黄昏上映会



11月24日。昨日雨に落とされたイチョウの葉は、今日はあたたかい陽の光を受けて輝きを続ける。落ちた黄色はゴッホを想起させた。フィンセント・ファン・ゴッホ『刈り入れ』。黄金の麦を刈る人に、彼は「自然という偉大な書物が語る死のイメージ」を見ていた。秋はずっと悲しいのかもしれない。


10月27日。美味しいもので溢れ、ささやかな幸せを重ね重ねあたたかい日々なのに、ちいさなひとつに躓いてこころをぐちゃぐちゃにする。昨日望んだ景色は夢であったかのような曇り。おだやかさが続くことはない。情けないな。静かな空、冷たい香り、彼のことを想う。


11月22日。西陽でオレンジに染まるビルと濃密さの増す青を暖房が入るようになった電車の車窓から望む。急行の待ち合わせのために開かれたままの扉が冷たい風を連れてくる。その風が、スカートと靴下の間の無防備な肌を冷やし、私は少し笑う。


11月23日。夏の代名詞と思っていた音楽が、季節をかき乱していく。あたたかさ、儚さ、拙さ、綺麗さ、脆さ、冷たさ、汚さ、興奮、全てをぐちゃぐちゃにしていく。空が歪むくらい構わないでしょう?

ずっと悲しくはなかった。あたたかかった。毎日生きる意味で溢れていた。そのやさしさをくれた人たちを想い水に指を滑らせる。秋だいすき。

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