芸人短歌

私は多分短歌を詠むのが学生の頃の授業ぶりだったのですが、芸人短歌という本で短歌を詠んで、「芸人短歌の歌会はじめ〜トークもあるよ〜」というイベントで初めて歌会というものに参加して、短歌や歌会が楽しいものだと知りました。
いいと思うけどお笑いには向かないからしまってあることを短歌では出すことができて、色々な表現方法を持つっていうのはいいかもしれないと思いました。
歌会は、芸人短歌の歌会がすごく楽しかったというのもあると思いますが、歌会そのものが、色んな解釈が認められる場であるということがすごくいいなと思いました。
私は文字の読み書きがあまり得意ではなく、これまでの人生であまり文学に触れてこなかったので、おそらく深く読み込むことがまだ出来ていなくて、みんなの解釈を聞いて「そういうことだったんだ。」とわかる部分が多く、勉強になったのも面白かったです。
初めての歌会で、他の人の歌を読んでの自分なりの解釈や自分の歌の説明をあまりうまく言語化できなくて、本当はもっと色々言いたいことがあったなあと思いました。次に歌会に参加する時はもっと上手く説明できる気がするので、またそういう機会があればいいなと思います。

歌会のイベントが楽しすぎたので、私はあれから時々イベントの配信のアーカイブを家で流して「楽しかったなあー」と思っているのですが、後から見ると本番中に気づかなかったことに気付いたり、この時これを言えばよかった、こう説明したかった、というのが出てきたりしたので、書いておこうと思います。

イベントのトークのところでSAMIDAREさんに私の透明短歌の(透明短歌)の部分が7音になっていて、そこが五七五七七の七の部分なのかという質問をいただいて、私はそもそもそこが七になっていることに気づいてなくて、そこで七だったんだ、と気づきました。なので作った時の私の考えで言うと、(透明短歌)は五七五七七に含まれてないということになります。あとで可奈ちゃんとも話したのですが、含まれてない、だろうねということで意見が一致しました。多分(透明短歌)が七の部分だったらそこが透明じゃないから私はそう思うのだと思います。
倉田さんが私の五首のタイトル「有題」が、タイトルとしてはついてなくて、そこが透明短歌と繋がっているとおっしゃっていて、それも言われて気付きました。タイトルはおっしゃる通りで、あるって言ってるけどない状態にしたくてつけて、透明短歌は見えない短歌があったらいいなと思って作って、別々に考えて出したんですけど、元々私は無が好きで、無を面白いと思っているから、有無がテーマの部分が多くなったのかもしれなくて、そういう意味ではタイトルと透明短歌は私の無が好きという根底で自然と繋がっていたのかもしれません。

歌会では、3首目が可奈ちゃんの歌だったのですが、私はこれが可奈ちゃんの歌だと気づかなくて、これまで可奈ちゃんの作品だけは見てきているので絶対わかると思ったのですが、可奈ちゃんは自分っぽさを出さないということも出来るのだと思い知らされました。でも言われてみれば「たしかめる」がひらがなで書いてあるところに可奈ちゃんっぽさがあって、なんでそこで気づかなかったんだろうと後から思いました。
あとジェロニモさんが自分の歌の時に当てられて歌会人狼をすることになったけど自分の歌だとばれずに評をしていてすごいって思ったんですけど、よく考えたら可奈ちゃんは主催で全ての歌の評をしていて、自分の歌の時もわからないように評をしていたので、可奈ちゃんも人狼だったということに気づいて、可奈ちゃんもすげーってなりました。

2首目のSAMIDAREさんの歌で「まちがい」ではなく「まちがえ」という言葉選びをしていることに関する倉田さんの文法的解説が、本番中はゆっくりそれに関して考えることができなかったのですが、後からゆっくり見て考えるとすごく正確で、びびりました。

解題で11首目の岩永さんの時に「兄弟いて」と聞いて、兄弟がいると聞くとより味わい深いなあと思ってそういうコメントをして、そしたらなんだか変な空気になってしまって、なんでだろう?と思ってたのですが、アーカイブで聞き直すと「兄弟いて」なんて言ってなくて、「京大行って」でした。そりゃ変な空気になるわと納得しました。聞き直してみるもんですね。変なコメントしてすみません。

私の歌は8首目の
海行きです こんこ 空はもっと寒かったですか 雪や
だったのですが、色んな捉え方をしてもらえて嬉しかったです。
私の中ではこれは川辺に立っている雪案内人が雪に話しかけていて、雪は川に入っていって海に行くということで、書いてあることは全て案内人が雪に言っている台詞でした。
こんこというのは雪やこんこから来ているのですが、雪やとこんこを別々にしたくて、そしてこんこというのはどこかの方言で「来い来い」という意味だそうなのですが、方言なので意味がわかる人は少数で大体の人には意味がわからないものであるということを踏まえてこの言葉を使いました。わかる人にはわかるけど、多くの人にはわからなくて、何か不思議な、呪文のような合言葉のような聞こえ方がしたらいいなと思って作りました。こんこは案内人が雪を川に乗せる合言葉のようなイメージでした。
なのでレッドブルつばささんにわからなさが面白いと言っていただけて、意図していた伝わり方をしていて、嬉しかったです。
大久保さんの、雪やこんこを分けて順番を変えたことにより見上げた感じになるという感想を聞いて、それは意図していなかったことだったんですけど、面白い見方だと思ったし、そう見てもらってもいいなと思いました。雪やとこんこの位置によって見上げた感じになるというのは意図はしてなかったんですけど、でも確かに私の中で、雪やの時に地上から視線を移して寒い曇り空を見上げると大きめの雪が沢山上から降ってきているという情景は思い浮かべていたなあと思いました。
お客さんの評で「ぶつ切りのリズムがぽつぽつ降る雪を表しているようで、寒さや海の青さが伝わってくる。」というものがあって、私がこれを作る時に、この言葉の群れから寒さや雪がしんしんと降るイメージが伝わったらいいなと思って、そういう感覚で言葉を並べたりスペースを空けたりしたので、それを言語化したらそういうことなのかもしれないと思いました。
他の人の感想を聞いて自分の歌への理解が深まるというのは面白いと思いました。

言えてすっきりしました。

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