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チェーン店に抱かれたい〜第1回 デニーズ〜

よく分かんない、分かんないけど、「何かを辞めたい」という感情が、湧き上がってくることって、ないでしょうか?

仕事だったり、誰かとの関係性だったり、何かの習慣だったり。
なんでもいいけど、とにかく、「辞めたい」。

私はしょっ中なんです。いつも精神が底をつくと、「辞めたい」という言葉が脳裏に浮かぶ。

しかし、本当に辞めたいものが何なのか、自分にもはっきりしない。

例えば仕事で失敗したとき、反射的に「ああ、もう辞めたい……」と思う。
けれどもそれが、失敗してしまう自分を辞めたいのか、周りに迷惑をかけてしまうことを辞めたいのか、その仕事を辞めたいのか、いやいっそ労働自体を辞めたいのか、いやもっといえば人間を辞めたいのか、

誰かとの関係性にしたって、その人との関係性の「一部」を辞めたいのか、関係性そのもの「全部」を辞めたいのか。
いやそれとも、「辞めてほしい」なのか。1対1の関係において「辞めてほしい」なんてエゴじゃないのか。

「辞めたい」という欲望の中心を、いつもはっきりと言葉にできない。

「よく分からない」で誤魔化すと結局、何も辞めれない。
私は前職、社会人が向いてないのかその仕事が向いてないのかよく分からないまま怒られ続けて、よく分からないまま5年いてしまった。「まだ未熟なのに辞める訳には……」ってずっと思ってた。
今から思えばどう考えても向いてなかった。でもずっと分からなかった。何かを辞めるのが絶望的に下手だ。


とにかくよく分からない、分からないけど、「何かを辞めたい」。


20代だったらすぐ出てくる言葉は「死にたい」だった。しかし言霊ともいうし、安易に「死にたい」もよくない。そのうち「消えたい」くらいに薄まって、36歳の今は「辞めたい」になった。

これは、いいことではないだろうか。私もヒトカゲからリザードくらいに、少しずつ進化しているのだ。自分で自分を褒めてあげたい。

「死にたい」より「辞めたい」の方が健康的だ。
そこには、自分の生きる欲がある。0/100で全部辞めたい訳じゃないのだ。きっと辞めたいのは、「何か」という一部なのだ。「何か」のバランスが、今は悪いのだ。

バランスを改善して、生きたいのだ。ただ今は、精神が静かに落ち込んで元気がない。
そんな、何かを「辞めたいとき」。
「寂しいとき」とも言えるかもしれない。人によってはかつての私のように「死にたい」とか、「消えたい」とか、もしかしたらもっと強い感情かもしれない。


そういうとき。あなたなら、私なら、どこに行くか。


ふと浮かぶのは、幽★遊★白書の名曲、『微笑みの爆弾』のメロディーである。

都会(まち)の人混み 肩がぶつかって ひとりぼっち
果てない草原 風がビュンビュンと ひとりぼっち
どっちだろう 泣きたくなる場所は
2つマルをつけて ちょっぴり大人さ


どっちも嫌すぎる。どっちも泣きたい。軽快なメロディーにのせて冒頭から重すぎる。あと何で突然2つマルをつけてちょっぴり大人になるのかはよく分からない。

どっちか選べと言われれば草原派かもしれない、でもこんなど平日に、この東京の中心で「草原行きてえ」って叫んでも、行ける訳ないし、行ったら行ったで「辞めたい」から「消えたい」にランクアップしてしまう危険性がある。



じゃあどこに行けばいいんだ?



私なら、



デニーズに行きます。


「突然なんの話だ?」と思うでしょうか?


でも私は、落ち込むと、気がつくと、


デニーズにいます。


そもそもにして、「全国チェーン店」という存在が大好きすぎる。

サイゼリヤ、シズラー、ドトール、ルノワール、コメダ珈琲、ドーミーイン、ユニクロ、天一……偉大なるチェーン店たち。大勢に愛されてるからこその、全国チェーン。すごいのだ、全国チェーンは。
近所にないのであまり行けてないけど、スシローも行けば絶対恋に落ちる自信がある。


コストパフォーマンスはもちろんだけれど、チェーン店には情緒的価値があると信じてやまない。
一体チェーン店が、どれだけの人を救ってきただろうか。


チェーン店は、誰かにとって間違いなく、居場所だ。


私は、チェーン店は「東京」そのものに似ていると思う。


中学生の頃から長年東京に住んでいると、「東京は、住みよい街ですか?」と東京外の人から聞かれることがある。


私の答えは「東京は誰にでも等しく冷たくて、優しい街」である。


どんな背景の人でも個性の人でも、どこに行っても受け入れてくれて、どこに行っても放っておいてくれる。
お金さえ払えば、どこに行っても均一のサービスが受けられて、対価なりの優しさを受けられる。


