見出し画像

げんきの森日記 ~コロナの春夏編~

「版権を引き上げるとは」3回目についてはもう書きあがっていますが何しろ内容がデリケートなのでもう少しだけ寝かせておきます。

そして7月中旬から、日本メドトロニックさんの依頼で描いた1型糖尿病をテーマにした3度目の作品「げんきの森日記」が配信されていますよ。読んでくなんしょ。リンク先はこちら。

この作品を依頼されたのは4月に緊急事態宣言が出た10日後くらいだったと思います。3月にハーレクインの「孤高の大富豪」描き上げて、じわじわと世界がコロナに塗りつぶされていきました。緊急事態宣言が出れば毎日感染者数で一喜一憂する毎日も覚悟がついて楽になるかと思っていたんですが‥‥‥‥。

でも、楽にはなりませんでした。私は猫とふたりぐらしの独身で、車で15分の実家には高齢の両親が、その隣の敷地には姉夫婦もいますが、コロナが落ち着くまでは実家には帰るまい。帰ったにしても縁側で2m離れて20分ほど喋ったら帰ろう。絶対に身内に感染させちゃいけないと気持ちも張りつめていたし、それが大体正解だよなと思いつつ、「いつ、実家に普通に帰って皆でご飯食べれるのかな」と思っても何しろ先が見えないんで、

「秋ごろ?冬とかなら実家に帰れる?友達にも会える?お茶も、ご飯も食べれる?」

「無理?じゃあ‥‥‥‥来年?」


「もっと・・・・・先‥‥‥?」 


「私、もしかして、この先何年も、誰ともご飯もお茶もできないかもしれないの?」


そう考えたとき、全身が真白な霧に包まれたような、世界が無音になったような感覚になりました。

今まで独り暮らしが寂しいとか、ボッチのご飯つまんないよねとか、全然感じたことなかったんですよ。一人旅も一人焼き肉も平気だし、いくらでも引きこもって仕事ばかりしてきたし、私って漫画家の資質だけはあるよな♫とかのんきに考えてました。でも、世界が危機にさらされて、日常というものが無くなり、仕事の合間に友達に会ったり、マッサージ屋さんに行ったり、オカンを元アシさんに預けて上京したり、私の大好きな花火大会、雑貨市、小さな観光都市でたくさんの人が集まる毎日が凍結されて、皆の暮らしも人生も変わってしまえば、私の小さな人生なんて吹き飛んで当たり前なんじゃないかって。

地元の門司港はかつて栄えた町でした。大陸航路とつながる港町で、当時の写真は本当に人と活気にあふれていました。それが昭和後期にはさびれ始め、大型の施設やデパートが閉鎖になり、平成になると少子化の影響もあり、学校が統合されて校舎だけが残り、行政に見捨てられたような市場や区域が増えて、見ていると気持ちが暗くなるので目を伏せて通り過ぎていたものです。私は、見捨てられた人や街を見るのが一番つらいので、コロナでますますそういう区域が増えて、皆の生活が立ちいかなくなったらどうなってしまうんだろうと毎日毎日苦しかったです。

春は次回作の準備に着手していたので、本来なら他のことなど考えず漫画のことだけ考えていればよかったけど無理でした。

毎日毎日コロナの恐ろしいニュースばかりで、こんなの生まれて初めての経験で、集中できなかった。私みたいな小物が歴史の証人になるとか嘘だろw

人のいない寺社仏閣に行って、お参りばかりしていました。いつもネームができないんでいいネタをとか、もっと人気が欲しいとかもっとおスマートになりたいとか神様に願っていた現世利益の権化、欲の化身みたいだったはずの私ですが、

自分のための個人的な願い事が‥‥‥‥

全然出来なくなっていました。

「コロナが終息しますように」

「皆の生活が立ちいくように取り計らってください」

「皆を病気で苦しませないでください。健康に戻してやってください」

どういうわけだかそんなことばかり祈っていました。自分の願い事というものは、世界が安定して、立ち位置がしっかりしていないとできないものなんだなと思いました。

その日伺った海辺を望む神社さんでは縁結びの神様もいらっしゃったので、

(何か私にできることがあるなら頑張ります。いいご縁でいい仕事相手とつないでください)

