【インドネシア】無宗教なりの宗教観
「家族元気にインドネシアに帰れるように交通安全のお守り買うねー!」
一時帰国中に、神社のお守り売り場で小学生の子どもが言った。
そうか。飛行機での移動も交通安全だよね。なぜだか「交通安全=車の運転」と思い込んでいた自分の視野の狭さに気づく。
そして、そんな風に家族のことを守ってもらおうとする子どもの優しさを感じて嬉しくなった。
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2023年春、家族でインドネシアに赴任しました。
期間限定の海外生活も2年目になります。
今日は、一時帰国中のお話。
日本人は無宗教なのかな?
日本人は無宗教の人が多いよね。と、よく聞く。私自身も特定の宗教観があるわけではなく、日本にいた時から自分も例に漏れず無宗教だと思っていた。
だから、インドネシアでは身分証明書に宗教を明記する欄があり、公教育に宗教の授業があると知った時、とてもびっくりした。無宗教って、むしろ世界的にはマイノリティなの?!と宗教についての疑問が深まった。
加えて、インドネシアでの生活を通じて、確実に日本にいるより宗教を身近に感じるようになってきた。(毎日、イスラム教のアザーンを聞いて生活するからね!)
そんな時に一時帰国して一転、日本人は無宗教じゃないのかもしれない。と、思い始めている。
日本での神社参拝
今回の一時帰国で、神社に行くことが何度かあった。ふと時間が空いて近くにある馴染みの神社に寄ってみたり、友達と観光ついでに参拝したり、友達のオススメの神社に連れて行ってもらったり。
少し意外だったのは、子どもたちが自分で御守りを買うことに興味を持ったことだ。勉強頑張りたいから学業成就の御守りを買う。とか、いいご縁が欲しいから縁結びの御守りを買う。とか、子どもたちそれぞれが今自分に必要なものを選択していた。
我が家は無宗教だけど、子どもたちには自然に宗教観が育っているのかな?!
キリスト教のイエスキリストがとか、イスラム教のアッラーがとか、そんなただ1人の神様を信仰しているわけではないけれど、この神社の神様にご挨拶してみようとか、あの神社のお守りに願いを込めてみようとか。そんな自然な関わりが私たちなりの宗教観なのかもしれないなと思った。
神社は建築物ではなく空間
神社にいくと感じる、スッとした空気。
いつもより一段深くふぅ〜と息を吐き、肩の力みが抜ける感じが個人的には好きです。
そして、鳥居から境内まで、まっすぐに風が通り抜けていくような空間も好きです。
神社って、本殿だけではなく、門や鳥居、周りの小さな神社や手水舎などの空間全体が神社なんですよね、きっと。建物ではなく空間なんだな。と思った。
ここで、もう一度インドネシアで出会った宗教を思い出すと、、
イスラム教はモスク、キリスト教は教会。これらは建築物として本当に見応えがあるけど、空間を形成しているものではないように思う。
いやでも、、、
ヨーロッパにある教会は、教会という建築物だけでなく周囲も含めて空間を形成しているのかもしれないな。
んー、、、
やっぱり私の経験しているサンプルじゃ少なすぎて宗教観を論じるには心許なさすぎるね。
インドネシアでの生活を通じて、気になり始めた宗教って何なの?という疑問。しかし、まだまだ言語化しきれない思考は続くのです。