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10/2 ゼミ振り返り

本日の振り返りは『高校 出張講義』です!

前回の出張講義はかなり悔しい出張講義でした。

今回もまだまだ悔しいことが多々ありました。この悔しさを記録する意味も込めての振り返りnoteです😢

授業中は先輩や同期の助けでなんとかなっとるだけで、このままではいかんです。この失敗を次回に繋げねばです。

それでは本題です!

手段目的化に陥らない

1つ目の反省は『手段目的化に陥った』です。

今回の出張講義における私の仕事は『グループワーク(以下GW)を通して高校生にMCS理解してもらう』です。

それなのでGW中は、高校生の文化祭での役割における仕事内容を、MCSに振り分けて考えるよう促しました。

ワークの前半はさくさく意見がでて、スムーズなGWでした。

しかし、後半は議論が行き詰まり、発言がなくなりました。そこで焦った自分は、ひたすらワークシートを埋める為だけの意見を高校生に求めました。

この私の行動は一見正しいように思います。

しかしながら、この行動は望ましいとは言えません。それは、このGWの目的が『ワークシートを埋める』ではないからです。

このGWは『理念実現の為のマネジメントにおける効果的な手段であるMCSを理解・活用できる』が目的です。

つまり、ワークシートを埋めれたとして、MCSを理解・活用できなければ何の意味もありません。

そして私は、このMCSを理解・活用できるという『学びのお土産』を高校生に提供できなかったのです。


この一連の失敗から学んだことは『手段目的化に陥らない』です。

『理念実現の為のマネジメント手段であるMCSへの理解』という目的を忘れ、手段である『ワークシートを埋める』に執着したことが失敗の原因です。

これはまさに『手段』が『目的』に変容しています。そして手段を目的にしたため、高校生へ学びのお土産を届けることができませんでした。


また、講義終了後の振り返りで、3年クラスのPJリーダーが端的にまとめてくれたので引用します。

今回の授業のフローの中にある、このワークの位置づけ・背景への理解をしてほしい。臨機応変さで乗り切るのではなく、準備段階で今回の授業の目的、この授業の中におけるワークの目的を理解してほしい。

今回の失敗の原因が、この発言にまとめられています。

GWをこなすことを目的としてはいけません。

まずは、授業全体における目的を理解する。そして、その目的を果たす手段であるGWが持つ意味を理解する。

この姿勢でGWに取り組みます!

高校生の心理的安全性を作り出せなかった

2つ目の反省は『高校生の心理的安全性を作り出せなかった』です。

心理的安全性とはなんでしょうか。

(前略)チームのメンバー一人ひとりがそのチームに対して、気兼ねなく発言できる、本来の自分を安心してさらけ出せる、と感じられるような場の状態や雰囲気をいう言葉です。(Weblio「心理的安全性」より引用)

この『心理的安全性の有無』が、GWが上手く機能しなかった原因と私は考えました。

そして、今回のGWはこの心理的安全性の無さが『GW中は正解しか発言してはいけない』空気を作り出してしまったのです。

これはイメージしづらいと思うので、今回起きた事例を紹介します。
※プライバシーの観点から少し内容変えてます。

大学生「ならさっそくやけど、総務部として何を目標にして文化祭に取り組みたいですか?」
高校生 社長「商品のことを1番理解して、お客さんに説明できるようになる。」
大学生「この意見に対して、部門長はどう思いましたか?」
高校生 部門長「そのままでいいと思います。」
大学生「商品に関するテストを行うて意見はMCSのどれに当てはまると思いますか?」
高校生 部門長「難しい。どれが正解ですか?」
大学生「正解とかないから、自分が思うがままで振り分けてみてください。」
高校生 部門長「わからん、難しい。社長はどう思うと?」
高校生 社長「テストがあると、その為に勉強とかすると思うから成果コントロールやと思う。」
高校生 部門長「ならそれで。」

私が担当したグループは『社長が言ったことは正解』『大学生が言ったことは正解』『発言するときは、間違いを言ってはいけない』雰囲気がありました。

まさに気兼ねなく発言できず、本来の自分をさらけだせていません。心理的安全性が無いと言えます。


ただ、この雰囲気は「今回のGWが難しいことが原因なのでは?」と考えることもできます。

しかし、私は高校生がGWが難しいから発言できなかったとは思えません。

これに対する根拠は、ある別のワークにおける高校生の取り組みの姿勢です。

そのワークとは『近くの友達と2人ペアで、理念について考えたことを話し合う』です。

このワーク中は、教室全員の高校生が活発に議論していました。誰も無言にならず、積極的に自分の意見を伝え、相手の意見を聞く。そんな雰囲気でした。

この事実からあることが推察されます。

それは、心理的安全性の高い『友達同士』という関係性が、発言へのハードルを下げる効果をもたらすのです。

発言へのハードルが下がった結果、積極的な議論が生まれます。そして、この議論から生まれた内容は、大学生が介入したときよりも、クオリティが高い印象を受けました。あくまで主観ですが。

お互いへの信頼関係があり発言することへの安心感がある(=心理的安全性の高い)状態やないと、大学生がGWに参加することはむしろマイナスになるのかなと。


前回『発言しない=内向型』としました。しかし、これは因果関係ではなく相関関係でしかないのかもしれません。

なぜ相関関係かは、GWで大人しい生徒が、友達との2人ワークで活発な議論ができたことから説明できます。

そして、私は今回の経験から、発言しないことの原因は『心理的安全性が無い』と考えます。

この学びを元に、今回のGWをどうすれば良かったかを考えます。心理的安全性のあるGWを作るには、私はどうすれば良かったのでしょうか?

いきなり5人グループ内で発言を促すのではなく、『高校生2対大学生1』のような小グループ内で発言を促す。そして、グループ全体への共有は、大学生が代わりに行う。このGWであれば、高校生の心理的安全性は高かったかもしれません。

今回の反省を元に、次回の主張講義のGWが高校生にとってより良いものになるよう頑張ります。

相手の立場に対する想像力の無さ

今回の2つの失敗には、1つの共通する原因があると思います。

それは、相手の立場に対する想像力の無さです。

1つ目の反省の『手段目的化に陥った』では、PJメンバーの意図を想像できなかったから起きた問題と言えます。

2つ目の反省の『高校生の心理的安全性を作り出せなかった』では、高校生の立場からみる大学生という存在のプレッシャーを想像できなかったから起きた問題と言えます。

自分の立場だけで物事を考えるのではなく、相手の立場で物事を考える。この相手の立場への想像力があれば、今回の問題は未然に防ぐことができました。


以下より余談です。

京大ゼミ 振り返りで、コンテキストを共有することの大事さを熱弁しました。

このコンテキストを共有する姿勢も、相手の立場に対する想像力があれば自然に思いつくはずです。

自分の考えを正しく相手に伝える。その際に相手の立場を考えると、相手が共有してない自分のコンテキストを共有することは自然な流れです。

相手の立場に対する想像力があれば、様々な問題を事前に対処・回避できます。そうなれたら、いろいろ生きやすくなりそうですね、、

終わりに

出張講義を終えると、毎回様々な反省があります。

いつか『今回は反省のない出張講義ができた!』と言いたいものです😢

最後まで読んで下さりありがとうございました!

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