と口にした。夢路は決まって「心配泥棒参上」と返して問題を一緒に覗き込んだ。意味がわからないのは承知の上だったが、心配泥棒は何度もアキラくんの勉強部屋にあらわれた。見たことのない数式や社会情勢がラテン語でびっしりと書かれた問題集を前に、心配泥棒はアキラくん以上に心配を抱え込んでいたが、形而上学的存在が隣りにいることはアキラくんの不安を少しずつ掬い上げていった。

ほぼ見ていただけなので家庭教師は3ヶ月でクビになったが、最後に訪れた日アキラくんは、「心配泥棒は義賊なので、盗んだ心配を世界や宇宙に薄くばらまいて実質無に返すことができます。心配はただの事象となり、人が本当に心配を必要とする時にまた実態を取り戻すんです。」と説明してくれた。

アキラくんは二年後、無事ハーバード大学への合格を決めた。アメリカから届いた絵葉書には不安になるほどエグい走り書きで意味不明な数式が綴られていたが、隅っこに小さく書かれた「ユリーカ!」の文字を見るたび夢路の不安も掬い上げられた。

一、
倉庫に仕舞ってあるギターを見つけ、何度か隠れて弾いた。アコースティックギターだったので、どんなに隠れていても家族には聞こえていただろう。

他は全く押さえられなかったが、GとGmaj7だけは上手く弾けたので『ワンモアタイムワンモアチャンス』の"奇跡がもしも起こるなら"のくだりだけ何度も何度も歌い続けた。自分のためだけに歌うには十分すぎるメッセージ性だと思い数年で辞めた。

後で本人から聞いた話だが、八王子生まれの母はユーミンに憧れ少しだけ上京したが、Gしかコードを押さえられず挫折したのだという。此処から先は惣一郎の勝手な想像でしかないが、母は東京で、同じくユーミンに憧れて多摩センターから上京した父と出会い結婚した。おそらく父はGmaj7しか押さえられず、その二人から生まれた夢路が、ついに奇跡を起こしたのだと。

惣一郎と二人、答え合わせする必要のない秘密を抱えることになったが、漏れ聞こえる自分の演奏と歌声を聞いて父と母は何を思っただろうか。"奇跡がもしも起こるなら"の先の歌詞は一つも知らないが、もしも起こるなら起こったほうがいいよなと思った。

一、
高校二年の後半の記憶が盗まれたように全く残っていない。この間に人生初めての恋人がいたようだった。

彼女は既に高校を中退し、映画で主演を張るほどの気鋭の新人女優として活躍していた。横顔が中学の時のあの先輩に似ていて、自分はやっぱりああいう顔が好きだったんだと思った。

彼女の親友が同じクラスに居たのでそれとなく聞くと、告白は夢路からだったらしい。好きになった女性に、自分はどんな言葉をかけたのか、自分自身が一番知りたかった。行くつもりがなかった大学に進学する気になっていたのも、きっと彼女の影響だろう。良くして貰った実感だけが確かにあって、妙に悔しいけれど、腐らずに頑張ろうと思った。

冬服が全てスヌーピーのトレーナーだけになっていたことには、衣替えまで気づかなかった。

一、
「つまらない」という単語をこの歳まで知らなかったことに気づく。思えば自分自身も、周囲の人たちもその一言を口にする者はいなかった。

何気なく辞書をめくって見つけたその言葉は、確かに自分の中には一度も生まれたことのない概念だった。思えばここまでの人生全てが面白いことだったので、逆に「面白い」自体も全く意識したことがなかった。

一、
「今まで黙っていたが、俺はお前の父親だ。」と父に告白される。食後に突然。

ルーク・スカイウォーカーのように顔をひん曲げて「嘘だ。」と言えば良かったのかもしれないが、疑う要素が一つもなかったので、ハン・ソロのようにクールに「知ってたさ。」と返した。

