民の生活を慮った名君「仁徳天皇陵」へおかげくま参り
こちらの続きです。
近江・吉野の旅もいよいよ最後の訪問地です。
民の生活を慮った聖帝「仁徳天皇陵」(大阪府堺市)
さて、御所市、葛城市という古代都市を巡った後、そろそろ空港に戻ろうと思ったタイミングで、「もう1箇所どうしてもいかなくちゃいけないところがあるよ」とおかげくま達。「それはどこ?」「仁徳天皇陛下様!」。
ということで、堺市の仁徳天皇陵へ。
「なんで仁徳天皇??」
不思議がる我々におかげくま達はニッコリ笑って何も言いません。
でも、その理由はすぐにわかりました。
新古今集に仁徳天皇の歌が冒頭に置かれています。
民衆の窮乏を、庶民の竈門から立つ煙の少なさから察して、自らの宮廷が荒れ果てようとも、諸税を中止し、民を救わんとされた帝が16代・仁徳天皇様。
3年間の課税を停止しただけでなくさらに3年課税しなかった、とか、合計10年間課税を停止したとも伝わり、聖帝(ひじりのみかど)と言われています。
現在の令和天皇陛下様が1960(昭和35)年ご誕生の際は、仁徳天皇にあやかって徳仁(なるひと)親王と命名されています。
つまり、仁徳天皇の時代(257〜399年)と令和の現在は、時空を超えて、時代を超えて、つながっているように感じられます。
おかげくま達は、開運・金運・病気平癒といった現世ご利益の法力を神様や仏様と繋がって、授かってきましたが、どうやらそれだけではその力を上手に使えないって知っていたんですね。
それだけの人を働かせることができるほどの巨富の持ち主だった仁徳天皇様ですが、もちろん、金の力だけで多くの人たちが喜んで古墳づくりに協力したわけではないでしょう。
チームワークを経験したことがある方なら、お分かりの通り、
お金や強制命令だけで人は動かじ。
民を慮って善政をなされたという「仁」=思いやりの心と「徳」=人間的魅力・品性を兼ね備えていた方だったからこそ、多くの人たちが古墳づくりに協力したんじゃないのかな?
と、おかげくま達は、仁徳天皇陵に私たちを連れていって、その大きな、大きな「仁」と「徳」がもてます様に、と見せてくれたようです。
さすがはおかげくま達。そして、空から「心も肝もビッグ」な仁徳天皇様が笑顔でご覧になって下さっていたんですね。
この日の堺市も雨の予報だったのに、天皇陵にお参りした時間帯には、雨に当たることなく、じっくりと歴史ボランティアの方の説明を受けながら
見学できたことからも、仁徳天皇様の深い思いやりが感じられました。
世界一のメガビッグな古墳の前で、小さな小さなおかげくま達の記念写真を撮って、今回のおかげくま参りの旅は終了です。
ママさん、パパさん、そして、神仏のみなさま、関係者の方々に感謝とお礼を申し上げます。そして、長々とした記事をここまで読んで下さった皆様方にお礼申し上げます。どうもありがとうございました。
追伸
近江・吉野のおかげくま参りの旅は終わりましたが、神様との御縁を繋ぐ旅は続きます。
おかげくま参りはまだまだ続きます。
今年は卯の年、月山卯年御縁年です。
8月1日卯の日に月山神社本宮様と鳥海山大物忌神社吹浦口ノ宮様へ
おかげくま参りの代理参拝いたします。
よかったら、あなたも、このおかげくま参りにご一緒ください。
それでは、また、どこかで!
おかげくま参拝は、様々な事情で神社仏閣へ参拝できない方々と観光客・参拝客の減少に苦しむ寺社様との架け橋になれば、とくま作家Ray作テディベアによる代理参拝を支援しています。この活動を応援いただける方からサポートいただけると幸いです。