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主に世界と人間について書かれたエッセイたち

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#哲学

魂の下書きばかりが積もり

 「文章」を書きはじめてから3ヶ月ほど経った。村上春樹が「結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしかすぎない」とそのはじめての小説『風の歌を聴け』で書いたように、ぼくにとって文章は自己療養が目的であり、自己療養へのささやかな手段でもあるようだ。だから、定期的なリズムで文章を生み出すことは難しい。療養とは、ある種の不規則性への対処という性質を持つから仕方がない。  引用した村上春樹は、ランダム性とは対極の手段を取って執筆をしていると

人には人の、「辞書」がある

「うんうん、分かる分かる」  この言葉は、ほとんど暴力と同じだろうと思う。人は分かり合えない。圧倒的な真実。それでも分かり合える世界を希求して生きながらえることはできる。しかし、その道程は長く、険しい。シルクロードを開拓するかのように。あるいは、もっと際限がないように感じる荒野で無くした指輪を探すかのように。  この頃、共感性が一つのコンテンツになってきた。他者の痛みや喜びを分かち合ったり、それぞれに備わる共感性を利用したマーケティング手法が生まれたり、共感力が大黒柱的リ

独善的世界認識のすヽめ

 正直、読まないで欲しい。このノートは、どれだけ人の世が絶望で溢れているかを書き連ねる掃き溜めにすぎない。なぜなら、人の世、つまり世界はそれくらい絶望的であるからだ。この記事は、世界そのものだ。この一説を知っているだろうか。 山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。 (『草枕』夏目漱石)  「夏目漱石なんて、堅苦しくて」なんて、人は純文学を敬遠するが、意外と悪くないものだな、と思う。純文学だけ

不歓迎社会日本

 一億総中流社会。妬み嫉妬社会。格差社会。学歴社会。少子高齢化社会。シルバー民主主義社会。「○○社会」というフォーマットでの日本への揶揄は後を絶たない。あらゆる日本人は自分自身や付近の環境を観察し、その「感情的な問題点」を「社会」に投影して批判する。やれやれ、どいつもこいつも人のせいに...と、ぼくもまた、人のせいにする自分自身を社会に投影し、嘆く。それに気づき、再び絶望。絶望したら川へ行こう。正しく絶望できる数少ない場所が都会の川だ。人間は嫌になるなあ  今日は自己の精神

ドフラミンゴが言う「勝者だけが正義」について

  昨日、こういうnoteを書いた。実際には、「noteを書いた」という感覚はほとんどなく、「文章を書いた」という感覚だけがつよく、つよく残っている。この文章をきっかけに、ぼく狼だぬきは継続的に文章を書くということが決まった。神のお告げというと大仰に聞こえるかもしれないが、それに近い何かの知らせ。直感的判断。神よりはもっと抽象的で、一方で現実的な何か。  さて、穴ぼこについて書こうと思う。精神的欠損。欠落的穴ぼこ。普通に生きていたら、決して誰にも晒すことのない秘境。文字通り