改めて確認するまでもないことを、確かであることをいちいち確かそうに、それでいて照れくさそうに言う父に、母は惚れたのだろうなと思った。

一、
お気に入りの生物の先生がいた。

大島先生は隣のクラスの担任で、いつも少しオーバーサイズの白衣を纏っていた。白衣から覗く、うまく隠せていない大きな尻尾が特徴的だった。

あまりに心地がよく、屋上でうっかり夜まで過ごしてしまった満月の日に、先生が狐でも狼でも人間でもない姿でタバコをふかしながら電話をしているのを見かけた。

大島先生の外見は異形そのものだったが、生徒には見せない類の優しい顔を、電話先に向けていた。

先生はある女生徒と良い仲であるという噂が流れていた。噂はただの噂かもしれないが、その女生徒も、先生と同じく大きな尻尾を隠しきれずに過ごしている。電話の向こうの彼女も、今だけは異形の姿なのだろう。

電話を切ったあと、人間の姿に戻った少し寂しげな横顔にかける声も見つからず、うっかり屋上の鍵を閉められて、満月を眺めながら一晩過ごした。

一、
任意参加の学園名物「毎週末体育祭」は文字通り毎週末行われるので、学年が上がるに連れ参加人数が減っていった。

七月の二週目に「数えそびれ!十何度目かの飛翔!」のスローガンのもと執り行われた体育祭は一年生120人名、二年生17名、三年生がたった2名という参加人数だったが、このアンバランスさが生み出す学年対抗棒倒しの悲壮感が評判となり全校生徒の注目を浴びた。

この時点で皆勤だった夢路と数人の仲間たちは、暴力以外基本的に反則のないルールの穴を付き、各学年の棒をすり替えることに成功した。群がる一年坊に踏み潰され、割とみんなあちこち骨折したが、一年生たちが"1"と書かれた棒を力任せに倒していく姿は「国家滅亡のメタファー」と評された。夢路を始めとした17人の二年生たちは次の体育祭まで英雄扱いされたが、勝ったのは工事現場の杭打機を持ち込んだ三年生の2人だった。

一人また一人と参加者が減る中、何人かの友人たちと意地を張り合って参加していた体育祭は、三年時には週二回の開催となり、流石に誰も参加しなくなった。

一、
三年生になり、他に適任者も居なかったので、写真部の部長になった。

少しは名前の通りの活動をして欲しいと顧問から切望され、文化祭では写真の展示会をした。実際には部員の誰一人写真を撮っていなかったので、丁寧に飾った額の前で、それぞれが日々網膜に焼き付けた好きなものの話を口頭で伝えるという、独特の雰囲気の展示会だった。

学校一のお調子者である一年生の柳家小うし君(本名)の「これ実際には体験してないんですけど」のマクラから語られる『ほぼ文七元結』は、いささかルール違反が過ぎる気もしたが大変な評判を呼び、展示会は大盛況で幕を閉じた。

結果、写真の概念を真剣に考え続ける二日間になったが、柳家君の実家のうなぎ屋でささやかに執り行われた打ち上げで、顧問はホットカルピスを飲みながら満足げであった。来年もやりたいねえ来年もやりたいねえと、嬉しそうに乳酸菌で酔う大人の姿を、部員全員が網膜に焼き付けていた。

一、
中学生でありながら時空間の狭間にある教習所でうまいこと免許を取ったらしい惣一郎の運転で、兄弟二人で旅行に出かけた。

旅行といっても、連休を利用してあても無く車を走らせる少し小っ恥ずかしい旅だった。まだ15歳の弟は、車を走らせている間24歳になり、35歳になり、8歳になり、54歳になり、その時々の悩みや、人生の楽しみを語ってくれた。

今がいつであるかは分からないが、惣一郎は今付き合っている恋人と大学卒業と同時に結婚し、三人の子宝に恵まれたらしい。両親よりも早く60歳にして亡くなるが、病弱にしては出来過ぎと、未練や後悔は無かったらしく少し安心した。「俺らっていい兄弟だったよなー。」と過去形で語られる事実に、照れも無く「そうだよ、お前いい弟だよ。」と返した。

夜、車中泊をしている間に、弟は15歳に戻っていた。

何気なく、車の外に出ると、遠くに一軒の家の明かりが見えた。夢路が神隠しに遭っている間、祖母と過ごしたあの家だった。あの時は祖母一人きりだったが、今ではそこに祖父の姿もあった。少し手を振ってから車に戻った。

