「ふくふくや」公演:『こどものおばさん』@下北沢駅前劇場の劇評

<下へ下へと潜行することで浮上する不器用な「恋」>
 
 10/1 に、我が御贔屓(ひいき)劇団「ふくふくや」の公演『こどものおばさん』(作・竹田新 演出・司茂和彦 @下北沢駅前劇場 )を堪能せり。

 熊谷真美の「初恋の人を相手に”対応不能な駄々をこねる”破壊力」、山野海の「忘れようと思っても思い出せない」セーラー服の「質感」。いずれも我が胆力を追い詰めるに充分の力感であった。
 もう永いこと観続けている「ふくふくや」の舞台は、いつも竹田新(山野海)の描く「底の下の地底」を舞台に、「潜って、荒んでしか見えてこない風景」と「そこを通過することなく真実など見えるはずもねぇよ」という、「希望をつなぐ諦念」という逆説を突きつけるものだ。異なる素材で同じことを言い続ける仕事ぶりに、竹田の志を確信する。

 この際、ふくふくやの芝居を愛する者として誤解したくないのは、劇中度々発せられる「真実などクソ食らえ!」という言語表現が「真実などありゃぁしないのさ」というヤサグレたドロップ・アウトではなく、「本当に真実に触れたいという気持ちを抑えられない以上、あたしは地獄に落ちる以外に方法がないのだ」という「切なさ」とともにあるということだ。

 ネタバレをしないように、公演が続く間の劇評は抽象的に描くようにせねばならないが、もしこの作品を観てくだされば、その時、上っ面で生きる者たちの容易(たやす)く手に入る出来合いの幸福幻影というものと、「地下発・地底経由・地獄行き」の列車がかすかな曙光を求めて、各駅停車で鈍走する先の目的地との違いがわかるのだと思う。

 本日の午後、追加公演決定である。


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