小企業で働く魅力をおしえます

 タモリの名言というのがあっていくつか好きなのがある。「まじめにやれ、仕事じゃねえんだぞ!」なんか最高だ。きょうはそのうちのひとつ

「やる気のあるものは去れ!」

について。これはYouTubeで検索すればすぐにヒットするので見てもらいたいが、つまりはこういうことだ。

 やる気のあるヤツっていうのはダメ。物事の中心しかやらないから。おもしろさというのは物事の周辺部にある。真ん中だけやっててもおもしろいことにはならない──そういう話である。



 今週はウマコシ君が会社に来ていろんな意見をしてくれる。彼は世界的大企業に勤めていたエリートでまったく生きてきた世界がちがう。興味深いからこちらもいろんな質問をしてみる。

「外資系の優秀な人間が集まってる会社で、誰かが失敗するじゃない。そういうときって怒られるの?どんな怒られかたするわけ?」

 われながらアホな質問だ。

 なぜそんなことを訊いたかというと、いろんな国籍のエリートが集まる綺麗な事務所で、日本の優秀な新卒学生が失敗こいてシンガポール人の上司に英語で大目玉をくらっている──そういう光景がいまいちピンとこなかったのだ。

 ウマコシ君の応えは大要以下のようであった。

 基本的に怒られませんね。そもそもビジネスが失敗しにくいようにできているし、いる人たちも非常に優秀だし。失敗というものにフォーカスしていない。失敗してもフォローできる態勢になっていますし。

 おお……やはりなにもかもが違うのだ。野犬を会議室に閉じ込めているのでケンカばかりしてますが、なかなかどうして、時々おもしろい製品を作るんです──みたいなウチの会社とは、月とスッポン、土星とウミガメくらい違う。

 小企業のスタッフというのは、あらゆる能力が凸凹で精神的にも安定せず、会社という組織の理解もまちまちなのですぐに組織破壊や船を反対方向にこぎ始めたりする。それをなだめ、すかし、誉め、おだて、怒り、脅し、泣き、笑いながらなんとかかんとか育てつつ、けっきょくは大事なところは自分で眠い目をこすりながら始末をつけたりして沈没せぬよう航海するのに近い。気を緩めなくても、最初から船底にいくつも大きな穴があいていてつねにじゃんじゃん浸水しているので、ずっと水を掻きだしながら航行する必要がある。

 この「メンテナンス労力」が「前進のための労力」をかなり削ってしまうのが特徴で、ゆえに小企業はなかなか大企業になるのが難しい。日本経済が高度成長をした時代でも難しかったのだから、今の時代はさらに難しくなっている。

 大企業と小企業というのはそれくらいレベルがちがっていて、同じ企業でもまるっきり別の性質を持った組織だ。

 小企業では仕事が計画どおり進まない(これまで経験したこともない)。だから会議をひとつとってもアジェンダ(議事)がはっきりしないまま始まるし、またアジェンダがあっても結論を出すための準備がぜんぜんできていなかったりする。

 会議が長くなるのはそういうわけなのだが、ここで経営者やリーダー何をしなければいけないかというと、目的としていた結果が出ないことがもはや明白になっても、それじゃ別の方向性のプラスをなんとか会社に付け加えなければならない。

 たとえば製品アイデアの会議があったとして、企画の準備不足から会議が不発におわったとする(それが普通である)。ほかに何も得るものがなければ会議はたんなる時間の無駄になってしまうのだが、そんな空振り三振をくりかえしていては会社がつぶれてしまう。

 そういうときは「やばい」とおもったら予定されていたアジェンダなど無視して、なんでもいいから会社にプラスになることを話し合い、アイデアを出しあってむりやり会議の生産性を上げるというわけのわからないことを即興劇みたいにやるわけである。時間制限に迫られながら頭をフル回転させ、KO負け寸前の状況からなんとか薄氷の判定勝ちに持ち込む──という作業をしつづける。

 ずいぶん遠回りしたが、タモリが言っているのはたぶんこういうことだろうと思う。じつは、毎日がこういう勝負というのはなかなかおもしろいのだ。。

 予定した仕事が予定どおり回るというのは営利事業体としては願ったりかなったりである。しかし願ったことが必ずかなうというのは人間を幸せにするわけではない。失敗のほうがおもしろい思い出であることは人生にままあることだし、人間が失敗談のほうを好むのもそういうことだろう。完璧に準備されたドミノ倒しよりも、小さなビー玉が今にも止まりそうになりながらフラフラヨレヨレとすすんでいく頼りないピタゴラスイッチのほうが見ていておもしろい。

 仕事もいいけど、仕事がおわったあとのビールのほうが人間には大事だったりする。そういう周辺部がまったくなくなってしまうと物事はおもしろくなくなってしまう。

 大企業がほんとうにそんなに心底楽しいところなら、やめる人がけっこういるのはおかしいではないか。カネがもらえればいいわけじゃないという人間が相当数いて「生きがい」「やりがい」みたいなものを求めているということだ。

 タモリの話を繰り返そう。だいたい人生がおもしろく進んでいくかどうかというのは、そういう「わりとどうでもよさそうな話」にある。

 今のところそういうメチャクチャな小企業的毎日を楽しんでいるし、案外こういうカオスな現場が好きだ。

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