すぐに朝になり、家の駐車場に停まる車でぐうぐう寝ている夢路と惣一郎を、「またこんなとこで寝て。」と思いつつ、母はそっとしておいてくれた。

眼が覚めると、夢路は大学生になっていた。

一、
西浦和の巨大なユーカリのウロにあるという東京国際世界樹大学から願書も出していないのに合格通知が届いた。ネットを探してもなんの情報もなかったので流石に入学はしなかった。

すべての教科書に物語を当てはめて小説のように読む癖をつけていたので、成績はそこそこ良く、指定校推薦で大学へ合格した。

「タモリと同じ大学か、デーモン小暮と同じ大学、どっちがいい?」という進路指導のマジシャンズセレクトに、一週間迷ったあげくデーモンを選んだ。

本当はタモリと言いたかったのに、誰の目を気にしてデーモンと答えたのか。しばらく胸のしこりとして残ったが、結論は変わらないことを知って少し安堵した。

次は必ず間髪入れずタモリと叫ぼう。実際、そんな機会は二度と訪れなかった。

一、
もういっそと思い、釣りサークルに入った。どうせ独特な活動をしているんだろうと覚悟を決めていたが、案の定、実際には誰も釣りへ出かけない丘釣りサークルだった。

誰かが提案した架空の釣り場で、架空の糸を垂らし、架空の魚を釣りあげる。結局は釣りをモチーフとしたテーブルトークRPGを延々とやり続けるサークルだった。

自らの宿命を知るサバや、釣り上げた瞬間黄金に輝く真鯛。ラの音を正確に奏でる音叉魚、照れながら多言語を翻訳するイカなど、様々な架空の生き物を釣り上げた。

全てリリースしたので、彼らの架空の海は賑やかだった。

一、
同時に、新歓のシーズンに声をかけてきた首のくたびれたシャツを着た薄着の先輩に誘われてちくわ同好会にも所属していた。

部への昇格を目指し、所属メンバーを集めていたちくわ同好会は、つまり8人以上の加入をもってちくわぶとなる。

二十数年前の設立以来、ずっと誰かがこの面白くなさを守ってきたと思うと心強くなった。

初代会長の「部室を手に入れてみんなで飽きるまでスマブラをやりたい」という夢は、大学生なら誰しもが抱くものだろう。

飲みに出ては竹輪の磯辺揚げを食べまくる彼らの夢はついに叶うことはなかったが、気まぐれで出場したキングオブコントで二回戦まで進出したことはなかなかの思い出になった。

一、
この頃から確変に入りサッカーW杯が毎年日本で開催される。現世のみならず、死後の世界からもサッカー選手が集合し、毎日がオレオレフィーバーだった。

どうやら漫画ドラゴンボールでじっちゃんが一時的に帰ってきたのと同じ仕組みだったらしく、あの世との境が曖昧なら祖父母達にも会えるかなと思ったが、サッカー選手限定の措置故に再会は叶わなかった。

一、
生涯の親友になる男に出会う。

食堂でひとり飯を食べていた時に妙に馴れ馴れしく話かけてきたその男は、小学生の時に書いた小説『中和せよエキノコックス』で子ども芥川賞を受賞した元天才少年で、処女詩集『その肌色に肌色を塗って』は出版社がいちいちビビって5部ずつくらいしか刷らなかったせいもあり重版に次ぐ重版、今は「前世、早乙女太一(非公認・訴訟中)」の肩書きで舞台俳優をしていると、流れるような嘘を喋り続ける男だった。

彼の名前は葬式に出る時まで知らなかったが、別段特徴的な名前でもなかったので、覚える前に忘れることにした。

その男は別れ際にいつも「理由は聞くな俺は3年後に死ぬことになるが気に病むな。」と澱みなく口にした。その3年という数字は何年連れ合っても変わることがなかったが、期限つきの親友との逢瀬は実時間以上に濃厚に感じられた。その男の語る過去や未来が、どこまでが嘘で本当なのか確かめる術は無かった。

ある日、彼が住むという東京都板橋区面白町3-23-23 面白荘の102号に手紙を書いた。

Googleマップには存在しないはずの住所から忘れた頃に返ってきた手紙には、「俺の言葉が全部嘘だとしても、この現実が全て夢だとしても、きっとまた逢おう。過去も未来も今も不問にして、また逢えるときに逢おう。」と書かれていた。

