コンプレックスの話

実家が嫌いだった。嫌いというか、ずっと恥ずかしかった。何が楽しくてこんなに貧乏なんだろうってずっと思って生きてきた。そんななのにヘラヘラ笑ってるお母さんも嫌だったし、自分勝手な兄弟も本当に本当に本当に嫌だった。我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢ってずっと張り詰めていた。

でも家族が嫌いな訳じゃなかった。お母さんは明るい人で、女手一つで私たち3人を育ててくれた強い人。兄弟だって、いい所があって、一緒にいて楽しいと思える大切な人。そういう私が知っている家族の一面じゃなくて、もっと社会的に見たときの一家の立ち位置みたいなのが嫌だった。裁判を経て離婚した両親、無職の親、癇癪持ちの弟、生活保護で暮らす家庭、そういう名前のあるステータスみたいなものがずっと私について回るのが、嫌だった。

これで私も高校で妊娠して退学するようなバカな女だったのならこんな気持ちにならなかっただろうけれど、生憎私は頭が良かった。小中ずっと賢いね賢いねと甘やかされ、地元で1番賢い高校に行った。そういう高校に来る奴は大抵、親にお金をかけてもらって、きちんとした家庭で、惜しみなく勉強できる環境で育った奴ばっかりだった。

中学の頃に部活を諦めて塾を選んだ私は、高校もその塾に通っていたが、模試だの講習だのと嵩む費用にお金が払えなくなり通うのを諦めようとしていた。

「大学になったら働いて返すという条件で高校のうちは無料で通っていいですよ」

本当に恥ずかしかった、消えたくて死にたくて堪らなかった。こんなの優しさじゃない、貧乏だから同情されたのだ。うちが普通の家庭だったら、普通に通って、普通に模試を受けて、いい成績を妥当に褒められていたはずなのだ。こんなことされたら、タダで通っているんだから良い成績を取るのは当たり前だと思われる、私の努力の結果は必然として処理されるのだ。この日に1回死んだ。

大学になってからは家庭コンプレックスが加速した。腐っても旧帝、親が大卒だとか親が医者だとか兄弟姉妹も旧帝だとか、みんな自慢の家庭の自慢の子供って感じがして羨ましかった。

国の制度で学費全額免除・奨学金は給付型であることを除き、大学生活を送る上での費用は全て自分で用意しなければならず、バイトに明け暮れる日々を過ごした。家賃2万を切る海辺の実家から、片道約2時間、地獄の日々。お小遣いどころか私が家にお金を入れなければ家計がどうにもならず、「返すからお金貸して」と言う親に貸してきた計25万円はまだ返ってきていない。友達に「デカダンス?」と言われた日を多分一生忘れない。この日も1回死んだ。

昔、祖母が親戚の集まりで粗相をして、縁を切られたらしい。偏屈で世間知らずで鬱気味の祖母には所属するコミュニティもなく、常識ってものを本当に知らない。タクシーのドアに軽く足を挟んだことがある。捻挫までもいかない怪我だったのに騒ぎ立て、もう治っているのに今も杖をついて歩いている。そのタクシー会社を出禁になった。ブレーキで首が軽いむち打ちになり、これも騒ぎ立てた。弁護士までいって、このタクシー会社も出禁になった。

祖父はきちんと働き、社会的に生きているように見えた。でも違った。頭のおかしい隣人が祖父の家を壊しても、ヘラヘラ笑ってた。いや、あの人は悪くないからって、修理費のウン万円を祖父が払っていた。なんで笑ったの?何がおかしいの?この日、私の中の祖父が死んだ。

他に知っている血族、10個下のヒモ女と暮らしているアルコール中毒の叔父さん、精神病院にずっと入院している祖母の兄、もう再婚しているDVお父さん。

半年前に年が明けて、お年玉で20万円もらってる友達がいた。半年前に成人式があって、成人式祝いで10万円もらってる友達もいた。知ってる?うちって月にたった10万円しかもらえないんだよ。やったーって握ってるその封筒が、私たちの生活と同じ重みなんだよ。全部妬みだって気付いて、お正月も1回死んだ。

全部お前らとは違う。違う、違う違う違う。皆と違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違違うう違う違う違う違う違う。違う?

こんなでも大学通って生活してる私可哀想って思ってる?って聞かれたことがある。思ってるよ、どう考えてもそうでしょ。お前みたいに親のスネかじって楽しいことだけして生きてきたわけじゃないんだよ。楽しいこと全部犠牲にして、今やっと最低限人間として生きれている化け物の気持ちがわかるわけないんだ。この日も悔しくて死んだ。

大学一年生のとき付き合っていた恋人の家族に会ったときに「まだ大学生なのに全部一人でやっていて偉いね」と言われた事がある。この時泣いたのは、嬉しかったわけじゃなかった。同情されたのが悔しかった。この人もきっと私のこと見下してるんだなって、思ってしまった。やっぱりこの日も死んだし、他に女がいたらしくこの一週間後に振られて別件で死んだ。

実家が辛くて、その元恋人に話を聞いてもらったことがある。そんなに嫌なら家から出ればいいじゃんと言われた。ああ、この人は愛されて育ったから、私のこと、本質的には何も理解してくれてないんだなって、この日私の中で大好きだった彼は死んだ。

私が私に自信あるのは、私を取り巻く私以外の全てに自信が無いからだと思うんです。私は私に流れるこの血がコンプレックスです。「きらりちゃんすごいね、あの家でよくこんな風に育って」とか言われるのを気持ちいいと思いたくない、私は私。だから、金ばかりかけられて育ったなまくらな同級生よりもずっと優れていなければいけなくて、意地張ってこの大学来ました。

大学生になって、誰も私に貧乏なのにとか言わなくて、私を正しい目で見てくれて、私だけがずっとコンプレックスを抱えて生きている。こういうところが貧乏なのかな。こうやって文字にしたことで、皆の目が覚めて、皆の中の私が死んだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?