チェーン店は、その最たる例だ。

私は寂しいとき悲しいとき、よくチェーン店にいく。
個人商店も好きだが、優しすぎて逆に辛くなってしまうメンタルの時がある。ある程度行きつけになったときに注文する前から「いつものにする?」と聞かれる居心地の悪さにも似ている。

そしてここ2年ほどは、デニーズへ行く確率が格段に上がった。
理由はなんてことはない、デニーズが徒歩圏内だからである。
住んでいる場所によってかつては天一、かつてはサイゼだった。それは第二回以降で書くかもしれないし、気が乗らなければ書かないかもしれない。


「都会(まち)の人混み 肩がぶつかって ひとりぼっち」でもない。「果てない草原 風がビュンビュンと ひとりぼっち」でもない。

都会と草原の真ん中で、優しく包み込んでくれるのが、徒歩圏内のチェーン店だ。


そして今日も私は、メンタルの不調を抱えて、1人デニーズの自動ドアをくぐる。


発券機で「1人」を選択、消毒と検温を済ませて少し待つと、あの声が響き渡る。


「いらっしゃいませ〜、デニーズへようこそぉ〜」


これが聞こえるだけでもう落ち着く。


「いらっしゃいませ〜、デニーズへようこそぉ〜」


自分が何者であるかも、どんなにクズかも優秀かも、どんなメンタルであるかも関係なく。
デニーズは万人を、独特のイントネーションで等しく迎え入れてくれる。デニーズは優しい。

そして、メニューを開く。

和・洋・中、色とりどりのメニューが並び、サイドメニューも充実している。

そもそもにおいて、ファミレスという形態が優しい。
好みが違っても、食べたい量や気分が違っても。
みんなでファミレスに来れば全く揉めることなく、それぞれのテリトリーで、好きなものを注文できる。

少し離れた席の女子高生たちが、全員で楽しそうに、同じ抹茶パフェを頼んでいる。
隣のおじさん達が、何やらアルコール依存症からの回復療法の話をしている。
50〜60代くらいの女性たちが、4人で女子会をしている。
若い男性は1人で、靴を脱いで正座して、渋い顔でMacの画面を睨んでる。

ああ、なんて美しい光景なのだろう。

ファミレスは、ファミリーだけのものではない。「ファミリーレストラン」なんて名称が、勿体無い。謙虚すぎる。

「ユニバーサルレストラン」と名乗ってほしい。


早速、メニューをパラパラと開く。


ビーフシチューも美味しそうではあるが、どんなにメニューを見たところで、平日なら絶対にランチ。いわゆる「昼デニ」である。

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夜でも休日でもデニーズはいい奴だが、圧倒的にお得なのは平日の昼デニだ。組み合わせの幅が広く、クオリティも高い。
メインディッシュ+サイドメニュー+ドリンクバーで、1,049円。

肉党には、ハンバーグ・肉料理セットもあるので安心してほしい。

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ランチの提供時間は、店舗にもよる。
いつも行く近所のデニーズは15時までだが、先日行った店舗はダメ元で「さすがにランチメニューはもう無理ですよね……?」と16時に聞いたら「当店では17時までOKです」と言われた。優しすぎて気が狂っている。


さて、何を頼もうか……といっても、私が落ち込んでいる時に頼むものは、絶対に決まっている。落ち込んでいるときは、「いつもの」で呼吸を整えたい。というか落ち込んでいなくても、9割5分の確率でこの組み合わせで頼む。

「ベーコンとほうれん草」と

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「とろ〜り卵とチーズのオムライス」である。

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早速注文して、ドリンクバーへ向かう。心を落ち着けるために、まずはカフェラテを選ぶ。でも喉も潤したいので、アイスウーロン茶とダブルで持ってくる。

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デニーズのドリバは、ドリバ単体では、正直微妙である。
スープはなく、飲み物の種類も少なく、お茶系はティーバック。ドリバだけなら種類もクオリティもココスが完全優勝だ。

しかし、ランチセットとしてデフォルトでついてくるのは大変にありがたい。


そうこうしてるうちに、割とすぐ「ベーコンとほうれん草」が来る。

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そもそもにして、「ほうれん草のソテー」という概念が、うますぎる。

うまいけど、家で作ろうとすると、ほうれん草をゆでるのが微妙に面倒くさい。冷凍もコンビニで売っているが、それでもやっぱり微妙に面倒臭いし、美味しさとしてちょっと物足りない。

という訳で、ユニレス(ユニバーサルレストラン)に行くと、高確率でほうれん草ソテー的なものを頼む。
ほうれん草のみならず、ベーコンときのこまでソテーしてくれている。最高だ、なんて贅沢なサイドメニューだ。塩加減が絶妙にうまい。

ただこれも、ユニレス各社どこも用意してあるメニューだ。味ではそこまで大きな差は出ない。
デニーズは、ランチにプリフィックスメニューとしてつけられる点において優れている。


だがしかし、本丸は、

その次の、「とろ〜り卵とチーズのオムライス」である。

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タイミングによってはまだ全然ほうれん草食べ終わってないのに運ばれてきて、あわあわする。

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ていうか、デニーズのオムライス食べたことあります?