また逢えるときなんてのはないだろうと思っていたが、その後の人生、何度も何度も彼と遭遇した。その度に笑い合った。

もしかしたら、彼は自分と同じような世界を生きているのかもしれないと思うことが何度もあった。それを確認する暇なんてないくらい面白い夢と嘘を重ねた2人だった。

一、
全学問を対象にしていた全学部全学科に在籍していたので、ゼミ選びは困難を極めた。

国際的に活躍している思想家であり、カタカナ読めない人としてテレビや雑誌などで注目を集めていた教授の元で、人の想像力と料理の関係性について研究を重ねた。

卒業論文は『メンチカツの意思を確認する方法について』。どうあっても結論の出ない事なので、評価はBしかもらえなかったが、自己評価としてはSSRあげてもいいかなという出来だった。

教授からは院へ行くことを勧められたが、メンチカツのパチパチ音と生涯向かい合うのは少し億劫だったので当たり前の就職を選んだ。

一、
社会人一年目と二年目と四年目が同時に訪れた一年間だった。

時間の感覚は歳を追うごとに早くなっていくとは聞いていたし、光陰が矢の様に早いのも知識としては知っていた。ただそれが自分の身に起こるとなると、冷や汗の出る思いだった。

新入社員として仕事を覚えながら、同時に後輩や部下の面倒を見て、上司の飲みの誘いは断らず、隙間で日々のノルマをこなしていく。

1日が100時間あっても足りず、時間ローンの利用や、時間泥棒から非合法なウラ時間を購入することを何度も真剣に考えてしまった。社長犬を撫でるほんの数分が唯一の心の安らぎだった。

実家を出て一人暮らしを始めたが、食事を食べるタイミングも分からなかったので、気づいたら一週間味噌しか舐めてない事もあった。日毎に味変させようと七種類の味噌を冷蔵庫にストックし、曜日感覚を研ぎ澄ませながら休日出勤もこなした。

自分の人生を捕まえるため必死に働いた。

一、
まる三年分が一年間に詰め込まれた結果、仕事はあっという間に覚え、給料も同世代の3倍は受け取った。

初任給で両親になにかいいものをプレゼントしようと考えたが思いつかず、オレオレ詐欺を装って、一番欲しいものを聞き出そうとした。

元気でたまに顔を見せてくれればそれが一番、という少し歳を取った母の声に、思わず預貯金全部振り込んでしまうところだった。

プレゼントの代わりに誕生日にはなるべく実家に帰ることを心がけたが、プライベートな時間は3週間に一回、2時間のみと決めてしまった手前、しばらく顔も出せないままだった。

一、
酒を飲むようになった。

元々強くないが、地元の仲間と集まって飲んだ時、勘違いだけど初めて酒が美味しいと感じた。

ふと花火の夜に友人が増えたことを思い出し、カマをかけて友人の一人に、「お前、なんかあの夜増えたやつだろ」と言ったところ意外にも「ばれたか」という言葉が返ってきた。

次の春に息子が生まれるらしく、細かいことは問い詰めなかった。仕組みは分からないが、自分達と同じように幸せになれるんなら、ひと安心だった。

一、
取引先の社長に気に入られ、草野球に誘われた。

野球のルールが分からないためやんわりと参加していると、どうにも、相手チームも含めて参加者全員がやんわりとしたプレイしかしていない。それでも社長の手前、みんな分かっているふりでそれなりの試合が展開された。

フルカウントの時にマウンドをゴリラが横切る儀式(その際ゴリラを直視してはいけない)だけはオリジナルにはないルールだろうし、ダブルプレーをすると酒樽を割ってお祝いするのもいささか大げさだと思った。

一、
社会人三年目にして無茶がたたり、倒れた。

医者には、「どこが悪いという事もないが強いて言えば頭が悪い。このまま働き続ければ明日死ぬ。」と言われたが一度作ってしまった仕事のやり方を変えることは容易でなかった。

1時間働いては倒れ、50分働いては倒れを何十回も繰り返すうち、やがて倒れている時間の方が長くなっていった。職場でずっと倒れてたまに目覚めてめちゃ働きだす、こち亀の日暮さんのようなスタイルを貫いたが「色んな意味でもうやめてくれ」と社長犬に流暢に言われたので退職した。

