たまゆら

「たまゆら」という言葉をご存知でしょうか。

宮崎に住んでいる方は、一度は聞いたことがあるかもしれません。

大淀川河畔のシンボルとも言える宮崎観光ホテルに、たまゆらの湯という温泉もあったりします。

そしてこの温泉の名の由来でもありますが、ご年配の方の中には、昭和40年から41年にかけて放送された、NHK連続テレビ小説 『たまゆら』 (川端康成さん原作、宮崎を舞台としたドラマ)を思い出される方もいらっしゃるかもしれません。

ドラマ『たまゆら』は、会社を退いた一家のあるじ、直木良彦が、「古事記」を手に旅に出るという物語です。

「たまゆら」の言葉の意味は、勾玉(まがたま)が触れ合ってかすかに音を立てることから、転じて、ひととき、一瞬、儚いこと。

川端康成さんの原作の中で、主人公直木が手にしていた「古事記」と、「たまゆら」という言葉をリンクさせる場面が出てきます。

それは、イザナギが黄泉の国から逃げ帰り禊ぎをした  筑紫の日向の小戸の阿波岐原、 今の阿波岐原町にて、主人公直木がイザナギの禊ぎに想いを馳せる際のこの一節です。

『伊邪那岐命は首にかける玉飾りを、天照大御神に與(あた)えて、「汝命は高天の原を治らせ。」と命じたが、この時、長いひもに貫き通した玉の群れは触れ合って、ゆらゆらとなる音がした。この首玉を御倉板擧之神(みくらたなのかみ)と名づけたのは、玉にも神靈を認めたのであるが、首玉のなる音は『たまゆら」であつたとしていいだらう。』


イザナギの禊ぎの最後に生まれた、三貴子と言われるアマテラス、ツクヨミ、スサノオ。

イザナギは、アマテラスには高天の原を、ツクヨミには夜の國を、スサノオには海原を治めるようそれぞれに命じるのですが、

アマテラスへ命じる際、イザナギは自分の首飾りの玉の緒をアマテラスへ授けるのです。

古事記に “玉の緒もゆらに取りゆらかして” とあるその一瞬の音が、「たまゆら」と言えるだろうと主人公直木は考えたのですね。

ところで、この記事を書きながら、ドラマ『たまゆら』を観たくなったので検索したところ、当時撮影に使われていたVTRテープは高額で、使い回していた為にこのドラマの映像は残っていないそうです。

一作前の朝ドラのなつぞらが、100作目ということでニュースになりましたが、『たまゆら』はその5作目ですから、テープが無いというところは、やはり時代背景があるのでしょうね…

それにしても、観たかった!

原作の『たまゆら』は、主人公直木とその家族の移ろいと、直木が読む古事記の内容が主に描かれていますが、家族の描写はそのほとんどが会話です。

時代は違えど、自分自身もいつか家族と交わしたことのあるような何気ないやりとりに、忘れていた日常の一コマがふと思い出されます。

それは自分の子供の頃、学生の頃、そして3年前だったり、、、思い出して、ああ、もうその時は帰ってこないのだなと、寂しいような切ないような気持ちになるのと同時に、

その、今まですっかり忘れていたような、何気ない日常のひとときが、いかに幸せだったかを初めて知ります。

ドラマ『たまゆら』も、もうこの世にテープは存在しませんが、きっと観た人の記憶には残っているでしょうね。


勾玉が触れ合う音は、きっと静かで、柔らかくあたたかい音だと私は思います。

たまゆらの幸せを、そのひとときごとに感じられるように、生きていきたいなと思います。







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