岡本侑太

毒舌本質エッセイ。言ってはいけないことを言いまくる。

岡本侑太

毒舌本質エッセイ。言ってはいけないことを言いまくる。

最近の記事

抽象に逃げてはいけない

私は創造主である。 たった一つの主観の創造主である。 だから私は創造する。 そうしなければ人生が退屈で仕方ないからだ! そこで考える。何を創造するか。 しかし、創造主、主観、退屈、それらはいつまでも抽象に留まる。 抽象に逃げてはいけない。 私は生活を求めている。 生活は具体の連続である。 そこに抽象の入るすきはわずかにも存在しない! 私は生きる。ある日から始まった。私は様々な物を受け取ってきた。 しかし、受け取るとは創造ではないではないか? しかし、私は陽光を受ける。生命を

    • あなたはきっとAIの作った音楽に感動してしまう

       AI、人間を超える。シンギュラリティ。そこで我々は人間がAIに優っているところを考えだす。「AIに取って代わられない仕事」「AI時代を生き残るクリエイティブ力」などなど。人間はAIと人間を優越、損得で考える。人間は人間を愛してやまないので、どうしても人間中心で考えてしまう。負けたくない。しかし、そんなあなたもきっとAIの作った音楽に感動する。いや、あなたはどうせAIの作った音楽に感動してしまう。人間の作る音楽の方が優れていると信じたくても。  AIはこのように人生は主観で

      • 生きる意味と自由はない。しかし、生きる意味と自由はある。

         私はただ生まれた。 「この世界で自由に遊んでいいよ」と母親から言われたのだ。 私の有限性は、「この世界」ということだけである。 私は空を飛べないし、空を紫色に出来ないし、私は彼の気持ちが分からない。大地は私に一つの真理を残していったと思われたが、それも私の創造でしかなかった。  遊戯とは、「この世界」から『この世界』を作り出すことにある。 『泥棒と警察しか存在しない世界』 『じゃんけんで勝つ以外進むことができない世界』 遊戯とは世界の創造である。そして、その世界の住人、役割

        • 受験勉強が辛いのは、他のみんなが頑張りすぎているから

          受験勉強が辛いのは、他のみんなが頑張りすぎているからだ。 1日2時間しか勉強は出来ないという法律を作ったらどうかと思う。 そうしたら、今まで10時間も勉強して早稲田大学に行った人が、たったの2時間で早稲田大学に行けるかもしれない。 こんな話をするとみんなの声が聞こえてくる。 「2時間だけでは『頑張った人』ではなく、『勉強が得意な人』『効率がいい人』が良い大学に行くことになるだろ。それはみんなの可能性を潰す行為だ!」ってね。 まあ、落ち着いてほしい。 現在良い大学に行く人とは誰

        抽象に逃げてはいけない

          学校の先生は全員しょーもない。

          馬鹿が権力を持った。無教養が権力を持った。だから嫌い。 僕は、無敵の人でも、炎上商法でも、過激派でもない。 嫌いな理由を最もわかりやすく言語化することに成功しただけだ。 嫌いと言っても、音のない嫌悪。反抗したり、悪口を言ったりはしない。しょーもない。ただそう思うだけ。馬鹿が権力を持った。その言葉を詳しく説明していく。 馬鹿(教師)が権力を持った。 権力というのは、教師と生徒という上下関係。成績をつけるのは教師側であるから、反抗すると授業態度など、点数にならないところで差し引

          学校の先生は全員しょーもない。

          「価値観の違い」の正体を暴く

          「価値観の違いで別れた」 こう耳にした人は多いはずだ。 どこか本当の理由を隠しているような、 しかし、その言葉がぴったり当てはまるような、そんな不思議な雰囲気がある。 「価値観の違い」の正体とはなんなのか。 結論を先に述べる。 価値観には、「共通了解の価値観」と、「個性の価値観」との二つがあるということだ。詳しく説明していく。 価値観とは、本人にとって価値を感じるものや考え方の基準である。 この辞書的な意味には「本人にとって」と言う言葉が含まれている。これを「個性の価値

          「価値観の違い」の正体を暴く

          「誹謗中傷をやめよう」って呼びかけまじで意味ないから辞めてくれ

          Youtubeの広告か何かで「よく考えてからコメントしよう」見たいな呼びかけ動画が出てきて何、無駄なことをやってるんだと笑ってしまった。 誹謗中傷を無くすなら、法律を作るしかない。罰するしかない。罰のない気持ちのいいことなんて無くなるわけがない。飲み会で言う悪口が罰せられないのと同じことだ。しかし、法律も作れない。難しい。だって、どこからを罰する?「死ね」はアウトだとしても、「Youtube辞めろ」は?「気持ち悪い、臭そう」は? アウトなワードを機械に覚えさせても、「タヒネ

          「誹謗中傷をやめよう」って呼びかけまじで意味ないから辞めてくれ

          シンプルな映画「プラダを着た悪魔」批評

          この批評は素晴らしい映画か否かを考えるものではない。(僕は無駄話をしないので急に始まる) 次の問いを答えるためだけのものだ。 ファッションに興味を持ったアンディ(主人公)は、ファッションの素晴らしさを知り、考えもしなかったファッション業界で活躍することとなった。という結末じゃダメなの? というものだ。 この映画は白vs黒の映画である。 白:ジャーナリスト(昔からの夢) 黒:ファッション誌(興味ないが、名声高い) 白が勝つ。ジャーナリストの道に進む。それがこの映画の結末だ

          シンプルな映画「プラダを着た悪魔」批評

          人を殺してはいけない理由

          イカゲーム、デスゲーム。 騙し合い、奪い合い、そして殺す。 人間の本性はいつまで経ってもこれだ。 狩猟時代。 人間はどう生き抜いたか? グループを作り、大きくし、他の小さいグループを襲い、奪った。命の危機を感じたら、殺した。いや、全員殺してから奪ったのかもしれない。 我々はただの動物に過ぎない。血の臭いがする。 人間の進化、資本の先で、その動物の部分、血の臭いを隠すことに成功した。奪い合う必要のないほどの資源があるからだ。 しかし、我々はまだ戦争するというのか!