一、
仕事を選ばない代わりに仕事が自分を選んでくれたのでそれでも毎日忙しく働いた。

主に悪い人が持ち込んだ悪い生き物をコラ!する仕事や、悪い生き物が悪い人を食べようとするのをコラ!する仕事などを転々とした。悪いことをする直前、先の先を見極められる才能を持っていたので、誰よりも的確なコラ!で会社の業績はみるみる上がっていった。

しかしどんな事情があってもコラ!をするのは心が痛く、その年のコラオブ・ザ・イヤーも、世界で最も美しいタイミングのコラに送られるタイミングオブ・ザ・イヤーも、コブラにコラする情熱を称えるコブラ・オブ・ファイヤーもすべて辞退した。

出世コースから外れたのを機に上司に隠れ少しずつヨシヨシを取り入れていったが程なくバレ、自身初めてのコラを受けた。その後、親会社の意向で会社をクビになり、コラ業界への出入りは出来なくなったが、伝説のコラ師の名は今でも語りぐさになっている。

一、
心が仕事の中にある時間はすべて残業代が出る類の会社を選んで転職していたので貯金の額はみるみる膨らんでいった。

少しずつ友人と会う機会が減っていき、実家にも帰れず、仕事中心の生活となっていった。

すべての仕事に疑問を抱き、自分なりに改善しようとすると首になりその業界を出禁になるの繰り返し。医者に行っても「頭が悪い。」の一言で、倒れ癖も治らなかった。

仕事というものが向いていないと悩み出し、猫カフェにいる時間だけが心の安らぎだった。

一、
それでもなんとか倒れる頻度の少ない会社に勤め、そこそこの日々を送っていた。26歳の誕生日を同僚に祝ってもらい、初めて泥酔した。

何のスイッチが入ったのかわからないが、今までにない飲み方をしてしまった。帰り道も分からなくなり、一人ふらつく足ですっ転び頭を強打した。

最近の自分は荒れているなと思ったし、後頭部から血が出ているなと思ったし、世界から争いごとはなくならないなと思った。陸を歩くイルカが心配そうに声をかけて来たが、キュウキュウうるせえと追い払った。

助けてくれる通行人はなく、しばらく動けずにいると目の前がぼんやりとかすんできた。

動くことも半ば諦めると、それぞれ東西南北から、土佐犬ほどの巨大なシーズーたちがやってきて、夢路の両手両足に噛み付いた。どくんと鼓動が鳴るたびに、少しずつ大きく強くなっていくシーズーをみて、もしかしたらこれは医者が言っていた死ぬやつかもしれないと酷く冷静に思った。

こういうときに何を思えば正解なのか。両親の誕生日には実家に帰ると決めたはずなのに、いつかそれも忘れていた。

半分夢のような自分の人生を、本当は心底うらんでいたんじゃないか。4匹のシーズーはいよいよ宇宙より大きく膨らみ、自分がどこにいるのかさえわからなくなった。

概念すら分からなかったあの辞書に載っていた言葉が頭をよぎる。人生の最後に実感するのが「つまらない」だなんて、と思ったが、全身、小指の先までその言葉がみっちりと巡り、もう自分に嘘はつけなかった。

その言葉を口にしようとした時、ずっと昔に夢で見た女神様が、大人になった姿で夢路の目の前に立っていた。

もう自分は死んでしまったのかもしれない。
それでも、4匹のシーズーしか見えない宇宙の端っこで一人、「助けて」と口にしてみた。

知らない女の部屋で目が覚めた。

一、
目を丸くしてしばらく動けないでいると、彼女は黙って額の冷えぴたを取り替えてくれた。

言葉を捜したが、あまりに複雑すぎる気持ちは一つも音にならなかった。

見かねた彼女が夢路の頭をぽんと撫でると、すぎやんが引っ越した時も、先輩に告白できなかった時も、祖父が死んだ時も、当たり前に我慢できた涙がぽろぽろとあふれた。

彼女は少しきょとんとしたが何も聞かず泣かせてくれた。感覚的に2ガロンとちょっと泣いた所で涙が切れた。

少し冷静になり、改めて礼を言おうとしたが、彼女の言葉にさえぎられた。
「あれ?どっかで会ったことあるっけ?」
それに対しての返答になっていたかはわからないが、「結婚してください」の一言しか出なかった。