ウマくないですか?
まじでウマくないですか?


一体、卵何個使ってるんだろう。これでもかというほどふわっふわ、ボリューミーな卵をすくうと

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あなたには見えますか?この糸を引くチーズが。

何をどう企業努力すれば、「ふわふわ卵」と「たっぷりチーズ」が両立できるのだろう。デニーズのオムライスは、この2つが、矛盾なく同居している。ふわふわを損ねることなく、チーズの質量も感じるし、しつこくもない。

そこにかけられる、さらりとしたデミグラスソース。ファミレスのビーフシチューとかで味わえる、そんなに複雑にいろいろ煮込んではいない、安定した、あの味。ソースの量もちょうどよく、過度に余ることも、足りなくて欲求不満になることもない。

トマトライスがまた、このバランスの中でほどよい味加減なのだ。ケチャップが主張しすぎず、全体のバランスを壊さない。

どこにも隙がない。庶民の顔して、「完璧の一皿」がここにある。

喫茶店こだわりの昔ながらのオムライスや、オムライス専門店より。
正直、デニーズのオムライスがウマい。
いろいろ食べたけど、デニーズのオムライスを超えるオムライスにまだ出会ったことがない。いやまあ私の舌が単純なんだろうけれども、それにしたって、ウマいんだよ。何度食べても、ウマいんだよ。


そしてこの昼デニセット、かなりボリューミーである。
何なら冒頭にカフェラテまで飲んでいる。
ほうれん草とオムライス食べ終わる頃には、最早、苦しいの領域に近い。


こうして絶対裏切らないデニーズの接客の元、絶対裏切らないほうれん草と、絶対裏切らないオムライスを食べる頃には。
気持ちが、大分落ち着いてくる。

さらに、食後にいつものアプリゲーム(※いたスト)を1戦やり終えれば、ギザギザした気持ちはだいぶ凪に近づいて、心のバランスが戻ってくる。


別に何かが解決する訳ではない。ものすごく前向きになって、バリバリ働く意欲が湧いてくる訳ではない。相変わらず「何を辞めたいのか」、はっきりする訳ではない。


でも、ルーティンは落ち着く。「いつもの」は、落ち着く。マイナスが、ゼロに戻る。


「何か辞めたい」?
まあ誰しもいろいろあるけどさ、何とかなるよ……人間引いてみれば、全てのことはくだらないし、喜劇だよ。そんな気持ちにもなってくる。


今の私にとってデニーズはルーティンであり、居場所である。


私は、来月にはこの街を引っ越す。

引っ越し先は、近くにデニーズはない。

デニーズは遠くなれば、もう居場所ではない。「たまには行きたいよね」程度の場所でしかなくなる。
わざわざ電車に乗って、執着して、訪ねるような場所ではない。

私たちはそれくらいの距離感で、それが、心地よいのだ。デニーズは私が引っ越したって、いい意味で何も気にしない。私も気にしない。
クラスが同じときだけ仲の良かった、友達みたいなもんだ。

またいつか居場所になるのかもしれないし、もうならないのかもしれない。ただ人生の一時期、デニーズが私を支えてくれていたことは心の片隅に置いておきたい。

最後、日傘を置き忘れた。気づいて踵を返すと、デニーズの店員さんが走って追いかけてきてくれていた。

代替可能なデニーズという居場所、そして代替可能な、私という客。

ああなんて、チェーン店は素晴らしく、優しい。

こんな文章をデニーズで書いたその夜。
PCで続きを作業してたら、隣のリビングから、それはそれは突然に「微笑みの爆弾」が流れはじめた。

夫が急に、Huluで幽★遊★白書を観かえしていた。もちろんこのブログの内容なんて露ほど話してない。
それまで観たことなんてなかったじゃん、こんな偶然あるのか。それともどっかでこっそり私のPC見たのか……?

オープニングでしっかり流れる「微笑みの爆弾」に
別に浮気してる訳でもないのに。
どこか少し、やましい気持ちになった。

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