上履きのかかとを踏むな

先日友人とうどん屋さんにいたら「リビングとダイニングにはliveもdieもあるね」と言われた。急すぎて頭が回らず「生活の全てがそこで完結しているからかな?」とか適当なことを言ったが、まあ、的は得ていたと思う。

春は街のどこかしこも浮つく季節で、少しだけ嫌いだ。世間で交錯する出会いと別れから置いてけぼりにされている感じが何だか少し虚しい。出会い別れに付き物はのはラブロマンスの類で、そういえばこんな恋もしたなと回想に入るところまでが毎年の恒例。

ありふれた高校生活だった。しいて言えば家がちょっと遠かったくらい。友達もいたし、恋もしたし、勉強もそこそこで、けれど部活はほぼ幽霊だった。軽音部なのに幽霊だった、やらなきゃ上達しないのにやらなかったから、5年経った今も下手くそなまま。その頃付き合ってた人は私に弾いて欲しくてとアコギを買っていたけど、もうきっとどの弦を弾いても私のことは思い出せないだろう。

良くも悪くも素直な人だった。私を傷付けないために嘘をつくような優しさを持っていた。喧嘩は1度もしなかったけれど、それは本音を1度も聞けなかっただけだったのかもしれない。お母さんは料理上手で、手羽先の食べ方を知らなかった私を笑ったりしなかった。お父さんはサンドウィッチマンの2人を足して2で割った感じで、門限が近くなると辺鄙な私の家まで白の車で送ってくれた。ある日突然現れた妹は、まだ毎年あけましておめでとうとLINEをしてくれる。何も間違ってなかったのにね。

私の受験を邪魔したくないからと泣きながら別れを提案してきた彼は全く別の女がいたし、そんなことをしているせいで受験に失敗した。ざまあみろなんて思う自分が嫌だったけれど、裏切った方が何もかもを持っているなんて許せなかったし、あれからきちんと人を信じられなくなっている。それでも夏が来るとクーラーのない部屋を思い出すし、もう繋がっていないSNSをもどかしく思うこともある。全部これでよくて、何も間違っていないはずなのにね。

おばあちゃんの家が彼の家に近くて、帰省したときはつい癖で4つ目の角を右折しそうになる。白い車はいつもそこに止まっているし、弾かなかったギターはまだそこにあるのだろう。2人だった時間が彼の何かになっていればいいなと思う。


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