『火の鳥』が全巻綺麗に収められた本棚の上で、てんとう虫たちが陽気にサンバを踊っていた。

一、
彼女の返答はもちろん友達からだったが、あたりまえの時間をかけてあたりまえに親密になっていった。

いつまで経っても名前を教えてくれないことが気がかりだったが、相手の両親に挨拶に行く時、新幹線の中でやっと晴海という名前を教えてくれた。

晴れた海と夢の路。悪くないと思った。

一、
そこからは時系列がぐちゃぐちゃに感じるほどのスピードで時間が過ぎていった。

孫が産まれ、子供が産まれ、結婚式を済ませたと思えば、ローンの返済がすみ、家を買った。

どのタイミングか忘れてしまったが、自分の体質のことを夢路が話すと、父、母、祖父や弟が言ったのとほとんど同じ事を晴海が言った。

今がどこでいつなのか、代わりに私が覚えているから、心配しないでいい。

全部忘れちゃっても大丈夫。

一、
新婚旅行で訪れたインドネシアで現金・カード・パスポート・その他の荷物全てを盗まれた。

夫婦そろってのんきな性格だった為、これも貴重な時間だと持たざる日々を幾日か経験する。空腹を笑い合える幸せな時間だった。

この時に知り合ったほぼホームレスの占い師に、これからの人生における重要なアドバイスをもらうが、ほとんど何を言ってるのかわからなかったので、2人でいればなんでも乗り越えられると言われたことにした。

実際、なんでも乗り越えられた。

一、
倒れる仕事はもうやめてあの親友と会社を立ち上げた。

人に面白を提供する事がそのまま自分の面白に直結し世界も面白くなる、まるで魔法の数式のようなシステムを立ち上げた。本人曰くWIN-WIN and WINであったが、しばらく会社は軌道に乗らなかった。

気長に、根気よく向かい合うことで世界を一ミクロンずつ変える。呑気な考え方かもしれないが、世界には信じられないほど呑気な連中も沢山いて、少しずつだが会社は成長していった。

まさに軌道に乗る1日前に、あの男はこの世を去った。遺影はゴッホのタッチで描かれた自画像で、棺桶にはそれぞれが持ち寄った最高の駄洒落を詰め込んだ。

彼を愛した分だけテキーラをショットで献杯するお清めでは、漏れなく全員が泥酔した。

一、
年に一度誕生日に、晴海は夢路のiPodの中身を365曲丸々入れ替えてくれた。

毎日を少しでも記憶にとどめられるよう、一日一曲その日だけの音楽を聞いていた。

うるう年の日のみ聞くことが出来る、夢路に向けた晴海のオリジナルラブソングは、色んな意味で他の誰にも聞かせたくない、恥ずかしい出来だった。

結婚20年目に聞かされた5曲目のラブソングは、聞き覚えのある曲だった。いまだに覚えている、あの犬が歌っていた鼻歌によく似ていた。

一、
別れも少しずつ増えていき、地元の友人の一人が亡くなった。

告別式の後、久しぶりに集まったメンバーで、彼が吸っていたタバコを買ってみた。いい年して誰も喫煙者はいなかったが、たいそうむせながらなんとか一箱吸いきった。

なんとなく答え合わせしてみたら死んだのは、やっぱり花火の日に突然現れた、出自のわからない友人の一人だった。もう一人の増えたやつが、特に悲しそうにしてたのが印象的だった。

元々ここにいなかったやつは死んでどこに消えていくんだろうか。想像もつかないが、火葬場から上がっていく煙と、今吸ってる副流煙が上手く混ざればいいと思った。

一、
娘と一緒に夏休みの自由研究で、決して帰ってこないブーメランを発明する。

娘の書いたレポートはほとんど散文詩であったが、最後の一文は、夢路の人生観をピタリと言い当てていた。

曰く、私がどれだけ望んでも、帰ってこないものは帰ってこない。それでも、強く握ったブーメランの柄の感触や、できるだけ遠くへと放ったあの気持ちを忘れる必要はない。大切なことはそこにしかないのだから。

