ヘビーなベビーの話でも

父と母が方向性の違いで解散した。若かりし頃面食いギャルだった母が、若かりし頃高身長でイケてた父に一目惚れし、ゴリ押しトントン拍子で結婚してしまったのが悪かったのかもしれない。

父は子供を酷く嫌っていた。泣く、大きな声を出す、走り回る、意思疎通の図れない小さな生き物。そのため私が産まれてからしばらくは母の実家で暮らし、父とは別居状態だった。吸収能力に長けていたのか、もうすぐ2歳になるという頃には日本語ペラペラのユーモアチャイルドだった私はようやく父と暮らすようになり、ここから少しずつおか家の崩壊が始まる。

好奇心爆弾で無限おしゃべりになってしまった私は、人と話すことが好きだった。お父さん、お父さん、あのね。仕事から帰ってきた父に遊んで遊んでと飛びかかるのだ。前述の通り、父は子供が嫌いであった。母の目もあるし、彼なりに放っておくわけにはいかなかったのだろう。私が1人で遊べるようたくさんおもちゃを買ってくれたし、2人の時はいつも上側がクルクル回るガラケーでプリキュアを見せてくれた。キティちゃんのヘアバンドを付けた父はもうぼんやりとしか思い出せないけれど、おままごとをしてくれなかったのは覚えている。

程なくして弟が産まれる。母と同じ誕生日の、私そっくりの弟。自分より小さな生き物がいることに興味津々な私は、首も座ってない弟によくちょっかいをかけていた。下手すれば死ぬ、怪獣・ガキおかから弟を守るのに必死な母。この時は流石に別居するわけにもいかず、父も一緒に暮らしていた。大暴れする2歳児、大泣きする乳児、バケモンに囲まれた父が何を思っていたかは言わずともわかるだろう。

このペースで書くと書籍になる、だいぶ省いて弟がもう1人産まれたあたりまで。父は私が片付けをしないとひどく怒るようになった。片付けるまでずうっと怒られた。椎名林檎の歌が台所から聞こえる。あ、ORANGERANGEになった。何度ここへ来てたって、大阪弁は上手になれへんし…。片付けしないと、痛い、痛い。痛いのは怖い。怖いから言うことを聞かないと。父は、ワガママな子供を言う通りにする方法に気付く。

父は喫煙者だった。タバコを吸っている父の隣はとても嫌で、息を止めて歩いていたのを覚えている。ライトでギラギラに飾った、芳香剤の匂いが強い車内。今はもう懐メロになってしまった曲ばかり流れていた。

「買い物してくるからお父さんと待っててね」

この時、母が私を車に残さなかったらどうだっただろう?私がもう少し静かな子だったら父の機嫌を損ねることはなかった?父が向けたソレは、幼かった私にとってどれだけ怖かっただろうか。

しばらく祖母の家で暮らした。大人は嘘が上手だから、まだ信じることしか知らなかった私は事の重大さに気付かない。夜になるといつもベランダに出て、寂しいような悲しいような、そんな横顔を浮かべていた母を思い出す。外寒くないの、お母さん。まだ起きてたの。ううん、トイレ。一緒に行こっか。すっかり細くなった手で私の手を握ってくれた。母がベランダにいた理由が何だったのか、今ならわかる気がする。

父には会えなくなった。父がよくしていたキティちゃんのヘアバンドは、母が今もずっと洗顔で使っている。

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