見出し画像

2023.8.4 本性を修正したいのに、したくない件



こんにちは、岡まことです。

最近思うんですよね、自分は色々なことから逃げながら生きているなーと。

例えば人と関わること。なぜ人と関わることから逃げているのかというと、自分だけが認識している自分の本性が何かの拍子に露わになった時、失望されるのが恐いからです。

でも、僕の恐れなんて、結局小さなものなんだよな、と思うこともあります。そしてそんな小さなことで穴に籠っている自分は、つくづく臆病でしょうもない人間だなと感じます。

そもそも、本性が露わになってしまっただけで、180°見方が変わって、恐れられたり、視界に入れるのも不快な存在として扱われてしまうかもしれないものを隠し持っている人に比べたら、僕なんてまだ生きやすいはずなんです。

なのに、はじめから誰かに受け入れられることを諦めているというか、恐くて一歩も動けない、みたいな思考回路が出来上がっている。

長年かけて出来上がった錆の塊みたいに心にこびりついて、どう頑張っても取れる気配がない。

便利で親切な現代には、やれ認知行動療法だ、メンタルハックだと溢れ返っているし、選択と実行方法を間違えなければそれなりに効果が出ることもわかるんだけれど、どうにもその、実行したあとの揺り戻しがきついよな、と思ったりします。

そして、また自分は間違った、うまくいかなかった、どうせ自分はこのようなことしかできない人間なのだ、という経験だけが積み重なってしまう。

本当はそんなことないはずなんですけどね。試してみたってこと自体が大事なことであって、そこにスポットを当て続ければ変わることだってあるはずなんです。

ということはですよ。

たぶん僕はどこかで、自分の明らかに駄目な部分に救われているというか、支えられてる部分があって、もしそれを無くしてしまったら、どの部分を「自分」と呼んだらいいのかわからなくなってしまう不安があるのかなと思ったんです。

誰かと対等に良い関係を築くためには、僕のよくない部分を正さないといけなくて、でもそれを正すと、それはそれで空虚な気持ちになる。

自分を捨てるか、他人を見ないことにするか、みたいな。

バランスの良い人には、「その間をちょうどよくとってうまくやっていくのが大人なんじゃないの」と言われそうだけど、それがなかなか難しいんですよね。たしかにもう良い大人なんですけどね。

でも実は大体みんな、良い大人ぶってるだけで、本当はこんな感じなのかなぁ。こういう話を人とすることがないので、よくわかりません。

自分のどこをどう切り取っても恥ずかしい部分ばかりで、間違いや弱さや未熟さを責められるんじゃないかと思ってあんまり発言しないようにしてるんだけど、時々こうやって表に出した方が精神衛生上いいよなと思って、今これを書いています。

そういえば最近、

ここから先は

1,721字

¥ 500

いただいたサポートは、音源作りの費用とツアー資金に使わせていただきます。そしてたまにスタッフにおいしい焼肉をごちそうしたいです。