昨今各所で問題の「ポリコレ」についての個人的見解

こんにちは、お疲れ様です。今回はポリティカル・コレクトネス(以降ポリコレ)について、いろいろと個人的に感じていることを書いていきたいと思います。

①ポリコレとは

まずはポリコレをご存知ない方のために、簡単に解説します。

ポリコレとは「ポリティカル・コレクトネス」の略称で、特定のグループに対して差別的な意味や誤解を含まぬよう、政治的・社会的に公正で中立的な表現をすることを目指した考え方や表現方法を言います。

昨今では映画をはじめ、アニメやドラマなどの映像作品、さらにはゲームに至るまで、さまざまな媒体にポリコレ的配慮がされたキャラクターやストーリーが増えています。

顕著な例として、ディズニーの実写版「リトル・マーメイド」の主人公アリエルに、黒人俳優ハリー・ベイリーさんが起用されたことが有名です。

②個人的見解1

ポリコレは、それまで注目を浴びることがなかった一部の少数派の人たちの活躍の機会が増えることが期待される反面、その配慮がいきすぎると逆に、これまで活躍の機会があった人たちの可能性を奪ってしまう恐れがあり、また逆に少数派に配慮するあまりに、本来はその少数の人たちが活躍できる機会が奪われてしまう恐れがあります。

例として、現在制作中の実写版「白雪姫」があります。
白雪姫は本来「雪のように白い肌」という特徴があったわけですが、実写版にあたってキャスティングされたのは、ラテン系俳優のレイチェル・ゼグラーでした。これによって白人俳優の活躍機会は失われました。
そしてこの作品に登場する7人の小人たち。実写版においては小人症の俳優を起用することはなく、CGで再現されるようです。つまり、小人症の俳優たちの活躍機会が失われました。

これを受けて感じたのは、配慮も度を超すと逆差別になる、と言うことです。これは看過できない問題です。

③個人的見解2

昨今のポリコレ配慮についてのマイナス点について個人的に感じているものは、人々の対立のテーマになってしまっている点です。

前述した通り、これまで活躍の機会がなかった人たちにスポットが当たると言うことは、当然これまで活躍した人たちの機会を奪うことです。

そこで生まれるのは、親ポリコレ派と反ポリコレ派の対立です。

それの何が問題なの?意見交換がされて議論がされることはむしろ良いことなんじゃ?

そう思う人もいるでしょう。確かに多様な意見が出され、その中でさまざまな観点から意見が出て、より良いものになる。

ですが、それはすべての人が理性的で、他人の意見に耳を貸すことが前提です。問題はここです。

④個人的見解3

悲しいことですが人間社会の中には、自分の意見やそれに類する価値観こそがすべて、それに反するものはすべて敵である、そう考える人が一定数います。
そういった人達は揃いも揃って声が大きい、そして敵認定したものは徹底的に叩き潰す、そう言う人達です。

ポリコレ論争については、そう言った過激な人達がどちらのサイドにもいるのです。

はっきり言います。こう言った過激な人達は、ポリコレを筆頭とした多くの議論すべき問題全てにおいて、議論を停滞させる害悪です。

今するべきなのは、賛否どちらの考えも多様性の一つとして捉え、それらから双方どちらも納得する落とし所を探ることです。
お互いに罵倒しあって、生産性のない言葉の暴力に訴えたところで、議論は前には進みません。

⑤総括

これを見ている皆さん、皆さんも「自分とは違う価値観の誰か」に違和感や不快感を持つことがあるかと思います。自身の理解の外側にいる存在や意見があると思います。

ですが皆さん、そう言ったものを拒絶するだけでは無駄な対立を繰り返すばかりです。

まずはそれらを理解する努力をしてみてください。
批判するなとは言いません。ですが批判する前にワンクッション、「相手を理解する」というプロセスを挟んでみてください。そうすれば、停滞していた議論も前に進むかもしれません。

皆さんはどう思いますか?コメントにお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?