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私は、切られた恨みは一生忘れない
物騒なタイトルです。
切られたのは事実ですが、傷害事件だったとかそういうことではないので安心してお読みくださいませ。
その出来事は16年前の春。息子の出産時の話だ。上の娘はぎりぎり妊娠37週ちょうどで出産した。あと1日早ければ早産だ。息子は全く逆で、予定日を過ぎても出てくる気配はなかった。
「帝王切開やね」
先生は言った。
通常なら陣痛促進剤を使うところだが、私は上の娘を帝王切開で出産している。そのため陣痛促進剤を使うと、子宮破裂の恐れがあるらしい。
「自然分娩は経験できないのか」
少し寂しい気持ちになりながらも、手術の日程を決めた。
話は少しそれるが、一度帝王切開で出産すると次の出産も帝王切開を選択することがほとんどだ。
しかし当時の担当の先生は私が帝王切開で出産した翌日に
「次は下から産んだらいいしねー」
とにこやかに言った。
帝王切開の傷がまだまだ傷んでる状況でそんなことを言われても…というのが素直な気持ちだった。
話を戻して。
私は帝王切開の予約をとりながら、良からぬことを考えていたのだ。
それは、保険金だ。
自然分娩なら医療保険金は降りない。しかし帝王切開なら保険金が降りる。
実は、この数日前に私は車をガードレールに擦ってしまって、車の修理が必要になったのだ。この保険金で車が直せる!そんなことを考えていた。
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そんなことを考えているからか?
手術予定日よりも前に陣痛らしきものがやってきてしまった。娘を保育園に預け、たまたま仕事が休みだった夫と病院へ向かう。
本格的な陣痛は来ていないが、子宮口が開いてきているとのことで一旦帰って夕方に入院の準備をしてくるように言われた。
どうやら自然分娩で進みそうで、帝王切開は免れそうだ。喜ばしいことだが私の頭は
「あー、車の修理どうしよう」
またしてもそんな良からぬことを考えていた。
「あの香り」
いまだに覚えている。
息子の出産の思い出の香りは「即席麺」の香りだ。
ちょうど昼時。
弱い陣痛が続いているので、食事の用意なんてできない。帰る道中に夫とコンビニで昼食を仕入れる。さすがに商品名は忘れたが、夫は即席麺を、私は菓子パンを買った。
耐えられない痛みではないが、ずっと痛む。陣痛というのは規則的にくるものじゃないのか?上の娘は帝王切開で出産しているから、陣痛は初めての経験だからよくわからない。
布団の上でゴロゴロしながら、痛みと過ごす。夫は自分でお湯を沸かして即席麺の用意をして、ズルズルとすすり始めた。部屋は即席麺特有の匂いで満ちている。
「いいよねー。気楽なもんだよねー」
痛みと過ごす私の横で、夫はズルズルと麺をすすっている。恨み言の一つでも言いたくなるのは、致し方ないだろう。私は買った菓子パンに手をつけることもできずに、痛みに耐えているのだ。
しかも私は即席麺の類はあまり好きではない。好きでもない匂いにまみれて痛みに耐える。嫌味の一つでも言ってやりたいが、痛すぎてそれどころではない。
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そんな時に突然お腹から
「ぱすっ」という音が聞こえた。
え?と思う間もなく、私はいきなり強烈な陣痛を迎えた。通常、陣痛というのは10分おきくらいから始まり、徐々に感覚が狭まり痛みも増強していくものではないのか?それがいきなり短い間隔でやってくる。
「いたいーーー!」とは実際に言ってないだろう。もう、声にならない呻き声といおうか、わめき声と言おうか。さすがに夫も異変に気づく。
病院に電話を入れて車で向かわなければならないのだが、あまりの痛みに車までさえ辿り着ける気がしない。しかも当時はアパートの2階の部屋に住んでいた。歩くのもままならないのに、階段を降りられる気がしない。
痛みに耐えながら微かに残る理性で、どうやって車まで向かうかを考える。
「これ、たぶん陣痛。ということは痛みの間隔があるはず」
なんとか玄関まで這って進む。四つん這いの姿勢でギャーギャーわめく。そして一瞬痛みが引くのを待つ。
「今や!」
力を振り絞って車までダッシュする。
いや、もちろんダッシュはできないから気持ちだけ。
しかし次の陣痛の波までに車に乗り込まなければ路上で叫ぶ羽目になる。
それは避けたい。
なんとかぎりぎり車に乗り込めた。病院まで車で10分。私の心の中に不安が生まれる。間に合うんだろうか?
