息をするようにダウト、スーハー

ウソがクセになってしまっている。人を困らせることはしてないけれど、話していれば自然と出てしまう。だから人もそうだと思うと怖くてたまらない。思い返せば小学生くらいからで、だから記憶にある光景が本当にあったのかなかったのか分からない、どこまで本当なのかもわからない。

「ウソをつくときは、本当の中に混ぜると良い」
世界を生きやすくするための、悪い大人の知恵だった。誇張癖がついてしまったのだ。話をするとき数を使うことが多いのだが、その数を盛って話してしまうことが多い。昨日あったワンシーンを人に話す時、会話を都合よく変えてしまうことが多い。記憶がぐにゃりと歪む。正しかった記憶は、伝達の過程で私のウソに変わってしまう。

ウソをついたら覚えていなくちゃいけない。後日、前聞いた話と違うなんてことはあってはいけない。みんなにとっては私の話が真実だから。私の話を面白いと覚えていてくれる人のために、私自身のために、私はどんな小さな話でも寸分の狂いなく記憶するようにした。びっくりするくらい記憶力が良くなった。そんな話したっけ?なんて聞かれることは日常茶飯事だ。だから、君が私に言ったひどいことも全部全部覚えている。それ、ウソだったらいいな。

私とて話すこと全部がウソなわけではなく、何も手を加えてない話もするし、話の本質そのものを曲げるなんて無粋なことはしない。私はただ、誰かに私の感情や記憶をわかりやすく共有したいだけなのだ。小さい頃の記憶が曖昧なのは、きっとお母さんにたくさん話をしていたからで、面白い話をしようと試みていた結果なのだと思う。お母さん、家に蜂が入ってきた時退治したのは私で合ってるかな?もう覚えてないだろうけど。

よく一緒にいる友達に、誇張癖を指摘された。ウソつきだよねと言われている気がした。ウソをついているんじゃないんだ、私のことを、君にもう少しだけ理解してほしいだけ。

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