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愛は練習。

愛とは何だろうと思った時、ふと誰かが言っていたことを思い出しました。
愛は練習です、と。

わたしたちという存在は愛そのものなわけだけど、それをどう表現するか、肉体をもってどのように形を成していくかはやはり練習なんだと思います。

生きているってことは、愛の練習をしているということ。

何世代にもわたり、何世紀にもわたり、何度も失敗して、繰り返しても、少しずつ修正して、愛を形にしていく場所が、ここ地球なんだと感じます。

肉体がなければ、練習なんていらない、一つだから。

分けられた私たちが、ここで、愛という原点をどのように、いかに正確に、

ものとして、ふるまいとして、言葉として、表していくか。

愛している相手に、愛している想いを、ただその通り伝えることが、いかに困難で、チャレンジングなことか。

自分に正直であること、その時の思いに素直であることの積み重ね、そして想いを行為として現実化させる技術の習得。

わたしたちの身体は愛を前にすればとても小さいので、想っているだけでは溢れてしまうのです。

形にすること、その形が不本意なものであればより精密に磨いていくこと。

その形がだんだんと想いからズレてったら、それを修正すること。

それらすべて、練習の上に成り立っているのだと思います。

愛を練習する時、愛している相手は重要でしょうか?

大事な要素です。

私はこう思います。誰か目に見える他者より、行為主である自分を練習相手にしたら、いつだって常に練習し続けられるではありませんか。

自分のことを目で見えないのは、最上の練習相手だから。

それが人間として生きるということ。




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