ロッカーに物が入ってるかわからない話

私は確認症です。本当に鍵が閉まってるのかわかりません。本当にガスの元栓が閉まってるのかわかりません。

鍵が閉まってるか確認するためにドアノブを何回もガチャガチャします。調子が良ければ少ない回数で済むし、調子が悪いとずっと確認してます。安いアパートに住んでた時はガチャガチャしすぎてドアノブが取れました。

確認症は不安だから何回も確認する、という考え方がメジャーだと思います。それが原因で確認症になってる人もいると思います。確かに私もうっかりがちょいちょいあるので不安で確認してる面もあるのですが、どちらかというと頭の中で情報が繋がらなくてずっとわからないから確認し続けているという感覚の方が強いです。

例えば鍵はドアノブを引っ張って開かなければ閉まっている訳ですが、引っ張って開かないことと鍵が閉まっていることがうまく頭の中で繋がらなくて、ずっと閉まってるのかわからないので確認し続けてるといった具合です。

内側から鍵を閉めた後も、うちの場合はつまみが横になってたら閉まってるということなのですが、「これは横になってるから閉まってるのか?そもそもこれは横...?果たしてこれは横なのか?多分横なんだろうな。おそらく横で、おそらく閉まってるんだろうな。」と思いながらつまみをしばらく見てるんですが、いくら見ても結局確証は得られず、多分閉まってるんだろうなということで自分を納得させて、切り上げられるところで切り上げます。

それでもたまにうっかりで閉まってないことがあって、そういうことがあるので不安の面から確認症が深まるというのもあります。〔確認した→閉まってなかったことがあった→今度はもっとちゃんと確認した→それでも閉まってなかったことがあった→もっともっと確認した〕という循環です。

ロッカーから物を出した後も忘れ物がないか見るのですが、なかなかわかりません。ロッカーの中には何も物が見えない気がするのですが、その視覚情報と本当に物がそこにないということや忘れ物がないということが繋がらないのです。下の四隅を順番に見てみたり、辺をぐるぐる見てみたりするのですが、わかりません。絶対に無いんですけど、何故か上の四隅も見てみたりします。ロッカーの前でしばらく立ち尽くしていると、「どうしたの?」とよく聞かれるのですが、その場で端的にわかりやすく説明できず、いつも不思議な目で見られます。

家のポストもそうです。ずっとポストの中を見てしまいます。近所の人からは謎の郵便泥棒と思われてるかもしれません。

文字を書き写す時も本当に同じ様に書き移せたかわからず、一画一画確認してみたり、ゆっくり発音してみたりするのですが、よくわからず時間がかかります。NSC在学中は授業のスケジュールが貼り出されるので、みんなメモを取って帰るのですが、私はさっと書き写せないので他の人が帰るまで待ってゆっくりメモして帰ってました。授業のスケジュールはしょっちゅう変わるので、メモしたと思ったらすぐ変わって、参ったな〜!ってなってました。

家を出る時も忘れ物がないようにお財布や携帯があるか確認するのですが、今持ってるのがお財布なのかわからなかったり携帯なのかわからなかったりするので、表面を触って「この感触は多分お財布。」携帯のカバーをつけたり外したりぐにゃぐにゃさせたりして「こういう風にできるということは多分携帯。」という風にできるだけ納得できるようにしています。


多分変なんだと思うんですが、決して怪しい者ではありません。しょうがないのでうまく付き合えるように努めたいです。あと体調が良いと軽減するので、できるだけ寝ます。

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