人に気を使えるようになるにはどうしたらよいのだろう
こんにちは、岡まことです。
今回は、「人に気を使えるようになるにはどうしたらいいのだろう」という話です。
いやー、ずーっと困ってまして。笑
もっとみんなに優しくすればいいのかなー、とか、心から笑えるようになればいいのかなー、とか、どうも的外れっぽいことばかり考えては立ち止まってしまう僕です。
では僕はなぜ人に気を使えないのでしょう、そこから見ていきます。笑
自分のことばかり
もともと僕は、「自分が嫌われないように」とか、「自分が見下されないように」とかばかり考えていた質なんで、「他人のためを思って気を使う」というのがなかなかヘタなんですよね。よくないことだとはわかっているんですが。笑
で、いつもできるだけ相手の機微を見て、「今、相手は不快に思っていないよな...大丈夫だよな...」と心配しながら行動するわけです。
そして何か一つでもミスをして相手を不快にさせると、まるで最初から「相手の前に自分のようなゴミムシが現れたのが間違いだったのだ」というぐらいの勢いで退散してしまうんですね。
いくつになってもそんな自分に気づくたびに、「自分は何も変わっていないよな...」と思うわけです。
「相手のために気を使いましょう」ってみんなよく言うけど...
よく「相手のために気を使うのがいいのだよ」と言う文章を見るんですけど、どうやったらその場で「相手のためになりそう」ということがわかるんでしょう?
例えば居酒屋で数人で食事をしているとして、サラダが運ばれてきたときに、近くに自分がいたら取り分けようと思うんですけど、微妙な距離にいた場合、ちょっとどうしようか迷うんですね。
なぜかというと、「妙な距離からサラダを取り分けようとするこの人は、ちょっと出過ぎたところがあるんじゃないか」と思われてしまうのでは、と考えてしまうからなんですよ。
ここで「はいそれ!そういうところ!あんたはそういうところが自分のことばっかりだ!サラダを取り分けられて気分を害する人間なんか普通いないでしょう!?臆病になりすぎ!ゴミ認定!」とみなさんが思うのはわかります。
ただ、僕みたいな普段から気の利かない人間がそこで頑張ろうとしたせいで、「そこにいる誰かが好きなサラダの取り分けられ方」ができなかったり、狭いテーブルの上で間違って皿と皿を強く当てて大きな音を立ててしまったり、「それより飲み物を気にしろよ」と思われたりするのではないかと思うと、何にも考えられなくなってしまうんですよね。きっと甘えですよねぇ。笑
じゃあもう家にいた方がいいのでは...?
「じゃあそこに行かなきゃいいじゃん」って話なんですが、会っていて楽しい友人とか、身近な人にぐらいはそういうのを恐れなくできるようになりたいんですよね。
だから結局僕の場合は「考えすぎない方がいいんじゃね?」という話なんですが、頻繁に余裕をなくして失敗を恐れる癖がなかなか抜けないんで、まずはそこから少しずつ矯正していかなくてはなぁと考えたり考えなかったりしています。
そんなわけで今日は、「やっぱ考えすぎない方がいいよねー」という、当たり前の結びでした。笑
そんな感じで、みなさんまたー。
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