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#映画にまつわる思い出


#映画にまつわる思い出

父と行った映画館の思い出

父という人

昨年末90歳で父が他界しました。昭和7年生まれ戦中派の父はいわゆる昭和の人であり私と妹はいつも母がかわいそうな思いをしていると思って育ってきた為家庭での父の行動は正直に言うとあまり好きではない部分が多い人でした。

度々家族のため、特に子供のためには母や子供たちの意思は全く無視した行動言動を取り、悔しい苦しい、胃が締め付けられるような思いをすることが何度も有りました。

ですが家族共通の思いとして、父の行動言動は「すべて家族を思っての事」であることは疑いもなくそれだけにそれ以上最悪の状況にならないように自らをなだめて過ごしてきたようなところがあります。

父が他界したあとは私たち家族にとっていろいろな意味で非常に大きな存在だった事も改めて感じております。亡くなって3カ月以上たちましたが父が息を引き取った瞬間が忘れられず、思っていたよりもはるかに悲しく残念な思いがまだ断ち切れません。ここまで自分の心に穴が開く気持ちというのは結構意外な気がしています。

90歳まで生きた父、60歳近い自分にとって親を失うという事は当然遠からず訪れる事であり、理解はできていた積りでしたがこれほど悲しく、今でも思い出すと涙が出てきて、もっとこうしてあげれば良かった、ああしてあげれば良かった、という思いが支配します。

折に触れ、何かがあると「そういえばあの時父がこんな事していたな」など生前の思い出も父の思い出と重なって思い出されてしまうのが少し不思議な気がします。やはり身近な人の死というものはこれほどまでに自分に影響を与えるものなのだと痛感します。

父親の背中 イメージ

映画を観に行くぞ

という事で映画にまつわる思い出と言えば小学校6年生の時に突然父が「映画を観に行くぞ」といったことです。それまで親に誘われて映画を観に行くという習慣は我が家にはありませんでしたし意外でした。それまで私は映画と言えば「ゴジラ」とか「ガメラ」くらいしか見に行ったことがありませんでした。

父が転勤族だったため私は小学校は3校にまたがって通いましたが、私が小学校2年生まで住んでいた所で仲の良かった友達を一緒に誘おうと言い出したのです。大阪に戻ってはいたものの場所も小学校も全然違いますし、低学年の頃の友達とはいっても高学年になった自分は、少しためらったのですが、父は持ち前の家族の気持ちは考えない踏み込み方で「すぐ電話せい」という事で電話をしました。もちろん久しぶりとはいえお互いにすぐに昔の仲良しの気持ちが戻り一緒に映画に行くことになりました。

「ミッドウエイ」


父の独断で決まった映画は私の友達と、私と、父の3人という不思議なトリオで見に行くことになりました。映画は当時公開されていた「ミッドウエイ」でした(1976年)。映画館にちゃんと映画を見に行くのはほとんどはじめてに近い経験でした。

今、この機会に「ミッドウエイ」(1976年)をWEBで検索してみるとアメリカ建国200年の記念作品だったそうで、錚々たる豪華キャストの出演だったようです。コメントを見ると過去の映画の焼きまわしの映像を多く使っているとか、ストーリー性に欠けるとか、あまりいい評価は少ない様です。

小学校6年生の私には、全編英語字幕スーパーでしたので殆ど理解できませんでした。私たちの小学生時代は戦後30年近く経っていましたが、小学校ではゼロ戦や、戦艦空母の話は皆していましたし、プラモデルも戦車が全盛期でした。もちろん山本五十六も戦艦や空母の名前も知っていましたが、ストーリーは判りにくかった様には思います。三船敏郎さんが出ていました。私の中では未だに三船敏郎さんのイメージは山本五十六です。

映画館は梅田にあったOS劇場。

今も別の場所でOS劇場はあるみたいですが、当時は梅田のナビオの向かい側にありました。(地図で調べると今もOSビルとなっています。映画館はもう無いですが。)
当時は私の記憶では日本一のシネラマ大スクリーンと覚えていました。今調べると西日本一だった様です。とにかく超大画面で、今のシネコンのスクリーンの3倍くらいあったのでは?無いでしょうか?真ん中から左右にわん曲した画面で、映像が頭上から迫り来るぐらいの迫力がありました。
今中々この様な映画館は成り立たないのでしょうが、今の映画館の画面が普通のテレビだとしたら
OS劇場のスクリーンは85インチTVぐらいの感じでは無いでしょうか?
本当に兎に角もの凄い迫力でした。

大大大、超ド迫力!!!ほとんどはじめて映画館に映画を観に行った小学校6年生の私には圧倒的なその感覚に支配されていました。


シネラマ

センサラウンド方式

映画は空母から戦闘機が発艦する場面から始まります。衝撃の始まりでした。もの凄い爆音と圧倒される振動、空気でした。多分気のせいですが風も来た様に感じました。とにかく声も出ないほどその空気に飲み込まれてしまいました。自分も風圧に飛ばされてしまうのでは無いかと椅子の手すりを力一杯掴んでいました。
映画館で観る大人の映画はこんなに凄いんだ!と言う感想でした。
センサラウンド方式という音響を採用しておりこの映画のもう一つの売り物でした。
シネラマの大画面で圧倒的な音響による大爆音。まさに空母の上で戦闘機の発進を見ているような臨場感に圧倒され続けました。実際の空母の上は知りませんが。。

センサラウンド方式 イメージ

私の中ではいまだに記憶に鮮明に残る映画であり、ほとんど初めての映画がこの映画だったので映画館で観る映画の感動には、スクリーンと音響の素晴らしさは必ず必要だと思っています。
残念ながらこの映画は酷評が多いのですが当時のOS劇場でセンサラウンドで観た人はきっと実感が違っていると思います。このような音響と大画面の映画や映画館がもう無いのは残念で仕方ありません。家のテレビやタブレットでは感じることはできませんので。

父が亡くなって今更ながら子供の頃にしかできない体験をさせてくれようとして色々なことを考えてくれていたのだなとつくづく感じます。もっと生きているときにこんな話をしておけば良かったと思いますが、思い出だけは刻み込まれているので、何かのきっかけでその欠片がふと蘇ってくるのは父とのつながりを感じることが出来て本当にいい思い出です。
自分の息子にも、(もうとっくに大人ですが)まだまだ自分の知っていることをたくさん教えて父を見習ってこれからの人生も過ごしていきたいと思います。
以上

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