          人を殺してはいけない理由

          生きる意味は言葉の中にない

          生とは死の対義語である。 そこにグラデーションはない。 生があること。つまり死がないこと。 死がないこと。つまり生があること。 同時にはない。 機械とは、人間の作った道具である。奴隷である。 しかし、機械とは人間を奴隷にした。 スマートフォンとは、人間の作った道具である。奴隷である。 しかし、スマートフォンとは、人間を奴隷にした。 ドーパミンボタンを押しまくるスマートフォンの奴隷だ。 AIとは、人間の作った道具である。 道具である。デジタルである。アナログに限り

          生きる意味は言葉の中にない

          早とちりハッピーエンド考察多すぎない?

          ※話が乱雑だが、繋がっていくので気にせず読んで欲しい。 レオンがあの男と共に自爆していなかったら、 マチルダは、あの男を恨み、復讐するために生きることとなる。 レオンの元カノは実の父に殺された。 レオンはその父を殺した。 それがレオンの殺し屋人生の始まりだった。 一度殺したら人生が変わると、レオンは言っていた。 実体験だ。自分の中の何かが切れる瞬間なのだろう。 だから、復讐なんてするものじゃない。と忠告した。 でも、復讐の気持ちは止められるものでもないと分かっていたはず

          早とちりハッピーエンド考察多すぎない?

          大人は自分に「椅子に座って勉強しなさい」と言えない。〜やりたいことは束縛の先に〜

          あなたにはやりたいことがあるだろうか。 あなたには勉強したいことがあるだろうか。 子供に勉強しなさいと叱りながら、勉強だけでなく好きなこともしないでスマホばっかり見つめているではないか? 小学生の強みとは束縛されることだ。学校に行かなければならない。 椅子に座って45分、何の為かも分からず勉強させられる。 遊ぶ気持ちだけ持っていればあとは、束縛「してくれる」。だから子供は自由なのだ。↓詳しくはこちら もう一度問う。 あなたはやりたいことがあるだろうか? 「会社

          大人は自分に「椅子に座って勉強しなさい」と言えない。〜やりたいことは束縛の先に〜

          「捉え方一つ」で世界が変わる人間と人類補完計画の結末/エヴァンゲリオン

          テレビ版(アニメ計26話)の話。 映画は見ていない。 ラスト2話をあんな風に使うとは、凄い。 小学生が見たら、つまらないと言うだろう。 監督の庵野秀明さんはもっと伝えたいことがあった、 もっとやりたかったと思っているだろうか 僕はもっと最後のシーンを長く見ていたかった 「なぜ…?」「なぜ…?」 と問い続けるシーンだ。 心が不安定な時に見たら危ないなと思うほどの迫力だった 危ないと言うか確実にアウト 人間考え出すとああなる。 ぐるぐる思考 疑問から疑問へ

          「捉え方一つ」で世界が変わる人間と人類補完計画の結末/エヴァンゲリオン

          この物語の核が見えてきたので話します。「ガーデン」千早茜

          ページを進めても特に何も起きなくて退屈だな、と思った。 でも、読み終わった後、心に引っかかる作品だった。 まさに、この文章通りの作品だった。 無理に笑わなくたって、無理に面白いと思わなくたって、 僕に迫ってきた。そんな作品だった。 羽野の淡々とした日常が描かれる。 彼の人間関係は、「適度な距離」 いや、それよりも遠いかもしれない。 そんな感じだ。 ここで、彼は人間関係が苦手なんだな、と思うだけでは足りない。 彼は臆病なだけでなく傲慢なのだ。 彼は、自分の

          この物語の核が見えてきたので話します。「ガーデン」千早茜

          「人生映画理論」僕が考え続け、ようやく達した「生きる意味」

          生きる意味に悩むあなたへの贈り物 本題に入る前に僕の信念を聞いて欲しい。2つだけ紹介する。 諸行無常 変わらないものなんてないんだってこと。 そしてもう一つ 人生今という刹那の連続。だから過去から未来へと一貫性を持つなんて考えは捨てた方がいい。昨日と今日の僕は違う。小学生の時「将来ダンボールの家に住む!」って言っていたって大人になって守るやつなんていない。大袈裟に言うとそういう感覚。 要するに何が言いたいかというと、 「生きる意味」も変わり続けていいってことなんだ

          「人生映画理論」僕が考え続け、ようやく達した「生きる意味」

          子供心と理性(束縛)と直感〜自由とは何か〜

          子供心を持ちたい。 子供のように自由奔放でありたい。 でも、子供って習い事や宿題をしっかりやっている。 僕たちが働くように。 子供には「自由」という印象を持ちやすい。 でも、習い事や宿題の「束縛」もある。 大人は「束縛」されている。 僕は「自由」になりたい。 「子供心」を持ちたい。 ならば「束縛」されなければならない。 表を求めたら裏を引き受けなければならない。 表ばかりを求めていた。 今こそ、裏を引き受けて、本当の表を手に入れるのだ。 子供は、誰かの言う

          子供心と理性(束縛)と直感〜自由とは何か〜