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辻仁成さんによる塩沼大阿闍梨へのインタビュー記事

感染症も落ち着いた中、GWが終わると、今年はかつてのような日常が戻ってきそうです。ただ、欧州での軍事侵攻に心を痛めている方もおられることでしょう。そんな中、パリに住む辻仁成さんによる塩沼大阿闍梨へのインタビュー記事(2020年)を見つけました。

くまマネ的に気になったフレーズ。

だいたい人間の望みって、地位、名誉、財産など「欲しいものが手に入らない」、「思い通りにならない」、「愛するものとの別れで苦しんでる」、そして一番厄介なのが、「嫌な奴と会う」という事なんです。この4つさえクリアできたら人間ってとってもハッピーだと思うんです。
私はこれを何とか克服しようとしていたんです。欲しいものが手に入らないとか、食べたいものが食べられないなど、物欲、食欲、性欲というのは全然苦痛ではないし、大丈夫でしたけど、嫌な奴だけは苦しいですねー(笑)。 
千日歩いても実際ダメだったんですが、ある瞬間にパッとその人を愛しむ事ができたんです。
まず、宗教というのは神や仏を解き明かすものだと思うのです。それは、やはり開祖というものがいて、その人が宇宙や天地と繋がって、言葉をアートで包むということ、それが仏典だと思うのです。だけど、残念ながら開祖って人間なので必ず死んでしまいます。例えば、作曲家が死んでしまって楽曲が生まれないのと同じで、もう残った人はその曲を聴くしかないんですよね。新しいアルバムはもう出てこない。なので、私は宗教というのは、「ファンクラブ」だと思っていますね。

言葉をアートで包んだものが仏典。開祖が死んだら新しいアルバムは出てこない。宗教はファンクラブ。

うちの宗教が一番、うちのアーティストが一番、その考え方のせいで分断が起きている気がするんですよね。


塩沼 私は、だから、世界のどの宗教も素晴らしい教えだと思っています。仏教にご縁があったのでお釈迦さんもすごく心からリスペクトしていますが、人生の終盤は「釈迦を超えるぞ!」くらいの気持ちでおります。そういう遊び心がないと、なんか、自分が向上心を持って突っ走れない気がするんですよね。うちの先生がこう言ったから僕こうします、という人生じゃ、すごく束縛されるようで、なんか、つまんないですよね。自由がなくて。だから、私は「宗教」というのは好きではない。もちろん、否定はしないです。世界のどの宗教にも興味はありますし、教えというのは素晴らしいと思いますけど、一番大切なのは「信仰心」だと思いますね。
塩沼 信仰って、心の中で手を合わせて、悪いことをしないとか、その中で本質的な部分を高めていくことじゃないかなって思います。信仰はお金じゃないし、形じゃない。心でするものかな。
辻 それは、祈りということですかね。
塩沼 はい、ずばり、宗教で一番大切なものは「信心」であり、信心で一番大切なものは「愛」と「祈り」だと思います。だから、もう、宗教の壁はそろそろ無くしていいんじゃないかなと思っています。
辻 今はおいくつですか? もう修行は考えていない?
塩沼 52歳です。もう、修行はないですね。いつまでも修行してると逆に、いつまで経っても悟らないのかと言われていまします(笑)。今も厳しい修行はたくさん待っていますけれど。
辻 「現実」という修行ですね。興味深いお話をありがとうございました。

 誰もが「現実」という修行の中に生きていて、幸せになりたいと願い、祈りながら暮らしているように感じます。

 人生には迷いがつきもの。そんな迷いの時に、誰もが聖者と呼ばれる宗教家、山伏、芸術家、作家、哲学者方に会いに出かけたり、神社名刹を訪ねたくなるのかもしれません。

 実際に、塩沼亮潤大阿闍梨の護摩焚きなどに参加したくとも、ご事情によりできない方の身代わりに「おかげくま」と名付けたテディベアをお連れして、アバターの如く遠隔での擬似体感を感じていただく「おかげくま参拝」です。

 あなた様とご一緒できることを願っています。



おかげくま参拝は、様々な事情で神社仏閣へ参拝できない方々と観光客・参拝客の減少に苦しむ寺社様との架け橋になれば、とくま作家Ray作テディベアによる代理参拝を支援しています。この活動を応援いただける方からサポートいただけると幸いです。