「産まれるかもしれん」
半泣きで陣痛の合間に助手席から夫に言う。なんとなく赤ちゃんが降りてきている感覚があるのだ。車の中で産まれたらどうなるんだろう?
病院の駐車場につくなり「車椅子借りてきて!」と夫に叫ぶ。もちろんそのまま分娩室に直行だ。着替えさせてもらって、赤ちゃんの心拍をはかるモニターをつけてもらう。
「破水はいつしましたか?」と助産師さんが言う。
「え?私、破水してるんですか?」
どうやらお腹の中から聞こえたあの「ぱすっ」と言う音は、破水した音だったらしい。そりゃあ一気にお産も進むはずだ。
そんなことを考えながらも陣痛はどんどん強くなり、間隔もより狭まってくる。
「まだいきまないでねー。先生もうすぐくるからね!」
「まーじーかーーーーー!」と心の中で叫ぶ。
やっと病院に来たのに、分娩台にいるのに。まだ耐えるのかーーー!
「くー!先生お昼食べに外に出たな!」
なんて考えてる自分もいる。
家にいるのと違って、助産師さんがいきみを逃せるように、呼吸をリードしてくださる。夫のてを握りながらふーふーと息を吐く。
そうこうしてると先生が飛び込んできた。
「破水してるから点滴するよー!抗生剤のアレルギーあるかー?」
「たぶんないれすー…」
息も絶え絶えに応えながらも、心の声はちがった。
「先生!この状況で聞く?抗生剤のテストなしで入れるんかー!まあ、この状況仕方ないけど…」と冷静に考えている私がいた。
今はわからないが当時は抗生剤を点滴する時、場合によっては事前に抗生剤のアレルギーが出ないか事前に皮下に少し注射をすることが多かった。それをやってる暇がないほど、私の出産は切迫していたのだろう。
その後は順調にお産は進み、夫にも立ち会ってもらって、無事息子が誕生した。本当に本当に、車で生まれなくてよかった。分娩にかかった時間は2時間30分ほど。結果的には超安産だろう。しかし、スリリングすぎる出産だった。
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「じゃあ、臍の緒きりましょうね。ご主人さーん!」
と助産師さんが夫に声をかける。
(え?待って待って…)
「じゃあご主人これ持って、ハサミ入れてくださいねー」
(うそーーーーーーーん!)
「ジョッキっ!」
と音がしたかどうかは記憶ない。
そうだ、私は一生、切られた恨みは忘れない。
切られた恨みは「臍の緒」だ。
産前に「どんなお産にしたいか」というアンケートがあった。夫に立ち会ってほしいか、臍の緒は誰が切るのか。
夫は「僕はそう言うの苦手やし」そう言っていたはずだ。だからアンケートにも「臍の緒は私が切る」そう書いたはずだ。
なのに、なのに、
切りやがったーーーーーーーーーーーーーー!
「なあ?なんで切ったん?僕苦手や言うてたやん!」
「いや、ハサミ渡されたから…流れで…」
出産直後に夫を一生恨むことになるとは思わなかった。
「…どんな感じやった?」
「けっこう固かった。初めての感触」
当たり前だ。2回目の感触だったら問題だ。
そして私この日、痔主から大痔主になった。
(詳しくはこちらの記事を)
振り返ってみると、私は強運の持ち主だと思う。この日はうまい具合に夫が家にいた。もしこれが家に自分1人だったらと思うとゾッとする。もしかすると自宅出産していたかもしれない。
なにはともあれ、私も息子も無事だったからこそこの記事が書けるわけだ。
隣で即席麺をすする大きくなった息子を見て思う。そしてふと思う。私はどうやって車の修理代を捻出したのだろうと。
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