一、
息子の友達にも同姓同名の田中直樹がいた。
もちろん別人だが、なにかとあいつはいい奴だから仲良くしとけとアドバイスした。

一、
初孫にねだられて漫画『BLEACH』の読み聞かせをするも、向こうのおじいちゃんの方が上手いといわれ年甲斐もなくジタバタした。

こんなことなら大学でBLEACH概論を取っておけば良かったなと思ったが、なんのことはない、晴海の父は作者の久保帯人本人だった。

一、
庭にハリネズミが通うようになった。

孫と一緒に丁寧な庭づくりを心がけると、何組ものハリネズミ家族が庭に住み着いた。法律が生まれ、国家が生まれ、夢路と孫はハリネズミの神様として扱われた。

一、
惣一郎が60歳で亡くなった。

同時に思い出すのは、祖母と祖父のことだった。

自分の見た夢のような話を、特に疑いもしなかった弟は、あの家で待っててくれるだろうか。もう一度ドライブに出かけてみたくなったが、夢路は免許を持っていなかった。

車の免許を持っている大事な弟だった。

一、
ただの偶然で、すぎやんと再会を果たす。

しばらく立ち話をした後、また半世紀後に会えるかもしれないと、何の約束もせずに別れたが、さすがにもう一度会うことはなかった。

それでもあれからも元気にやっていたことがお互い知れただけで、何もかもが救われた気持ちだった。

一、
犬と過ごす時間が長くなる。

両親の葬儀にも大人しく参列した犬は、弔辞の際に大きな遠吠えをした。

長く木霊したその遠吠えは数日間消えず、世界中の犬が寝る事も惜しんでそれに応えた。

散歩の時間は日々長くなり、その間、夢路と晴海は思い出話をし続け、生涯を何度も何度も反芻した。1週間散歩をし続けた時には、流石に捜索願いが出されたが、呑気な2人はその後も懲りずに、永い散歩を毎日続けた。

一、
空前の石磨きブーム再来。

老人達が一心不乱に石を磨く姿は老人から見ても異様そのものだったが、何気なく話題に出すと、みなほとんど同じタイミングで子供時代にも石磨きブームが起こっていた。

一、
晴海がこの世を去った。

末期の水には、本人の兼ねてからの希望だった「ふってふってゼリー」を与えたかったが、年老いた腕でいくらふってもゼリーは固めのままだった。

夢路は、子供や孫の前で泣く姿をみせたことがなかったがこの時ばかりは恥ずかしげもなくおいおい泣いた。

動物園の動物たちや、月や太陽も泣いていたし、雨は数年間降り止まなかった。

数年たちようやく晴れ間も見え始めた頃、遅い遺品整理をしていると、晴海のパソコンに百曲以上のオリジナルラブソングが入っているのを見つける。

夢路はこれを聞ききるために、数百年生きた。子供や孫からみたら93歳で亡くなったが、夢路は実際数百年生きた。

一、
晩年、夢路は現実と夢がゆっくり混ざり合っていくのを感じていた。

庭にはあの時名づけなかった蝶が舞っていた。池に垂らした釣り糸の先には小さなタコがかかっていた。

いつか欲しがった手の甲はそこにあったし、永遠に精神は若かった。

夜空を見ればいつでも花火が上がったし、隣には沢山の友達がいた。

首には偽物のライカ、世界から争いごとはなくならなかったけれど、考える時間は無駄じゃなかった。

犬小屋にはあの犬がいた。

フリッパーズギターのセカンドアルバムには晴海が作ったラブソングが入っていて、隠しトラックにはささやかな鼻歌が吹き込まれていた。

椅子の下に隠れていると、誰かがタオルケットをかけてくれた。

ポケットには母がくれたお菓子があって、難しい問題があれば父が一緒に悩んでくれた。

寂しい会いたい気持ちを察して、シーズーはいつでも噛み付いてくれた。泣きたい時には晴海がそばに居た。

少しずつ、瞼が重くなっていく。
次に目が覚めるのはどこだろうか。
自分を揺り起こしてくれるのは誰だろうか。

そんなことを考えながら祖母の背中におぶさって、あの鼻歌を聴きながら夢路はゆっくり眠りについた。