力いっぱいそう願い、カッパ大明神様の像にも一体一体ひしゃくで水をかけ、「また全人類を代表して祈っちまったぜ・・・オレ、心根美しすぎて怖い。女神になっちゃいそう」

とかつぶやきながら自宅に戻りました。

したら、夜の22時過ぎに、1型糖尿病シリーズでご縁のできたNPO団体IDDMネットワークの理事長さんから久々に電話がかかってきて、何ぞ私に医療メーカーからの仕事依頼が来ているというのでした。

「仕事依頼って、すみません、私今次回作の準備中で、時間的にも精神的にも絶対無理です。お話だけは聞きます。でもお受けできる可能性はすごく低いと思います」

無理無理無理無理ぜってー無理。

翌日IDDMネットワークの広報担当さんから改めてお話を伺うと

「1型糖尿病患者の子供たちは夏に皆でするキャンプを楽しみにしているんですが、今年はコロナで世界中ほぼ中止になるだろうとのことでして、インスリンポンプの国内シェアナンバーワンの日本メドトロニックさんともうちはお付き合いがあるんですが、山田さんにキャンプをテーマにした漫画を描いて頂き、会社のサイトで配信したいと先方が仰ってるんです」

マイナーな病、1型糖尿病を社会認知してもらうため、既に2作「Hello、world」「1型~この赤ちゃん一型糖尿病です~」を全力で描き終えていた私ですんで、選ばれて物凄嬉しいんですけど‥‥・

しかし私は正直困っていました。なかなか依頼元の人との交渉に発展しないまま、先方の意向だけを繰り返し数日間聞き続ける感じの流れになっていたからです。

「素晴らしいお話だとは思いますが、私は次回作に集中しないといけない時期でして、時間もゆとりもほぼない状態です・・・・・・・。それに、希望があるなら先方が直接私に依頼するものではないのですか?今のままでは下請け作家さんに貴方から伝えといてくださいみたいにも感じるし、直接先方とお話しできないとどんな志がおありなのかもわかんないじゃないですか」私はそう本心で訴え、明後日には日本メドトロニックさんの担当さんに電話をかけていただき、直接話を伺うという流れになりました。

そのあと、私のジャーマネの姉と電話で話しました。頭も冷えてました。

「なんかブチ切れちゃったんだけど、例の依頼が来て以来、全く落ち着かねーんだよ。次回作のことにも集中できないし、でも時間がないから出来ないと言いながらも、気になって堪らないんだよ。他にこういう話を喜んで描く作家さんがほかにもいるとも思えないし、もういっそのこと受けよっか・・・・・・w」 と、ぼそぉと呟くと、「受けちゃえば?1型漫画また描けるとか素晴らしいじゃん。名作描いて評判になってさー、キャンプ行けない子たちに喜んでもらいなよ。行く行くは電子書籍にして売っちゃいなよ。そして印税は全額IDDMネットワークに寄付して研究基金に使ってもらえば?」とライトに姉がいうんですよ。

姉は1型糖尿病を小5で発症し今年で46年目になります。1型の漫画を2度描いていくうちに、私たち姉妹の絆はずいぶん深まりました。

「・・・・・・・・・・・」

そうだな。もう逆らっても無理っぽいな。世間がコロナ一色で疲れたよ。縁結びの神様に世界の安寧と縁結びを祈願した夜に舞い込んだ話なんだからこれは神仏の決定事項ってことにしよう。

世界暗いし、他人様の役に立てばちっとは気も晴れるだろーよ!

そんなわけで日本メドトロニックの広報担当さんとようやくお電話で話しをする直前には心が定まっており、肝心の先方さんは大変に熱意溢れる良い依頼主さんでした。私、この人を好きになれそう。そう感じました。それから4か月、取材、ネーム、リテーク、リテーク、超リテーク、データ提出、直し、差し替え、やっと配信、4か国版翻訳も作って貰い、近日中に世界にも広がる予定です。

私は完全燃焼し、4か月ずれちゃった次回作のプロットにすっきりとした心もちで、今現在集中し始めています。








宜しければ開いてみてください。頂いたサポートは今後の活動に大切に使わせていただきます。