見出し画像

さかい九頭竜音楽コンクール創設の経緯〜文化振興に対する想い

6年前、28歳の時に提案した、さかい九頭竜音楽コンクール。今年で7回目となります。

それ以前から坂井市文化振興事業団として、ミュージックフェスティバルinさかいフレッシュコンサートオーディションを実施。坂井市あわら市の方しか参加できないなどの制約があり、このまま継続しても発展性に乏しいと考え、発展的解消という形でコンクールとして生まれ変わる案を提案。
基本的に福井県音楽コンクールを参考にしつつ、他県のコンクールなどの要項を精査。吹奏楽コンクールに携わっていた経験は企画運営に大いに生かすことができました。
その上で、すでに福井県に存在した「福井県音楽コンクール」「福井県新人演奏会オーディション」との差別化を図りながら練り上げていきました。
審査員は県外の方に依頼、参加費の料金設定も低めに設定、国内外どなたでも参加できます。より多くの方に参加いただけるよう、審査員の増員やチャレンジ部門の創設など毎年少しずつアップデートしています。
演奏、研鑽の場として利用していただき、成長の一助となれば幸いです。

ただコンクールを実施するだけではなく、演奏者や指導者の方にとってより有意義な場、求められている機会などを創出していきたい。
あくまでコンクールはきっかけで、これで得た縁をいかに育てていくかが鍵になります。

ホールと演奏者・指導者・利用者は互いに手を携えて協力関係を密にすることにより、市民に音楽を届け、文化を育てていくパートナーです。
文化振興の定義は様々あろうかと思いますが、僕個人として力を入れたいのは、
『(クラシック)音楽人口を増やすこと』。
何百年という歴史の淘汰を受けた音楽は力強いです。今ある音楽のほとんど、その礎は西洋音楽が作っている、クラシックがルーツです。ルーツを知ることで今あるものをより多角的に深く聴くこと、感じること、楽しむことができるようになるはず。
そのためにできることの一つとして、『音楽を学びたい人と音楽を指導する人のマッチングできるサービス』を作りたい。
また、『市民の日常の導線上に音楽と出会う仕掛け(アウトリーチ)をなるべく多く作っていくこと』が大事だと考えています。
可能であればそういう場(プラットフォーム)自体を作っていけたら一番良いですね。こちらが企画せずとも、市民が自らの意思で音楽できる場、市民同士が音楽を通じて繋がりコミュニティが創出される場、そういう場を街中のあらゆる場所に作ることができれば、街に音楽が溢れ、身近なものになっていくはずですし、コミュニティが多くできることによって、音楽文化だけに終わらず、地域の力、社会の力が備わり、街が、市民の生活がより豊かになるはずです。
裾野を広げるためには、ホールの中で待っているのではなく、市民の日常にこちらから足を運ばねばいつまで経っても溝は埋まりません。
もちろんそれはクラシック音楽だけにとどまらず、(広義の)ポップスも同様ですし、我が国の伝統音楽、ワールドミュージック、ダンスなどの身体表現をともなったパフォーマンス然り、演劇然り、もちろん美術作品などの展示についても同じです。
コンサートホール、劇場、美術館、ライブハウス、専用の箱でやるのが演者にとってもお客様にとってもベストなのは言うまでもありません。しかし、そこに行き着くまでには、見えない大きな壁があります。お客様となる市民に「もっと良い楽器で、良い環境で聴いてみたいなぁ」と思わせられれば良いのです。
ホールまでの敷居が高いのなら、ステップやスロープを作ってあげれば良い、それがアウトリーチだと思っています。

リアルでのリーチが難しければ、ソーシャルメディアやYouTubeなどのプラットフォームを活用して、市民にリーチすることもできます。
コロナ禍において、いかにオンラインを活用していくかが、アフターコロナの明暗を分けるはず。
またオンラインに特化すれば特化するほど、リアルの市場価値は上がるはずです。
オンライン上でファンを作り、信用を貯めることにより、リアルイベントでそれを爆発させる。

事業団と一緒に市民企画を作るようになって約9年。自分も間も無く35歳。
次代の文化の担い手にバトンタッチする準備を早々に始めたいと考えています。
今の若い人たちは諸先輩方が思っている以上に優秀な方が多いです。どの業界にも同じことが言えますが、若い人に早く席を譲らないと、この国の未来はありません。
というわけで、金にもならぬ、腹の足しにもならぬ、ライフワークのお話でした。

男は子を産むことができません。だからこそ、それ以外の何かを後世に残したいと思うのかも知れません。
僕はこの街に文化をほんの少しでも残せたらと思います。
文化のある生活は豊かです。不要不急なものがない人生なんて生きていて楽しいでしょうか。
人間はやがて死にます。
死ぬとわかっていて生きるのです。
死ぬまで、生きている実感を感じるために生きているのだと思います。
感動の多い、心が動き続ける、豊かな人生を送りたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?